第一章 姫の療養生活
1
どうやらリリーディアは、クラリネス王国の第二王女らしい。
そして、シルヴィオはリリーディアの従者だという。
自分のことのはずなのにまったくピンとこなくて、リリーディアは内心で肩を落とした。
本当に記憶がないなんて。
「体調はいかがですか?」
「えっと……たぶん、大丈夫です」
記憶喪失であることを除けば、体調に問題はない。
そう思い、リリーディアはあいまいに頷いた。
「本当に? どこも痛くないですか?」
シルヴィオは心配そうにリリーディアの顔を覗き込む。
急に近づいてきたものだから、避けることもできずにリリーディアの視界いっぱいに美貌が映る。
「俺に嘘は吐かないでくださいよ?」
神秘的な金の瞳に探るように見つめられ、リリーディアの心臓がドクンと跳ねた。
壊れかけの人形のようにコクコクと頷くことしかできない。
リリーディアの様子をしばらくじっと見ていたが、大丈夫だと分かってもらえたようで、シルヴィオはホッと安堵の息を吐く。
「それなら、何か食べられそうですか?」
「え……?」
「姫が好きなものを作りますよ」
好きなもの――と言われても、何も覚えていない。
というか、シルヴィオが作るのか。
思ったことがそのまま表情に出ていたのか、シルヴィオはリリーディアを見てふっと笑った。
「姫が覚えていなくても大丈夫です。姫のことは俺が知っていますから」
シルヴィオはリリーディアの従者だ。
ずっと側にいた彼ならば、今の自分よりも“リリーディア”のことをよく知っているだろう。
(自分のことなのに、やっぱり何も分からないのね……)
リリーディアはしゅんと俯く。
食べ物の好き嫌いでさえも、記憶から抜け落ちている。
どんな人生を歩んできたのか、些細な欠片すら自分の記憶から見つけられない。
それでも、不思議と悲観的な気持ちになっていないのは、シルヴィオが側にいてくれるからだろう。
彼は、心配しなくてもいいと優しく笑って言ってくれた。
何も覚えていなくても、彼のことは信じられる。
無意識にそう思えるのだから、自分たちはきっと心からの信頼関係で結ばれていたのだろう。
「……何を、作ってくださるのですか?」
「アップルパイです」
アップルパイ。
それがリリーディアの――自分の好物だったのか。
アップルパイはたしか、甘く煮た林檎をパイ生地に乗せて焼いたもの。
想像すると、お腹が空いてきた。
料理の名前を聞いても覚えていなかったらどうしようと思っていたが、食べ物や料理などの知識は頭に残っているようだ。
そのことにひとまず安堵する。
「ここに水がありますから、しっかり水分補給してくださいね。それでは、用意してきますので少々お待ちください」
サイドテーブルに置かれた水差しを指して、シルヴィオは部屋を出て行った。
彼がいなくなったことで、リリーディアは大きく息を吐く。
いくら信頼できる従者とはいえ、今の自分にとっては初対面の男性であることに変わりはない。
その上、彼は記憶のない自分でも美しいと感じてしまうほどの美青年。
緊張するなという方が無理な話である。
「私は、リリーディア。リリーディア・クラリネス……」
自分の名前のはずなのに、しっくりこない。
かといって、ではどんな名前なら良いのかも分からない。
自力で思い出そうにも、いつも一緒にいたはずのシルヴィオのことさえ思い出せないのだ。
ベッドの上でじっとしていても、何も変わらないだろう。
そう思い、リリーディアはベッドから出た。
リリーディアが眠っていた天蓋付きのベッドはふかふかで、室内にはテーブル椅子をはじめ、クローゼットに鏡台、書棚などの調度品が置かれていた。
どれも質の良さそうなものばかりで、さすが王女の部屋といったところか。
室内を見回した後、リリーディアは窓辺に近づく。
もしかしたら、外の景色を見れば何か思いだせるかもしれない。
そう思い窓を開けてみるが、周囲に広がっているのは森の木々だけだった。
クラリネス王国の王城は森の中にあるのだろうか。
(でも、ここはお城ではない……わよね?)
城壁も庭園も見えない。
近くには街もなく、だだっ広い森だけが広がっている。
城でないのなら、ここはどこなのだろうか。
王女である自分が何故、こんな何もない森の中の屋敷に滞在しているのだろう。
首を傾げながら、リリーディアは窓を閉める。
そして、窓ガラスに映った自分の姿に驚いた。
長く伸ばしたキャラメル色の髪はふわふわで、ピンクの瞳は可愛らしい。
しかし、顔は少し青白く、心なしか頬もこけているような気がする。
体力も落ちているのか、室内を少し見て回っただけなのにかなり疲れてしまった。
王女である自分が何故、こんな健康状態なのだろう。
これ以上立っていることもできなくて、リリーディアは倒れるようにして室内のソファに腰かけた。
「……私に一体何があったの?」
城ではなく、森の中に滞在している王女。
王女でありながら、健康的ではない体。
リリーディアの側には従者であるシルヴィオただ一人。
女性の使用人や家族である王族の姿も見えない。
王女が記憶喪失になるほどの出来事とは、一体……――?
シルヴィオを待っている間、自分の記憶と境遇に対する疑問は尽きることはなかった。
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