「ん~、おいしいわ!」


 シルヴィオと一緒に作ったパンは、バターを練り込んだだけのシンプルなものだが、生地はふっくらもちもちだ。

 焼き立てを口に入れると、バターの風味が口いっぱいに広がった。

 シルヴィオお手製の木苺ジャムをつけて、また一口。

 甘酸っぱい木苺ジャムの優しい酸味がアクセントになってまた違った味わいになる。


「姫、美味しいですか?」

「えぇ、とっても。でも、シルヴィオ……やっぱりそれ、私が食べるわよ?」

「駄目です。たとえ姫でも譲れません」


 と、真剣な顔でシルヴィオが大切そうに持っているのは、リリーディアが丸めたパンで、何故か焼きあがりが不格好に歪んでしまったもの。

 シルヴィオが丸めたパンは焼きあがりもきれいな形をしているのに、リリーディアが丸めたパンはあまりきれいとは言えなかった。

 恥ずかしいから自分のものはさっさと食べようと思っていたのに、「姫が作ったものは俺のものです」と訳の分からないことを言って死守していたのだ。

 だから、リリーディアが食べているのはシルヴィオが作ったきれいなパンばかり。

 正直、自分の手作りを好きな人に食べてもらえるのはとても嬉しい。

 けれど、彼の心が分かるようで分からない。

 仕えるべき姫として大事にしてくれているのか。

 リリーディアだから大事にしてくれているのか。

 最初は従者の仕事だからなのかと思っていたが、それにしては距離感がおかしい時がある。

 それだけでなく、シルヴィオは恥ずかしげもなくリリーディアが特別なのだと言動で伝えてくれる。


(でも、シルヴィオは、私の名前を教えてくれた時以外は一度も名前を呼んでくれていないのよね……)


 ふと思い浮かんだ考えに、自分はシルヴィオに名前を呼ばれたかったのだと気づく。

 しかし、ある一線だけは決して超えようとしない彼に名を呼ばせるのはとても難しいことだろう。

 リリーディアは頭を切り替えて、シルヴィオに向き直る。


「そういえば、私って何歳なの?」


 クロエは色気たっぷりの美女だった。

 対して自分には、色気のかけらもない。

 まだこれから成長する希望があるのか、発育が悪いのか。

 そう思い至った時、リリーディアは自分の年齢を知らないことに気づいたのだ。


「すみません、話していませんでしたか。姫は十八歳ですよ」

「えっ、十八で、まだこんなに小さいの!?」


 思わず、リリーディアは声をあげていた。


「身長が低いことを気にしているのですか? 姫は世界一可愛いので大丈夫ですよ」

「それはシルヴィオの中の世界でしょう? 私はもう少し成長したいわ」


 リリーディアが気にしているのは身長ではないのだが、そういうことにしておく。

 クロエのようなナイスバディにはまだほど遠い。

 かろうじて女性だと分かる程度の胸のふくらみを見て、内心で肩を落とす。


「魔素の影響もあったのかもしれませんね。ここで療養していれば、きっと身長も伸びますよ」

「……シルヴィオは?」

「俺はもう伸びなくてもいいですね」


 たしかにシルヴィオはリリーディアが見上げるほど背が高い。

 しかし、リリーディアの首が痛くならないのは、シルヴィオがいつも目線を合わせようとしてくれるからだ。

 そんな気遣いに今更ながらに気づき、きゅんとした。


「そ、そうじゃなくて、いくつなの?」

「あぁ。二十四歳です」


 自分のことを話すシルヴィオは、淡々としている。

 リリーディアはシルヴィオのことをもっと知りたいと思っているのに、当の本人は自分には興味がなさそうだ。


(シルヴィオとは六歳差……かぁ)


 あのクロエという女性は二十代半ばで、きっとシルヴィオと年が近い。

 大人の色気を持つ彼女と、シルヴィオは一体どのような関係なのか。

 彼女が親し気にシルヴィオを呼ぶ様子を思い出す度に、モヤモヤしてしまう。

 たとえ彼女がシルヴィオと親しい間柄だったとしても、この屋敷にいる間は、リリーディアが一番シルヴィオに大切にされている自信がある。

 しかし、リリーディアはシルヴィオのことをほとんど知らない。

 クロエは、シルヴィオが何者なのかを知っているのだろう。

 リリーディアだって、負けてばかりはいられない。

 自分からもっとシルヴィオに近づく努力をしなければ。

 そう思い、リリーディアはシルヴィオに問う。


「ねぇ、シルヴィオが好きなものを教えてくれる?」

「姫が好きなものが好きです」

「それはシルヴィオの好みじゃないでしょう?」

「…………」


 ただシルヴィオが好きなものを知りたいと思っただけなのに、彼はひどく難しそうな顔をして考え込んでしまった。

 眉間にしわを寄せている美貌にしばらく見惚れていると、ようやく彼が口を開く。

 しかし、その答えはあまりに素っ気ないものだった。


「姫、俺の好みなんてどうでもいいことです」


 まるで自分を責めているような言い方だった。

 一緒に過ごす中でも、シルヴィオが優先するのはいつもリリーディアのことで、彼自身のことは二の次だった。

 休憩もろくにとらずに屋敷の中でリリーディアのために働いていて、彼が寝ているところや休んでいるところは見たことがない。

 今のようにお茶や食事の時間を楽しんでいるのは、リリーディアが一緒に食べたいと望んだからだ。

 そこに彼自身が休みたいという意思はない。


「どうでもいいなんて言わないで。そうねぇ……私は、シルヴィオのプラチナのようにきれいな白銀の髪が好き。神秘的な金の瞳が好き。落ち着いた低い声が好き。優しいこの手が好き……だから、少しはシルヴィオ自身のことを大切にしてほしいわ」


 リリーディアが好きなものを好きだと言ってくれるのなら。

 そう思い、シルヴィオの手を取った。

 しかし、シルヴィオには珍しく、リリーディアの手を振り払う。


「申し訳ございません、姫。用事を思い出しました」


 そう言って立ち去ったシルヴィオがどんな表情をしていたのか、リリーディアには見えなかった。

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