6
シルヴィオが去ってからの日々は、リリーディアにとって地獄だった。
「魔素を吸収できる血とは便利なものだな」
魔力を持たない自分にも、役に立てる血が流れていた。
リリーディアの血を使い、魔術師や魔術騎士たちは自分の力量以上の魔術を発動できるようになった。
きっと、これは喜ぶべきこと。誰かに必要とされているのだから。
最初はそう自分に言い聞かせていた。
無能な王女として蔑まれていたけれど、リリーディアの血がこの国の力になれるのなら――と。
しかし、それだけでは終わらなかった。
リリーディアの血に、他にどんな使い道があるのか。
特別な実験室が用意され、魔術師たちは王命によってリリーディアの体を、血を、様々な実験に活用した。
「魔素に耐性があるのなら、魔獣から直接魔素を取り込むことも可能なのではないか」
そんな提案のせいで、魔獣の肉を無理やり食べさせられた。
普通の人間ならば、魔獣の肉は有害で、酷い場合は死に至る。
しかし、リリーディアは生きていた。
気持ちが悪くて吐き続けたけれど、魔素を直接体内に入れても問題なかった。
それどころか、魔獣を食べた後の血は、とても濃厚な魔素を含んでいて、わざわざ血に魔素を取り込む術を施さずともよいことが分かった。
「まるで、魔物だな」
魔素で呼吸し、生きている魔物と同じ。
父王から向けられる冷たい眼差しは変わらない。
「あの化物と一緒にいられたのは、お前も同じ化物だったからか。化物同士慰め合っていたとは、笑えるな」
化物と恐れられるほど強い魔力を持つシルヴィオを殺すことは、父王にも、この国の魔術師の誰にもできなかった。
リリーディアに対する周囲の扱いが変わったのは、誰もがシルヴィオの存在を恐れたからだ。
もし、リリーディアに何かあれば、彼が黙ってはいないから。
しかし、国王である父までもがシルヴィオの顔色を伺う状況になっては、国王としての威厳を失ってしまう。
何より、愛してもいないリリーディアを大切に扱うなど、耐えられなかったのかもしれない。
だから、シルヴィオの脅威を排除するために父は動いたのだ。
これ以上、リリーディアが王女としての地位を確立する前に。本気で彼が王家に牙をむく前に。
そして、父王はリリーディアを使ってシルヴィオに魔術封じを施すことに成功し、思わぬ収穫を得た。
無能だと思っていたリリーディアの血が、特別なものだと知ったのだ。
「ふ、ふはは、私の愛しい妻が死んだのは、やはりお前のせいだ。化物を産んだことに耐えられなかったのだろう。お前は、彼女を殺したことをその命で償うんだ」
父は、母を愛していた。きっと、父は母の不貞など疑っていなかった。
しかし、周囲は魔力のないリリーディアを見て、不貞の噂を広め、母は追い詰められた。
そして、自ら死を選んだ。
リリーディアをおいて。
愛する人を失った父の悲しみや怒りは、すべて元凶であるリリーディアに向けられた。
最初から、この血が特別なものだと知っていたら、母は生きていたかもしれない。
だが、今更この身に流れる血が特別なのだと知ったところで、母は生き返らない。
だから、父はリリーディアが特別だと知った今も変わらず憎んでいるのだ。
「ごめんなさい……」
どうして、自分は生きているのだろう。
こんな苦しいをして、父を苦しめて、生きていくことに何の意味があるのだろう。
母も、同じように苦しんで、死を選んだのだろうか。
しかし、父は残酷な命令を告げる。
「お前はその血をこの国に捧げるんだ。死ぬことは許さない」
リリーディアは、母のように死を選ぶことは許されない。
愛する人を失う悲しみは、どれほどのものだろう。
もし、シルヴィオがこの世界からいなくなってしまったら?
想像するだけで苦しくて、心が壊れてしまいそうだ。
――父のように。
(シルヴィオは、ちゃんと生きている?)
いつも考えるのは、シルヴィオのことばかりだった。
魔術封じの術は自力では解けないものだ。
だからこそ、父はシルヴィオを生かしたまま国外追放を許した。
魔術を使えないただの人ならば、恐れることはないからだ。
国を追い出され、一人で、魔術も使えず、シルヴィオは無事だろうか。
自分のことよりも、リリーディアはシルヴィオが心配だった。
しかし、この国にいれば処刑されるのだから、国外で生きていることを信じるしかない。
「サウザーク帝国が攻めてきた!?」
「すぐに魔素濃度の高い血を集めろ!」
どれだけの月日が経っただろう。
ある時、魔術師たちが慌てて実験室へやってきた。
リリーディアは、自分で立つこともままならないほど、体が弱っていた。
毎日血を抜かれ、その代わりのように与えられるのは魔獣の血肉。
吐くことは許されず、食べるまで終わらない。
リリーディアは魔物の血肉と治癒魔法で生き延びていた。
どんどん自分の体が人ではなくなっていく恐怖と、ずっと続く貧血症状で、リリーディアはいつからか思考を止めていた。
自我を捨てなければ、地獄の日々を生きていくことはできなかった。
しかし、この日は違った。
城の敷地内で破壊音が響き、どこかで悲鳴が上がっていて。
それはこの実験室にも近づいてきた。
「どうして、お前が……魔術封じをしたはずだろう!?」
「邪魔だ」
部屋の外で、忘れるはずのない人の声が聞こえた。
どうして彼がここに、という疑問よりも先に体が動く。
リリーディアは立ち上がり、魔術師が実験で使用していた銀のナイフを手にとった。
(こんな醜い私を、シルヴィオに知られるくらいなら……)
死んだ方がましだ。
魔物の血肉を食べて生き長らえている、本物の化物は自分だ。
大好きな人に、醜い化物だと知られたくない。
――あぁ、私は本当にあなたに酷いことばかりを言ってしまったのね。
シルヴィオがリリーディアのためにこの国に帰ってこないよう、嫌われるためだった。
それでも、大切な人から言われる侮蔑の言葉は心に大きな傷を作る。
シルヴィオに拒絶されるなんて、リリーディアは耐えられない。
リリーディアが自らの首元にナイフを突き立てようとした時――。
「リリーディア!」
シルヴィオがリリーディアを見て、怒りにも似た叫び声を上げた。
久しぶりにシルヴィオに名前を呼ばれた。
――二人だけの時は、リリーディアって呼んでもいいわよ。
そう許していたのに、シルヴィオが名を呼んでくれたのは、最初の頃だけだった。
いつからか、「姫」と呼ぶようになって、シルヴィオが名前を呼ぶことはなくなった。
きっと、リリーディアの立場を考えてくれていたのだろう。
けれど、今はもうシルヴィオはリリーディアの従者ではない。
「来ないで! 近づかないで!」
拒絶の言葉を投げても、シルヴィオはこちらへ向かってくる。
「どうして、戻ってきたの?」
「言っただろう。必ず迎えに行くと」
「私には、もうあなたなんて必要ないのに!」
そう強く拒絶した時、銀のナイフが首に当たった。
少し当たっただけで、簡単に皮膚が切れる。
大量の血が求められた時は、このナイフで体中を切られていた。
もう痛みすら、鈍くしか感じられない体になった。
そんなことをふと思い出した瞬間、シルヴィオの手にナイフを奪われる。
「そんな嘘を俺が信じるはずないだろう!? 何てことをしているんだ!」
嬉しかった。思わず、目から枯れていたはずの涙がこぼれた。
シルヴィオのぬくもりに触れて、彼の美しい金の双眸に自分が映っていて。
リリーディアの傷を心配してくれている。
実験で血を流すことが当たり前だったから、誰も心配なんかしてくれなかった。
化物のリリーディアを本気で心配してくれるのは、やっぱりシルヴィオだけ。
リリーディアが酷いことを言ったのに、こうして迎えにきてくれるのも。
けれど。
「私にはもう、あなたと生きる資格はないわ」
シルヴィオを欲しいと願った時、すべてをかけて守ると決めた。
それなのに、リリーディアは彼を捨てることでしか守れなかった。
シルヴィオはリリーディアに多くのものをくれたのに返せるものもなく。
彼を自分の人生に巻き込んでおいて、一方的に手放した。
今更、一緒に生きられるはずがない。
彼をもう一度望んでいいはずがない。
(それに、私は正真正銘の化物になってしまった……)
この体には魔物の血が流れている。
頭の先から足の先まで、きれいなところなんてひとつもない。
対するシルヴィオは変わらずとても美しくて、見惚れてしまう。
「だから、お願い――シルヴィオ、私を殺して」
シルヴィオは、リリーディアのお願いに弱かった。
一緒に過ごした日々を思い出し、リリーディアは微笑んだ。
人生最期のお願いだ。
どうか、叶えて。
「……分かった」
とても硬い声で、苦悶の表情で、シルヴィオは頷いた。
リリーディアはほっと息を吐く。
「最期にシルヴィオの顔が見られてよかった。ありがとう」
醜い自分を知られることなく、彼が知る姫のまま、死ぬことができる。
リリーディアはにっこりと心からの笑みを浮かべた。
「大丈夫。優しく殺してあげるから」
シルヴィオの優しい声が耳元で囁かれて、リリーディアの意識は暗闇へと落ちていった。
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