エピローグ
その愛と幸せに
優しい風が吹くと、ハナミズキの花びらが舞った。
白い花弁が舞う様はとても美しく、リリーディアは思わず目を細める。
「きれいだ」
金の瞳を甘くとろけさせて、リリーディアをエスコートするシルヴィオが言った。
その視線があまりに熱っぽいせいで、ハナミズキではなく自分に向けられた言葉だとさすがに分かってしまう。
今、リリーディアが着ているのは、柔らかな白を基調としたウエディングドレス。
首から肩にかけて精緻なレースの花模様が露出した肌を上品に見せ、胸元から腰までの生地には小さな宝石がきらめく。
スカート部分にはたっぷりのフリルとレース。
キャラメル色の髪は複雑に編み込まれたアップスタイルで、ダイヤモンドが埋め込まれたティアラが輝く。
そして、リリーディアの手には、ハナミズキを引き立てるようにピンクや黄色の花で作られたブーケがある。
ハナミズキには、魔素を抑える効果があるらしい。
そう教えてくれた魔術師は今、リリーディアの夫として隣に立っている。
リリーディアと対になるデザインの白いタキシード姿。
プラチナの髪はオールバックにセットしているため、神秘的な金の瞳も、整いすぎた顔も露わになっている。
初めて見た時は、あまりのかっこよさに思わず息をするのを忘れていた。
彼の胸ポケットに咲く花も、ハナミズキ。
ハナミズキの花言葉は、“私の愛を受け止めてください”。
(私、本当にシルヴィオと結婚するのね)
シルヴィオを愛している。そして、彼もリリーディアを愛してくれている。
すでに結婚は認められ、互いに夫婦だと認識しているにも関わらず、改めてリリーディアがそう実感するのは、今日が結婚式だから。
「リリーディア。このまま君をさらって閉じ込めたい」
実際に記憶を奪われて、閉じ込められた経験があるリリーディアは、シルヴィオの言葉が本気だと分かる。
しかし、だからといって実行するとも思わない。
「私はシルヴィオと結婚式がしたいけれど、シルヴィオは違うの?」
「……いや、今の言葉は忘れてくれ。俺だって、リリーディアとの結婚式を楽しみにしていたんだ」
「ふふ、知っているわ。こうして結婚式を挙げられるのは、シルヴィオのおかげだもの」
ここは、旧クラリネスの王城があった場所。
シルヴィオがクラリネス王城を破壊したため、現在はきれいさっぱりなくなっている。
そこに、シルヴィオが今日のためだけに魔術で教会を建てたのだ。
壁や天井などすべてがステンドグラスで創られた教会は陽光を受けてきらきらと輝き、幻想的で、とても美しい。
クラリネス王国内にある教会や大聖堂を視察の時にシルヴィオが見に行っていたけれど、結局どこも候補止まりだったようだ。
理由を聞くと、彼はきれいな笑みを浮かべてこう言った。
――リリーディアのためだけの結婚式にしたいから。
王族や貴族が結婚式を挙げるとすれば、歴史ある教会や大聖堂だろう。
リリーディアも当然、そういった場所で結婚式をするのだと思っていた。
しかし、シルヴィオはそこが納得できなかったらしい。
他の誰かの結婚式を記憶している場所は嫌だ――と。
そして、リリーディアが大好きだった絵本に出てくる魔法の教会と同じ、いや、それ以上に素敵な教会を魔術で創ってくれた。
「ありがとう、シルヴィオ」
にっこりと微笑み礼を言うと、シルヴィオはふいと顔を逸らした。
ちらりと見えた頬は赤く染まっているような。
照れているシルヴィオを可愛いと思った時、ステンドグラスの教会から入場の音楽が聞こえてきた。
「それではいきましょうか。俺の姫」
「えぇ」
リリーディアが頷くと、教会の扉がゆっくりと開いた。
奥の祭壇へと続くまっすぐ伸びた道は淡く光り輝き、二人の未来を明るく照らす。
*
この結婚式は、旧クラリネス王国の貴族と国民の隔たりなく参加を認められている。
だからこそ、共同統治者である二人の姿を見ようと多くの者が出席していた。
たった数日で建った幻想的な教会にやってきた者たちは、共同統治者の一人である魔術師がいかに大きな力を持っているのかを嫌でも実感する。
とにかく魔力の圧がすごいのだ。
そのせいで、入場してきた花嫁の姿を見ようにも視線を動かすこともままならない。
サウザーク帝国の魔術師団から参列している者たちでさえ、苦笑いを浮かべていた。
――どれだけ花嫁姿を見られたくないんだよ、と。
それでいて、その美しさを褒め称えなければ機嫌が悪くなってしまうので、共同統治の補佐として旧クラリネスに連れて来られた部下たちはたまらない。
しかし、そんな心の狭い上司と違って、妻のリリーディアはとても優しく、シルヴィオを止められる唯一の人なので、皆にとって女神のような存在だった。
そのせいで、こうして圧力をかけられることになっているのだが、当の女神は参列者に圧力がかけられていることなんて知らないのだろう。
シルヴィオのエスコートで祭壇までたどり着くと、音楽が止んだ。
祭壇に司祭はいない。
自分たちの結婚は、神に誓うものではなく、互いに誓い合うものだから。
そして、その誓いを皆に知ってもらうためのもの。
これは、二人で決めたことだ。
リリーディアとシルヴィオは向き合い、互いの瞳を見つめる。
「私は、リリーディアを生涯の妻とし、愛し続けることを誓います」
「私は、シルヴィオを生涯の夫とし、愛し続けることを誓います」
まさかこんな風に、多くの人の前で結婚式ができるなんて思っていなかった。
役立たずの王女だと蔑まれ、魔素の実験に利用され、死を選ぼうとしたあの時の自分には、想像もできなかった未来。
それはすべて、リリーディアを諦めず、記憶を奪っても、恨まれてでも生きていて欲しいと願い、側にいてくれたシルヴィオのおかげ。
シルヴィオとの出会いからこれまでのことを思い出し、リリーディアの瞳にはいつの間にか涙が浮かんでいた。
人前だということも忘れて、感極まったままに言葉を紡ぐ。
「愛しているわ、シルヴィオ。私の命も、未来も、すべてはあなたと共にあるわ」
「リリーディア。俺も同じだ。俺が生きる意味は君だから」
見つめる金の瞳から、美しい涙がこぼれ落ちる。
その雫をそっと拭うと、「泣かないつもりだったのに……」とシルヴィオが拗ねたように呟く。
とても愛おしくて、リリーディアの涙も溢れてくる。
リリーディア以上に、シルヴィオはこれまで多くの困難を乗り越えてきただろう。
離れていても、彼はただリリーディアと共に生きる未来を目指して進んできた。
だからこそ、今この時がある。
そうして、惹かれ合うように二人は口づけた。
参列者からは、祝福の拍手が鳴り響く。
直後、ステンドグラスの教会は眩い光を放ち、そのすべてが花弁に変わる。
ふわりと舞う風とともに祝福のフラワーシャワーが降り注ぐと、一瞬のうちに人々は花咲く庭園の中にいた。
主役二人の装いも、華やかなものに変わっている。
リリーディアは花の刺繍が入ったピンクのドレスに、シルヴィオは金の刺繍が入った白銀のタキシードに。
「皆様、本日は私たちの結婚式にお越しいただきありがとうございます。私たちが互いを想い合うように、この旧クラリネスの地を二人で守っていくことを誓います」
シルヴィオが参列者に向かって誓う。
リリーディアも、シルヴィオに続けて皆へ言葉をかける。
「そのためには、皆様のお力添えが必要です。どうか、これからも見守っていてください」
一度クラリネス王国に攻め入り、城を落とした魔術師と悲劇の王女の結婚式だ。
皆が皆、祝福してくれるなんて甘いことは考えていない。
それでも、少しでも伝えたかった。
自分たちはこの地を支配するためにいるのではなく、守るために存在するのだと。
そしてそれは、愛する人と生きていく未来を守ることに繋がるはずだと。
「シルヴィオ様、リリーディア様に祝福あれ!」
「旧クラリネスに幸あれ!」
どこからか、そんな声が聞こえた。
「ご結婚おめでとうございます!」
「どうか、お幸せになってください!」
大きな拍手とともに、祝福の言葉も聞こえてくる。
まずは、一歩を踏み出した。
これからも、少しずつ歩んでいく。二人で。
「姫」
そっと呼びかけられたその呼称は、耳に馴染んでいて。
「俺の力は、あなたの望むものを与えられましたか?」
――その魔力ごと、あなたを私にちょうだい!
あの日の自分の選択は、何も間違っていなかった。
先に手を伸ばしたのはリリーディアだった。
いつしか親愛は強い愛となり、二人を縛り付ける鎖になった。
辛い記憶を忘れて、幸せだけを閉じ込めた檻に囚われていた日々も、心を癒すためには必要な時間だったと今なら思える。
「えぇ。望んでいた以上のものをくれたわ」
シルヴィオ、大好き。
そう囁いて微笑めば、シルヴィオから甘すぎるキスの雨が降ってきた。
「これからも、あなたの望むものはすべて俺が与えてさしあげます」
「もう十分すぎるほど貰っているけれど?」
「いえ、俺の愛はまだ伝えきれていないので」
「え?」
――だから、覚悟してね。
愛と祝福で幸せいっぱいの結婚式の日は、リリーディアの記憶に深く刻まれた。
そして、これからも、最愛の夫からの愛に囚われて、幸せな未来を共に歩いていく。
【改稿版】記憶喪失の姫は偽りの従者の執着愛に囚われる 奏 舞音 @kanade_maine
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