くたりと力が抜けた体を抱きしめて、そのぬくもりを感じて、シルヴィオはほっと息を吐く。

 華奢な体は少しでも力を入れれば壊れてしまいそうだが、たしかに鼓動を刻んでいる。

 生きている。ちゃんと生きて、シルヴィオの側にいる。

 そのことに安堵し、シルヴィオはリリーディアの体を抱き上げた。

 ベッドまで運び、その額に口づける。

 リリーディアの唇は狂おしいほどに甘かった。

 一度知ってしまえば、際限なく奪ってしまいたくなるほどに。


「あの言葉は、本心ですか?」


 きっと聞き間違いだ。

 願望が強すぎて、幻聴が聞こえたのかもしれない。

 シルヴィオが何をしたか知った上で、好意的な言葉が出てくるはずがない。

 今のリリーディアの記憶を消せば、もう一度最初からやり直せる。

 何も知らないままのリリーディアとの日々を。

 けれど、どうしても。

 術を発動させようとする手が止まってしまう。


 ――だいすき。


 リリーディアが気を失う直前に言った言葉は。

 ずっと、聞きたかった言葉だったから。

 もし、今ここで記憶を封じてしまったら、泣かせて、怖がらせたシルヴィオのことを好きだというリリーディアには、もう二度と会えないかもしれない。


「……姫は、本当に酷い人ですね」


 眠るリリーディアの頭を優しく撫でながら、シルヴィオは顔を歪めた。

 リリーディアの願いなら、何でも叶えてあげたい。

 リリーディアの幸せが、シルヴィオの望みだから。

 けれど、封じた記憶を戻すことだけは、絶対にできないのだ。

 彼女の記憶を奪ったあの日を、シルヴィオは忘れたことがない。


 ***


 サウザーク帝国の魔術師として、クラリネス王国の城を落とした時、シルヴィオはまずリリーディアを探した。

 そして、彼女を見つけた瞬間に、シルヴィオは衝撃を受けた。

 リリーディアは自らの首にナイフを突き立て、死のうとしていたのだ。


「リリーディア!」

「どうして、戻ってきたの?」

「言っただろう。必ず迎えに行くと」

「私には、もうあなたなんて必要ないのに!」


 力んだせいで、リリーディアの首筋には赤い線が走る。

 彼女の白い肌に血が垂れた。


「そんな嘘を俺が信じるはずないだろう!?」


 必要ない、という言葉が嘘だということはすぐに分かった。

 優しいリリーディアが、本心でそんなことを言えるはずがないのだ。

 しかし、国外追放される者は例外なしに魔術封じの術が刻まれる。

 あの時のシルヴィオは無力だった。

 王女であるリリーディアを守れるだけの力がなかった。

 だから、いつか力を付けてリリーディアを迎えに行くと決めた。

 クラリネス王国から彼女を奪い、共に幸せになろうと。

 シルヴィオの言葉に、リリーディアが涙を浮かべる。


「私にはもう、あなたと生きる資格はないわ」


 だから、お願い。

 そう言って、彼女はすべてを諦めたような目をして微笑んだ。


 ――シルヴィオ、私を殺して。


 リリーディアのために生きてきた男に、その命を奪えというのか。

 なんて酷いことを言うのだろう。

 シルヴィオは言いようのない憤りと悲しみにかられた。

 しかし、シルヴィオが手を出さなければ、リリーディアは自らその命を絶つのだろう。

 それならば、シルヴィオに選択肢は残されていなかった。


「分かった」


 シルヴィオが震える声で頷けば、ほっとしたように息を吐いて。


「最期にシルヴィオの顔が見られてよかった。ありがとう」


 出会った時のような眩しい笑顔を見せる。

 死を覚悟した人間とは思えないほどに、明るい笑顔。

 シルヴィオは無性に泣きたくなった。

 せっかく迎えに来たのに、シルヴィオを選ばずに死のうとするなんて。

 今この瞬間、シルヴィオは本当に捨てられたのだ。 


「大丈夫。優しく殺してあげるから」

 

 シルヴィオに身を委ねて目を閉じたリリーディアに、シルヴィオは高難易度の魔術を発動した。

 記憶を封じるための魔術を。

 リリーディアの人生の記憶をすべて消してしまえば、シルヴィオが愛した彼女を殺したことと同義だろう。


「……もう一度、やり直そう。俺があなたに拾われて、従者になったはじめから」


 今度こそ、リリーディアに死を選ばせたりしない。

 そのために、シルヴィオはリリーディアを死においやったものすべてを壊した。

 何ものにも邪魔されない世界で、二人だけで生きていこう。

 シルヴィオの望みは、リリーディアの幸せ。

 彼女が生きている世界。彼女の笑顔。

 愛されたいなんて贅沢は望まないから、どうか生きていてほしい。

 もう絶対に、死にたいなんて思わないように。

 甘くて優しい世界を作るから。

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