3
読んでいた本を閉じた時、ノックの音がした。
返事をすると、シルヴィオが笑顔で入ってくる。
その手にはお菓子を乗せたトレーがあり、もうおやつの時間かとリリーディアは時計を見た。
振り子時計は午後三時を指している。
「姫、今日は何を読んでいたのですか?」
「眠り姫の物語です」
「面白かったですか?」
「はい。愛する王子様に救われて、ハッピーエンドだったからとても安心しました」
「そうですか。それはよかったですね」
目覚めてから、一週間が経っていた。
屋敷から出ることができないリリーディアのために、シルヴィオはたくさんの本を用意してくれた。
以前のリリーディアの趣味は読書だったのだという。
文字が読めるか不安だったが、日常生活に関わることは覚えているようだ。
だから、文字の読み書きも、食事のマナーも、ドレスの着替えも、シルヴィオに教えてもらうまでもなく、自力で何とかできた。
その日から、リリーディアの日課は読書になった。
そして、シルヴィオはといえば、リリーディアが読書をしている間にお菓子を作ったり、屋敷の掃除をしたり、買い出しに行ったり、料理をしたり――忙しく動き回っている。
この屋敷には、シルヴィオ以外の使用人はいない。
すべてを一人でこなすシルヴィオに、リリーディアも何かできることはないかと申し出たが、断られてしまった。
療養中の姫に頼める用事などない――と。
それが少し寂しかったが、シルヴィオはいつもリリーディアの側にいてくれる。
「このクッキー、花が咲いているわ!」
テーブルの上に並べられたクッキーには、紫の花が咲いていた。
見た目も可愛いクッキーに興奮し、思わずリリーディアは声を上げる。
「姫が喜ぶだろうと思って、食用の花を育てていたんですよ」
紅茶を淹れると、シルヴィオも向かい側に座った。
二人しかいないこの屋敷で、主従が同じテーブルにつくことを咎める者はいない。
三時のティータイムも、朝食と夕食も、リリーディアはシルヴィオと食卓を囲っている。
そうして二人で他愛ない話をすることが、とても好きな時間だった。
「食べられるお花があるなんて、驚きました。でも、可愛くて食べるのがもったいないわ」
「その花は姫に愛でてもらえて幸せですね。羨ましいです」
「ふふ。大げさです」
「本心ですよ。でも、せっかく作ったので、愛でるばかりでなく是非食べてみてください」
一瞬、シルヴィオに向けられる視線を熱く感じて、胸がきゅっと締め付けられた。
しかし、シルヴィオはすぐにいつもの柔和な笑みを浮かべてしまう。
気のせいだ。
リリーディアは胸に残る切なさを忘れるように、花のクッキーを手に取った。
「ん、美味しいっ」
花のクッキーは、ほんのりと花の香りが広がって、リリーディアの不安を消し去るような甘く優しい味わいだった。
「こんなに可愛くて、美味しいクッキーが作れるなんて、本当にすごいですね」
「俺は別にすごくないですよ。でも、姫のお口に合ったようで何よりです」
そう言って微笑み、シルヴィオもクッキーを口にする。
二人でクッキーを頬張り、紅茶を飲む。
ゆったりとした穏やかな時間が流れていた。
「……あの、私が本を読んでいる間、シルヴィオは何をしていたの?」
ここ数日で努力していることの一つに、シルヴィオへの敬語をやめることがある。
敬語で話す度に、シルヴィオが少し寂しそうな顔をするから、呼び捨てと敬語なしで話すように練習しているのだ。
「俺はいつも姫のことばかり考えていますよ」
愛の告白のような言葉を真剣な眼差しで言われてしまい、心臓が暴れ出す。
「そ、そういうことを聞いているのではなくて……!」
何故だかとても顔が熱い。
リリーディアが赤く染まった顔で否定すると、シルヴィオは楽しそうに笑う。
きっと、からかわれたのだ。
悔しくなって、リリーディアは唇を尖らせる。
「姫はどんな表情をしても可愛いですね」
「……~~っ!?」
恥ずかしくなって、リリーディアは両手で顔を覆う。
しかし、シルヴィオの手がそれを阻んだ。
「隠さないでください。可愛い姫を独り占めできるのは、従者である俺の特権ですから」
その一言でさらに顔は熱くなり、心臓は鼓動を速める。
リリーディアはいっそ気絶してしまいたかった。
(だ、駄目よ。ここで気絶したら、また大変なことになるわ)
この一週間で気づいたことだが、シルヴィオはリリーディアに過保護すぎる。
階段でつまずいただけでシルヴィオのエスコート(お姫様抱っこ)でなければ屋敷内を歩けない日もあったし、少し咳込んだだけで一日中ベッドに張り付かれたこともあった。
新しいドレスを着た日には世界で一番可愛いと絶賛されて、なんだかとても恥ずかしい思いをした。
もしここで気絶したら、またベッド生活に逆戻りだ。
せっかく最近は屋敷の中を歩いてもいいと許可をもらったのに。
「そ、そういうことを言うのはやめて」
「どうしてですか?」
「は、恥ずかしいから!」
「恥ずかしがっている姫も可愛いのでやめられません」
駄目だ。何を言っても甘い言葉が返ってきてしまう。
リリーディアは内心で頭を抱えた。
いっそ作戦を変えるべきかもしれない。
「……シルヴィオは、意外と意地悪ですね」
リリーディア絶対主義者の節があるシルヴィオの手綱を握るためには、少しばかり冷たい態度も必要かもしれない。
そう思い、リリーディアはため息を吐いて顔を背けた。
本気でシルヴィオを傷つけてはいないかとドキドキしながら。
「姫、怒りましたか?」
つい先程までの態度が嘘のように弱々しい声が聞こえてきた。
効果はあったようだ。
ほんの少しの罪悪感はあるけれど、シルヴィオの過保護ぶりに困っているのも事実。
リリーディアは覚悟を決めて口を開く。
「べ、別に怒ってはいません。ただ、シルヴィオは私を甘やかしすぎですわ!」
「そんなの当たり前ですよ。姫をたっぷり甘やかすのが俺の仕事ですから」
幸せそうに笑うシルヴィオを見て、リリーディアの心はズキンと痛んだ。
そうだ。シルヴィオがリリーディアの側にいるのは、従者で、仕事だから。
どれだけ甘やかされても、勘違いしてはいけない。
仕えるべき姫を彼は誠実に大切に守ってくれているだけ。
療養生活の世話についても、きっと給金が払われているはずだ。
この関係は、仕事上のもの。
気づかないふりをしていたこの事実に、心が悲鳴を上げている。
シルヴィオが今のリリーディアの世界のすべてだから。
それに――。
(私は、シルヴィオのことが……きっと、昔から)
彼に抱く気持ちは同じだったはずだ。
そうでなければ、目覚めてすぐに出会った人にこんな感情抱かない。
シルヴィオのことが好き――好きになってしまった。
かつての自分の感情に、少しだけ触れた気がした。
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