4
療養している屋敷は二階建てで、一階に食堂や応接間、キッチンや洗い場があり、二階に浴室付きの主寝室、客間などの部屋がいくつかある。
リリーディアが過ごしている主寝室は、浴室と応接間付きでとても広い。
シルヴィオの部屋は隣だが、いつも鍵がかかっている。
散らかっていて見せられる状態ではないと彼は言うが、どの仕事も器用に丁寧にこなすシルヴィオが部屋を片付けられないなんてあり得ない。
きっと、仕事で仕えている姫には私的空間を見られたくないのだろう。
いつも優しいシルヴィオだが、どこかリリーディアに一線を引いているような気がする。
それがとても寂しいけれど、仕方がないのかもしれない。
リリーディアはシルヴィオが仕えるただの姫なのだから。
しかし、この関係だからこそ、シルヴィオと一緒にいられる。
他の誰にも邪魔されず、二人だけで。
(ふふ、シルヴィオは驚くかしら)
屋敷の裏手に広がっている庭園で、シルヴィオは花だけでなく野菜も育てている。
そして今、リリーディアは畑仕事をする彼の様子をこっそり見に行こうとしていた。
読書ばかりでは体力がつかないし、畑仕事をしたいなんて言えばシルヴィオに反対されることは分かっている。
だが、こっそり見るくらいならば許してくれるだろう。
そんな希望を持って、裏手の扉に手をかけた時。
「姫? どうしてここにいるのですか?」
扉が開かれて、土に汚れた白シャツと黒いズボン姿のシルヴィオが目の前にいた。
普段のシルヴィオは、首元まできっちりボタンをとめて、紳士服を着崩したりせずに着こなしている。
しかし今は作業のためか首元はくつろげ、腕まくりをしていて、男らしい鍛えられた筋肉が垣間見える。
土と汗の匂いが混ざり合い、ほんの少しの色香も漂っていて。
(……か、かっこいいっ!)
リリーディアは、いつもとは違うシルヴィオの姿に思わず見惚れて固まっていた。
プラチナのように輝く白髪も、金の双眸も、甘い言葉を紡ぐ形良い唇も、汗が輝く首元も、男らしい腕も、シルヴィオを形作るものすべてにドキドキしてしまう。
美青年は畑仕事をしても美しく、男らしさまでプラスされて、とんでもない破壊力を持つらしい。
「姫?」
じっと黙り込んだリリーディアを見て、シルヴィオが訝し気に問う。
「もしかして、体に異変が?」
「ち、違うの! えっと、その……シルヴィオの様子を見に来たの!」
「俺の様子を?」
「そうよ」
コクリと頷くと、シルヴィオは花開くように笑みを浮かべた。
「嬉しいです。姫から俺に近づいてきてくれるなんて……」
想像していた以上に喜んでもらえて、リリーディアも嬉しくなった。
自分が会いに来ただけでこんなに喜んでもらえるなんて。
そして、自分がどれだけ受け身だったのかに気づく。
「シルヴィオ。いつも、ありがとう」
リリーディアのために料理を作り、本を用意し、屋敷を管理し、側にいてくれる。
たとえ仕事だとしても、そのすべてにシルヴィオからの親愛を感じた。
心からリリーディアを案じ、大切に守ってくれようとしている。
過保護なのも、その思いが強すぎる故だろう。
好きだという気持ちを伝えることはできないが、日頃の感謝を伝えることは必要だ。
自分は彼の主であるのに、彼の働きを労う言葉をかけていなかった。
リリーディアは胸の内で反省する。
「私が記憶を喪っても何不自由なく療養生活ができているのは、シルヴィオのおかげだわ。本当にありがとう」
リリーディアは心からの感謝を込めて、シルヴィオに笑顔を向けた。
しかし、シルヴィオからは笑顔が消え、不自然に顔を背けられた。
「シルヴィオ……?」
「すみません。でも俺は、姫にお礼を言われるようなことは、何もしていないので……」
聞こえてきたのは掠れたようなシルヴィオの声で、リリーディアはそれ以上何も言うことができなかった。
数秒もすればいつも通りの笑顔を浮かべていたけれど、リリーディアは彼の何かを傷つけてしまったのかもしれない。
記憶喪失の自分には、分からないことが多すぎる。
(シルヴィオはいつも幸せそうに笑ってくれるけれど……)
記憶喪失で、自分のことすら分からない姫の世話なんて、嫌ではないのだろうか。
たった一人ですべてをこなす彼には休みなんてものはない。
他の人に頼めないのかと聞いたこともあるが。
――姫は俺が側にいるのは嫌なのですか?
と、本気で悲しそうな顔をするものだから、嫌な訳がないと正直に答える他なかった。
シルヴィオが心配なのだと言っても、「姫がいれば幸せですから」と笑みが返ってくる。
その言葉に嘘はないと思うが、あくまでも従者としての忠誠だろう。
そう思わなければ、勘違いしてしまいそうになる。
シルヴィオほどの美青年なら、女性が放っておくはずがない。
きっと引く手あまただろうに、シルヴィオはリリーディアのために時間を捧げている。
リリーディアがシルヴィオの幸せを奪ってはいないだろうか。
こんな森の中に引きこもらなければならない王女の従者でなければ、恋愛も自由にできたかもしれないのに。
時々、シルヴィオが見せる切なそうな表情が、リリーディアは気になって仕方なかった。
もしかしたら、王都に好きな人がいたのだろうか。
リリーディアのせいで、離れ離れになっているとしたら?
そんな想像をしてしまったせいで、ズキズキと胸が痛む。
しかし、シルヴィオはリリーディアに過保護であるが故に、記憶に繋がるような過去のことは何一つ教えてくれない。
――姫にとって必要な記憶なら、きっと自然に思い出せますから。
そう言って、少しだけ悲しそうに笑うのだ。
シルヴィオが悲しむ理由も、リリーディアが思い出すべきことも何も分からないまま、ただ時間だけが過ぎている。
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