5
壊れないよう慎重に、そっと撫でてくれる優しい手が好きだ。
深い眠りから意識が浮上すると、真っ先に思い浮かんだのはそんなことで。
リリーディアは目を開けて、すぐ側で自分の眠りを見守っていた従者を見つめた。
「お目覚めですか、姫」
いつもと変わらない笑顔。いつもと変わらない口調。
リリーディアも、いつもと同じだと錯覚してしまいそうになる。
しかし、起き上がってみると、着ているワンピースは散歩に出た時のものだし、ベッドの近くに揃えて置かれた靴は茶色の編み上げブーツだ。
(あれは、夢じゃなかったのね……)
サウザーク帝国の魔術師クロエがシルヴィオに会いに来たこと。
彼女が話した言葉は断片的にしか思い出せない。
ただ、はっきりと覚えているのは……。
――あなたが従者だと信じているシルヴィオは、あなたの従者ではないわ。
シルヴィオが従者ではないと彼女は断言していた。
サウザーク帝国の魔術師が何故、シルヴィオのことを知っているのか。
そもそも、サウザーク帝国とはどこの国だろう。
クラリネス王国とはどんな関係があるのか。
自分の国のことすらまだ何も分かっていないのに――。
リリーディアは知らないことが多すぎる。
考え始めると、頭がズキズキと痛みだす。
「うぅ……頭が、痛い……っ」
「姫っ! 大丈夫です、何も怖いことはありませんよ。俺が、あなたを守りますから」
――今度こそ。
頭をおさえるリリーディアをシルヴィオはそっと抱きしめた。
この優しい手が、リリーディアを傷つけることはない。
この優しい人が、リリーディアを騙すはずがない。
だんだんと頭痛が収まってきたが、リリーディアは甘えるようにシルヴィオの胸に頭を寄せる。
あたたかな温もりを感じながら、無理に思い出そうとするな――というシルヴィオの忠告を思い出していた。
シルヴィオはきっと、こうなることを予測していたのだろう。
本当にリリーディアのことを本人以上によく分かっている。
「シルヴィオ、お願いがあるの」
「はい。何でもおっしゃってください」
シルヴィオは優しい声音で頷いて、リリーディアを抱く腕に力を込めた。
鼓動すら聞こえるほど密着していることに、今更ながらリリーディアはドキドキしてしまう。
きっと、シルヴィオにもリリーディアの速すぎる鼓動の音が聞こえているだろう。
自分から近づいておいて、ひどく後悔した。
こんなにドキドキした状態では話ができない。
「……あの、まずは放してもらえる? もう大丈夫だから」
「嫌です。姫は大丈夫かもしれませんが、俺が大丈夫ではありません」
「えっ、シルヴィオ、どこか具合が悪いの?」
リリーディアが眠っている間に、彼に何かあったのだろうか。
もしかして、魔術師に襲われて怪我をしてしまったのか。
心配になり、リリーディアはシルヴィオの腕から抜け出して、その引き締まった体を触って確かめる。
外傷はなさそうだ。
それなら、とシルヴィオのきれいな顔を両手で包み、リリーディアはじっと観察する。
突然のリリーディアの行動に、金色の瞳が見開かれる。
(顔色は悪くなさそう……)
よく見てみると、少しだけ頬が赤いような気がする。
熱でもあるのだろうか。
リリーディアはシルヴィオの額に自分の額を当ててみる。
「熱もないみたいだけれど……」
一体どうしてしまったのだろう。
リリーディアにされるがままのシルヴィオなんて珍しい。
やはりどこか調子が悪いのだ。
いつもリリーディアのことばかりで、シルヴィオは自分の体調管理には無頓着なところがある。
今までも、誰にも言わずに一人で苦しんでいたかもしれない。
そう思うと、彼のことはリリーディアがちゃんと気にかけておかなければならないと心に刻む。
「シルヴィオ、どこが大丈夫じゃないの?」
「……姫が可愛すぎて、俺の心臓がもちそうにありません」
「え……っ?」
まっすぐにこちらを見つめる金の双眸は熱くて、甘い。
その熱に浮かされるように、リリーディアの頬も赤く染まる。
照れくさくて、顔を背けようとしたリリーディアをシルヴィオの両手が阻む。
仕返しとばかりに、シルヴィオはリリーディアの頬を優しく包み、じっと見つめてくる。
「姫は今、幸せですか?」
唐突に、そして真剣に、シルヴィオが問う。
大切な思い出も、悲しかった思い出も、他愛ない日常の思い出も、今のリリーディアには何もない。
記憶喪失になったことが不幸だと感じていたならば、リリーディアは今、幸せではないだろう。
しかし、記憶がないことに寂しさは感じても、不幸だとは思ったことはない。
だから、正直な気持ちをシルヴィオに伝える。
「えぇ。私はシルヴィオと一緒にいられて幸せよ」
心からの笑みを浮かべて頷くと、シルヴィオは泣きそうな顔をしてリリーディアを抱きしめた。
そのせいで、シルヴィオの顔が見えなくなってしまう。
(もしかして、シルヴィオが甘えてる?)
なんだか可愛い。
リリーディアは彼の背中に手をまわし、よしよしと撫でる。
しばらく大人しくリリーディアに撫でられていたシルヴィオだが、思い出したように抱擁を解く。
「それで、姫のお願いとは何ですか?」
「あのね、私にも掃除や料理を教えてほしいの」
「姫がするようなことでは」
「だからお願いしているの。私がシルヴィオと一緒に何かしてみたいのよ」
「……分かりました」
「ありがとう、シルヴィオ」
本当は、真実を教えて欲しいとお願いするつもりだった。
けれど、これだけリリーディアを大事にしてくれるシルヴィオが話さないのだから、もしかすると知るべきことではないのかもしれない。
少し考えるだけでも頭痛がするのだ。
シルヴィオが言うように、リリーディアに必要なことであれば、きっと自然と思い出せるはず。
それに、リリーディアは初対面のクロエの言葉よりも、シルヴィオを信じたい。
(いつか、話してくれるわよね?)
――シルヴィオと一緒にいられるなら、私はいつまでも待つから。
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