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シルヴィオの様子は気になったものの、リリーディアは大人しく屋敷へ戻っていた。
いつもと違う雰囲気のシルヴィオに、本能的に逆らってはいけないと感じたのだ。
(シルヴィオのあんな冷たい表情、初めて見たわ)
少し怖かった。
リリーディアに見せてくれる表情はいつも優しくて、甘いものだったから。
シルヴィオ自身が怖いわけではない。
自分の知らない彼がいることが怖かったのだ。
記憶のないリリーディアにとって、シルヴィオだけが頼りなのに。
シルヴィオは違う。
他の世界を知っている。リリーディアが知らない世界を、知っている。
彼が戻ってこなかったらどうしよう。
シルヴィオに限ってそんなことはあり得ないと信じられるほど、リリーディアはまだ彼のことを知らないことに気づいてしまったから。
リリーディアがシルヴィオについて考えているうちに、屋敷が見えてきた。
そして、屋敷の前に誰かがいることに気づき、リリーディアは首を傾げる。
(配達の方? それとも、お客様かしら?)
今まで、王女が療養中の屋敷に訪れる人は、物資を届ける配達人ぐらいだった。
そのすべてをシルヴィオが対応していたため、リリーディアはいつも物資を届けてくれる人の顔も見たことがない。
しかし、今はシルヴィオがいない。
配達人か客人かは分からないが、リリーディアが対応しなければ!
そう思い、リリーディアはその人に近づき、にこやかに声をかける。
「こんにちは。何か御用でしょうか?」
リリーディアの声に振り返ったその人は、金髪碧眼の美しい女性だった。
絵本で見た魔法使いが着るような黒いローブを身にまとっている。
ローブで隠れているはずなのに、豊満な胸のふくらみや腰のくびれが強調されるような着こなしは、同性のリリーディアが見てもドキッとするほど色っぽい。
「あなたがシルヴィオのお姫サマね」
親し気にシルヴィオの名を口にして、彼女は妖艶に微笑んだ。
(シルヴィオの知り合い……?)
ただの知り合いではなさそうだ。
彼の職場であるここまで訪ねてくるのだから。
一体、彼女はシルヴィオとどういう関係なのだろう。
クラリネス王国の王城に勤める人間であれば、王女であるリリーディアのことを知っているはずだ。
しかし、リリーディアが姫であることは知っている。
ただ会ったことがないだけで、シルヴィオが仕える主の存在を知っているということは。
シルヴィオと個人的な繋がりを持っているのだろうか。
そう。例えば、恋人とか――。
考えただけで、リリーディアの心はズキンと痛んだ。
無意識にシルヴィオを親しく呼ぶのは自分だけだと思っていた。
だから、自分以外がその名を呼ぶことをまだ想像すらしたことがなかったのだ。
シルヴィオにも親しい人がいてもおかしくはないのに。
思っていたより自分の心が狭いことに気づき、リリーディアはショックを受ける。
シルヴィオは従者という仕事として、自分の側にいるのだと分かっていたはずだった。
こんな風にショックを受けるのは間違いだ。
それでも、心は正直で、痛みを訴えてくる。
(こんな素敵な女性が相手だったら、私が敵うはずもないじゃない……)
色気溢れる美女と自分を比べたら、敗北感がすごい。
療養中であるリリーディアは、まず健康を取り戻すところから始めなければならないのだ。
自由に出歩くこともできない自分がもどかしくて、落ち込んでしまう。
しかし、シルヴィオを訪ねてきたであろう彼女をこのまま無視する訳にはいかない。
気を取り直して、リリーディアは彼女に話しかける。
「えっと……確かに私はシルヴィオの主で、クラリネス王国の王女リリーディアですが、あなたは……?」
「あら、ごめんなさいね。まだ名乗っていなかったわ。わたくしは、サウザーク帝国の魔術師クロエと申します」
クロエと名乗った女性は、軽く一礼した。
その所作まで美しい。
サウザーク帝国。当然ながら、リリーディアの記憶にはない。
しかし、クラリネス王国の王女であるリリーディアの従者に、サウザーク帝国の魔術師が一体何の用があるのか。
シルヴィオのいないところで、その答えを聞いてもいいのだろうか。
リリーディアは不安を覚えながらも、尋ねた。
「あの、サウザーク帝国の魔術師の方が何故、ここに……?」
リリーディアの問いに、クロエは驚いたように目を見開く。
そのきれいな顔からは笑みが消えていた。
そして、リリーディアをじっと見つめて黙り込む。
碧の瞳に探られるように見つめられ、居心地が悪い。
「えっと、クロエさん……?」
「ふふ。まさか、ここまでやるとはね……」
しびれを切らしてリリーディアが声をかけると、クロエは呆れたような笑みを浮かべた。
「いいことを教えてあげる、お姫サマ。あなたが従者だと信じているシルヴィオは、あなたの従者ではないわ」
「……何を言っているのですか? シルヴィオは従者です。私がこの屋敷で療養するためについてきてくれたんです」
「王女であるあなたのお付きが従者一人だけ? それこそ、おかしな話だわ」
「私が、望んだからです」
リリーディアとて、側にいるのがシルヴィオ一人であることに疑問を抱かなかったわけではない。
しかし、記憶を喪う前のリリーディアがシルヴィオ一人を側に置くことを望んだのだと聞いた。
大勢の人間がいると、緊張してしまうから――と。
過去の自分はそれほどシルヴィオを信頼していたのだろう。
記憶喪失という大きな問題が生じても心穏やかにいられるのは、シルヴィオのおかげだ。
今は、シルヴィオ以外の人との関わりが欲しいとは不思議と思わない。
好きだったから、彼を独占したいという想いもあったのかもしれない。
いや、あったはずだ。だって、クロエを前にした今のリリーディアも同じ気持ちだから。
「シルヴィオはお姫サマの絶大な信頼を得ているようだけれど、あなたはもう姫ですらないわ」
「それは、どういう、ことですか……?」
その先を聞くのが、とてつもなく恐ろしい。
リリーディアが得体の知れない恐怖に震えた時、あたたかな腕に後ろから抱きしめられた。
「姫っ!」
「……シルヴィオ」
シルヴィオが側にいる。
抱きしめてくれた温もりに安堵し、リリーディアは思わず涙を浮かべた。
シルヴィオは抱擁を解いて、リリーディアと目を合わせる。
「姫、もう大丈夫ですよ。何も心配はいりません。だから、少しだけ眠っていてください」
優しく微笑み、シルヴィオがリリーディアの頭をそっと撫でる。
聞きたいことはたくさんあるのに、その優しい手にすべてを委ねてしまう。
だんだんと瞼が重くなってくる。
(シルヴィオ、あなたは一体何者なの……?)
サウザーク帝国の魔術師が会いにくるほどの人物。
彼は、ただの従者ではない。
どこか遠くでシルヴィオがクロエを問い詰める冷たい声がした。
リリーディアの知らない、シルヴィオの一面。
しかし、彼らの会話を聞くことなく、リリーディアの意識は優しい夢の中へと誘われた。
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