コンコンコン、とノックの音が響く。

 リリーディアを閉じ込めているくせに、こういうところは律儀なのだ。


(そういえば、シルヴィオがノックをするのは私が起きている時だけのような気がするわ)


 シルヴィオは、リリーディアが眠っている時は平気で勝手に寝室まで入ってくる。

 しかし、リリーディアが起きて読書をしたり、刺繍をしたり、何かしている時には必ずノックの合図があった。

 今思い返せば、不思議だった。

 まるで、シルヴィオはリリーディアが起きているのか、寝ているのかを分かっているような。

 そんなこと、できるはずがない。

 否定したいのに、自信が持てない。


(私はずっと、シルヴィオに監視されていたの……?)


 記憶を奪われ、現実を隠され、この屋敷に囚われて。

 その上、一人の時間さえも監視されていたのだとすれば。

 ぶるりと恐怖に体が震え、リリーディアは自分自身を抱きしめた。


「姫、入りますよ」


 かちゃり、と鍵を開ける音がして扉が開く。

 何事もなかったかのように、シルヴィオはいつもの優しい微笑みを浮かべている。

 それがとても恐ろしかった。

 どうして笑えるのだろう。

 記憶だけでなく、リリーディアの自由を奪って満足しているから?


「今日はリラックス効果のあるカモミールティーをお持ちしました。冷めないうちにどうぞ」


 リリーディアを閉じ込めているのに、驚くほどにシルヴィオはいつも通りだった。

 警戒して怯えているリリーディアの方がおかしく思えてくる。


「姫? どうしたのですか?」


 金の双眸が、リリーディアに向けられる。

 心配そうにこちらを伺うその瞳には、仄暗い感情が垣間見えた。

 どうして今まで気付かなかったのだろう。

 彼はきっと、もうずっと前からその感情に苦しんでいた。


「シルヴィオこそ、私をどうしたいの?」

「姫?」

「私が生まれ育ったクラリネス王国はもうないのでしょう? クラリネス王国を滅ぼして、私の記憶を奪って、ここに閉じ込めて、それでシルヴィオは幸せになれるの?」


 リリーディアの問いに、シルヴィオの優しい笑顔が歪んだ。


「幸せですよ、俺は。姫とずっと一緒にいられるなら」


 そう言って、シルヴィオはリリーディアに手を伸ばす。

 その手から逃れるようにとっさに後ろに下がると、ソファの背もたれにぶつかった。


「俺は、姫以外何もいらないんです。だから、姫にも俺以外を知ってほしくない」


 シルヴィオはにっこりと微笑んでみせる。

 それがただの独占欲であったならば、リリーディアも胸をときめかせたかもしれない。

 シルヴィオに記憶を消され、祖国を滅ぼされたと聞く前であれば。


「……だから、記憶を奪ったの?」

「えぇ、姫には俺だけを見て欲しかったから」

「まさか、そのためだけに、クラリネス王国を……?」

「クラリネス王国の王は俺と姫を引き離した。その報いですよ」


 至極当然のように、シルヴィオは淡々と話す。

 そこに、いつもの優しさは感じられない。

 あまりの衝撃に、リリーディアは息をのんだ。


「俺が生きる意味は、姫だったのに……それを奪おうとする者は誰であろうと許さない」


 ――それが、たとえ姫であっても。


 シルヴィオの憎悪が一瞬剥き出しになった。


「シルヴィオ……もうやめて。私は思い出したいの」


 今にも消えそうなか細い懇願だった。

 彼の怒りや憎悪を受け入れたくても、リリーディアには記憶がない。

 分からない。理解できないのだ。

 シルヴィオがどうしてこれほどまでにリリーディアに強い感情を向けるのか。

 だから、思い出したい。シルヴィオを理解したいから。


「だから、お願い。私の記憶を戻して」

「姫のお願いでも聞けません」

「どうして……?」

「姫のためですよ」


 じりじりとシルヴィオに追い詰められていく。

 すでに逃げ道はシルヴィオの両手に塞がれ、リリーディアはソファに押し倒されたような形になる。


「私のため? 本当に?」

「そうです」

「でも、シルヴィオは……あなたを追い出した私を、憎んでいるのでしょう?」


 どくどくと鼓動が速まる。

 彼を追い出したのはリリーディアのはずなのに、彼はリリーディアを求めている。

 その理由が知りたい。


「姫」


 シルヴィオは恐ろしく冷たい声でリリーディアを呼んだ。

 きっと、あの質問はシルヴィオにとって禁忌だったのかもしれない。

 殺されるのだろうか。大好きだと思った人に。

 彼の望み通り、彼だけを記憶したまま。

 自分のことすら何も分からず。

 シルヴィオの手が、リリーディアの首にかかる。

 抵抗する気力はすでになかった。

 好きな人の恐ろしい姿を見たくなくて、リリーディアはぎゅっと目を閉じた。


「愛しています」


 そんな言葉が聞こえた直後、リリーディアの唇は熱いものに塞がれていた。

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