謁見の間にはすでに近衛兵が控えており、皇帝の玉座を守るように立っていた。

 まだ、皇帝アウディストの姿はない。

 リリーディアはシルヴィオと手を繋いだまま、玉座の前に控える。


(どうか、シルヴィオの要望を受け入れてくれますように……!)


 リリーディアが内心で祈っていると、近衛兵の一人が皇帝の入場を告げた。

 そっと頭を下げ、リリーディアは皇帝を待つ。


「面をあげよ」


 耳に心地よい、よく通る声だった。

 その声に導かれるようにして顔を上げると、玉座からこちらを見下ろす皇帝と目が合った。

 金色の長い髪と深い緑の瞳を持つその人は、とても穏やかな笑みを浮かべている。

 リリーディアが挨拶しようとしたのを遮って、シルヴィオが前に出た。


「陛下、お久しぶりです」

「シルヴィオ、待ちくたびれたぞ。あんな『やめます』だけの短いメモだけを残して君がいなくなったから、こちらは大変なことになっている。それに、君が攻め落としたあの国は非常に厄介だよ」


 たしかに魔術師団長ともあろう立場の人間が急にいなくなれば大変だったことだろう。

 しかし、皇帝の言葉は淡々としていて、怒りは感じられなかった。


「ですが、私は最初から目的を告げていたはずです。私に権力のある地位を得る機会を与えてくださった陛下には感謝していますが、私にとって大切なものはただひとつ――」

「そこにいる、クラリネス王国の王女か」

「はい」


 シルヴィオが答えると、皇帝の視線がリリーディアに向けられた。


「お初にお目にかかります。クラリネス王国第二王女リリーディアと申します」


 緊張しながらも、リリーディアは皇帝に挨拶する。

 久しぶりの公の場であるが、うまくできているだろうか。


「サウザーク帝国皇帝アウディストだ。王女も今まで大変だったな」

「……いえ」


 アウディストは、リリーディアのことをどこまで知っているのだろうか。

 この身に流れる血のことは知られたくはない。

 シルヴィオが言うとは思えないし、リリーディアの実験に係わった者はもういないという。


(大丈夫、きっと、私の秘密は守られているわ)


 そうでなければ、皇帝に会うことをシルヴィオが許しはしないだろう。

 となれば、皇帝が言っている大変なこととは、シルヴィオに記憶を奪われて軟禁状態だったことだろうか。

 しかし、あの箱庭での日々は、壊れかけていたリリーディアの心を癒してくれる優しいものだった。

 大変なことなんて、ひとつもなかった。

 だからこそ、リリーディアはすべてを思い出してもこうして立っていられる。


「皇帝陛下、恐れながらお願い申し上げます。どうか、私がシルヴィオとともに生きることをお許しいただけないでしょうか」


 リリーディアは顔を上げ、強い意志を持って皇帝を見つめた。


「ほう」

「私は決して王位には興味がありませんし、サウザーク帝国に逆らわないと誓います。私にどれだけの影響力があるか分かりませんが、クラリネス王国のことでお役に立てることもあるはずです」


 敗戦国の王族の扱いは非常に厄介だ。

 もし、クラリネス王国の貴族たちが、王家の血筋を求めてリリーディアを担ぎ上げて反乱でも起こしたら。

 リリーディアにその意思はなくとも、王族を利用しようと考える者は少なからずいるだろう。

 それに、今やクラリネス王国王家の直系はリリーディアだけだ。

 反乱や革命の火種になりかねないと思われていても仕方がない。

 しかし、王族をすべて皆殺しにしてしまえば、人々からの心象は良くないだろう。

 属国として支配するのなら、そこに生きる人々からの支持は無視できないはず。

 ただでさえ、突然の侵略に人々は戸惑っているのだ。

 国を治めていた王族がいなくなったのだから。

 この混乱に乗じて様々な問題が起きていることだろう。

 クラリネス王国のことを知る人間がいれば、きっと何か役に立てるはずだ。

 それに、リリーディアが生きて、サウザーク帝国と上手くやっていることを知れば、少なからず民を安心させられるかもしれない。


「ですから、どうか。私からシルヴィオを奪わないでください!」


 心臓は不安と緊張でバクバクとうるさく、うまく話せたかもわからない。

 それでも、伝えなければならないことは言えた。

 シルヴィオと離れたくない。それだけは。


「……ふっ、ふはは。シルヴィオが一方的に惚れ込んでいるとばかり思っていたが、そうか。それなら、ちょうどいい」


 リリーディアの言葉を聞いて、皇帝は笑みを浮かべた。

 何かを企んでいるような含みのある表情に、リリーディアは警戒心を強くする。

 しかし皇帝が発言するよりも早く、シルヴィオが口を開く。


「陛下。本日、私が陛下に会いに来たのは、魔術師団に戻るためでも、ましてや彼女を利用させるためでもありません」

「では、何のために来た?」

「今まで、私は陛下に報酬を求めたことがありませんでしたが、今回のクラリネス王国との戦争に関しては、褒美をいただきたいと思いまして」

「随分と強欲なことだな。それで、何が欲しいんだ?」


 面白がるように笑い、皇帝はシルヴィオを見つめる。

 しかしその目は一切笑っていない。

 リリーディアはごくりと唾を飲み込んだ。


「クラリネス王国を私にください」


 それは、リリーディアにとっても驚きの内容だった。

 事前に聞いていたシルヴィオの要望は、一緒にいられる方法を探すための時間をもらう――というものだったから。


「それと、もうひとつ」


 シルヴィオは、皇帝が何か発言する前にまた予想外のことを口にした。


「私たちの結婚を認めてください」


 シルヴィオの表情は真剣だった。

 この場で冗談を言うような人ではないと知っているし、これから先も二人でいるということはそういうことなのだろうとは思っていた。

 しかし、だ。


(今この場で言うことじゃないでしょう⁉)


 不敬だと捕らえられやしないか。

 反応が怖くて、皇帝の方を見ることができない。

 シルヴィオが立て続けにとんでもない要求をするせいで、リリーディアは喜びよりも戸惑いと驚きの方が大きく、内心かなり狼狽えていた。


「陛下にとっても、悪い話ではないはずです。あの魔物だらけの国を治めるのは大変でしょう。厄介事も、魔物か魔素絡みなのでは? 魔素はうまく使えば魔術師の戦力となりますが、一方で人に害をなす場合もある。私は魔素を退ける結界を張れますし、魔物を捕獲して使役することも可能です。そして、彼女は必ず民の信頼を得るでしょう。きっと、サウザーク帝国の繁栄に貢献できると思いますよ。私の望みを叶えてくださるのであれば、ですが」


 シルヴィオがそんなことまで考えていたとは思わなかった。

 リリーディアは、真剣な表情で皇帝に交渉しているシルヴィオを横目に見つめる。


(私が、クラリネス王国のために何もできなかったと言ったから……?)


 シルヴィオは、リリーディアの望みを叶えてくれようとしている。

 先ほどの戸惑いとは違う意味で、胸が高鳴る。

諦めていた過去からの希望が顔を出す。


「それに、陛下もそのつもりだったから、私を探していたのではありませんか?」


 シルヴィオの問いに、ついに皇帝は腹を抱えて笑い始めた。


「……ははははっ! 本当に、君は初めて会った時から変わらない。皇帝相手でも物怖じせずに、自分の主張を貫き通せる人間はそうそういないよ」

「ありがとうございます」

「別に褒めている訳でもないのだが、まぁいい。君はそういう人間だ。クラリネス王国が君を持て余した理由が少し分かるな。だが、君の大事な人に手を出さない限り、君は我が帝国に従い、牙をむくことはない。そうだね?」

「もちろんです」


 シルヴィオが頷くと、皇帝は大きなため息を吐いて脱力する。


「君が言うとおり、私は君にクラリネス王国を任せるために探していた。君の大事な姫のことも、一緒にいるなら守ってあげる条件で、また恩を売ろうと考えていたのだが、先手を打たれてしまったな……」

「私は、姫に対することなら強欲なので、負けてあげることができません。それで、陛下。お返事は?」

「あぁ、そうだったな」


 やれやれ、と言った様子で、皇帝は立ち上がった。

 そして、宣言する。


「本日より、シルヴィオ・ストリヴィアとリリーディア・クラリネスを統治領クラリネスの共同統治者とする」


 謁見の間に皇帝の言葉が響く。


(ほ、本当に……? 私が、クラリネス王国を……?)


 正確にはもう独立国としてのクラリネス王国ではないけれど。

 それでも、魔力がないと蔑まれ、無能だと誹られ、最後にはこの血を捧げることでしか役に立てなかった王女である自分が――。


「リリーディア?」


 心配そうなシルヴィオの声が耳元で聞こえて、リリーディアはハッとする。

 まだ信じられない思いでいっぱいだが、皇帝からの異例な待遇に礼を言わなければ失礼にあたるだろう。


「……陛下からの恩情に感謝いたします」


 丁寧な礼をみせると、皇帝はにこやかに微笑んだ。

 権力者に対する怯えが完全になくなった訳ではない。

 それでも、サウザーク帝国のアウディストは、理不尽に奪い、力で解決しようとする人間ではなかった。

 だからこそ、シルヴィオが彼に仕えていたのだとリリーディアは納得する。


「シルヴィオの相手は大変だろうけど、よろしく頼むよ」


 皇帝はお揃いのドレスコードで並ぶ二人を交互に見て、苦笑を漏らす。


「ご心配ありがとうございます。ですが、シルヴィオと一緒にいることが私の幸せですから」

「そうか。では、改めて、結婚おめでとう。客間を用意させているから、ゆっくり休むといい」


 そう言って、皇帝は席を外す。

 平和的に謁見を終えることができたことに、リリーディアは心から安堵した。

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