3
シルヴィオのキスは容赦がなかった。
唇だけでなく、瞼や額、こめかみ、耳、鼻、頬、首筋、手……彼の目に映る場所すべてに甘い口づけの雨が降ってきた。
明るかった部屋はもう薄暗く、陽が傾いていることをリリーディアに教えてくれた。
(も、もしかして、本当に耐久戦なの……!?)
体にはもう力が入らないし、心臓はドキドキしすぎて苦しい。
息も絶え絶えになってくると、何故ここまで自分が意地になっていたのかが分からなくなってくる。
「姫、そろそろ話す気になりましたか?」
いっそ話してしまった方が楽になれるかもしれない。
完敗だ。
リリーディアは力なく頷いた。
「では教えてください。何を悩んでいたのですか?」
シルヴィオの金の双眸がリリーディアに注がれて、頬が熱くなる。
しかし、このまま黙っていたら、きっとまた恐ろしいほどのキスの雨が降ってくる。
リリーディアは観念して口を開く。
「……シルヴィオは」
「はい」
「私のこと、好き?」
「もちろん、愛していますよ」
何の迷いもなく、シルヴィオは笑みを浮かべる。
嘘偽りない言葉だったが、リリーディアの不安は消えない。
「でもそれは……記憶を失くす前の私のことでしょう?」
リリーディアの問いに、シルヴィオが息をのむ。
しかし、シルヴィオが動揺したのは一瞬で、すぐにきれいな笑みを浮かべた。
「姫は姫です。記憶の有無なんて関係ない。あなただから、俺は愛しているんです」
安心させるように優しくリリーディアの額を撫でて、軽く触れるだけのキスを落とす。
誤魔化されているような気がしないでもない。
リリーディアはムッと唇を尖らせた。
そんなリリーディアを見て、シルヴィオが笑みをこぼす。
「おや、まだ信じられないのですか? たったあれだけのキスでは、俺の愛は伝わりませんでしたか……」
「え、ちが」
「今晩は姫に俺の愛をしっかり刻み込んで差し上げます」
「いや、もう十分っ」
「いやいや、姫が不安になる暇もないほどに、たっぷり愛を伝えますよ」
そう言うと、シルヴィオはリリーディアを軽々と抱き上げて、ベッドへと運ぶ。
(えっ? ベッド!? どうして……!?)
頭の中が大混乱になっているというのに、リリーディアの体は驚いて固まっている。
いつもは一人で寝ているベッドで、シルヴィオが覆いかぶさってきて、ますますパニックになる。
「愛しています」
シルヴィオが愛の言葉を紡ぎ、再び唇が塞がれようとした時――。
ぎゅるぅ……とリリーディアのお腹が鳴った。
互いに至近距離で見つめ合ったまま、一拍時が止まる。
「そういえば、夕食がまだでしたね」
ゆっくりとシルヴィオがベッドから降りた。
「そ、そうねっ!」
空腹を訴える腹の音を間近で聞かれてしまったのはとてつもなく恥ずかしかったが、このままではとんでもないことになりそうだったので助かった。
リリーディアは夕食の話題に全力で乗っかる。
「今日のメニューは何かしら?」
「鳥肉と野菜のバターソテーです。デザートには木苺ジャムを乗せたプリンもありますよ」
「美味しそうね! 何か私に手伝えることはない?」
「いいえ、姫は大人しく部屋にいてください。俺も少し頭を冷やします」
「……わ、分かったわ」
リリーディアが頷くと、シルヴィオは背を向けて部屋を出て行く。
「もっと気を付けないとダメね……」
どうにもリリーディアは思っていることがすぐ顔に出てしまうようだ。
隠せているつもりでも、シルヴィオには分かってしまう。
リリーディアには、シルヴィオが何を考えているか分からないのに。
それがなんだか悔しい。
「やっぱり、ずるいわ。シルヴィオばかりが私のことを知っているなんて」
ふうと息を吐いて、リリーディアはソファに身を預けた。
シルヴィオが執拗に残した熱のせいで、まだ顔や首のあちこちに触れられているような気がする。
そっと手を挙げると、美しいブレスレットが見える。
(このブレスレットがある限り、私はシルヴィオから離れられないのよね……)
もし、クロエにもらった赤い蝶を使ったとしても、逃げられないのだろうか。
シルヴィオから逃げるのではなく、真実を知りたいという気持ちは強くある。
彼を理解するためにも、過去のことを知ることは必要だと思う。
そうでなければ、シルヴィオはずっとリリーディアの前で気を遣い続けなければならない。
これから先もずっと、こんな関係ではいたくなかった。
「でも、どこに行ったのかしら……?」
目に見える場所にはない。
たしかにリリーディアは赤い蝶をもらったのに。
しかし、もし分かりやすいものであったなら、シルヴィオに取り上げられてしまうのが目に見えている。
もしかしたら、シルヴィオに分からないよう特別な術を施しているのかもしれない。
ただ、現状ではリリーディアにも見えないから、どう使えばいいのかも分からない。
クロエはどういう目的でリリーディアに赤い蝶を渡したのだろうか。
「本当に私を逃がそうとしてくれているのか、それとも……」
リリーディアを排除し、シルヴィオを独り占めするための嘘か。
記憶はないくせに女の勘は働いて、彼女がシルヴィオに想いを寄せているのではないかと感じている。
「どうすればいいのかしら……?」
シルヴィオのことは誰にも渡したくない。
けれど、リリーディアの存在がこの鎖のようにシルヴィオを縛り付けるだけのものならば……。
(一度、離れた方がいいかもしれないわ……)
シルヴィオのいない日々は想像もできないが、一人でも生きていけなければならないだろう。
彼は「姫」と呼ぶが、リリーディアの肩書はもう王女ではないのだから。
そう思った直後、リリーディアの目の前に赤い蝶が現れた。
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