第32話 オラクル

 ──ロズ達が巨石群に辿り着く、少し前のこと。


 巨石群の先に見える、きりのかかった丘。

 ベロニカは、その丘のてっぺん近くで身を屈めていた。彼女のかたわらには、灰色のローブを身に纏った人物が立っている。


 ベロニカは緊張しているが、ローブの人物は至ってリラックスしている様子だった。


「あの子、少し君に似ているね」


「あの子?」


 ベロニカは少しだけ顔を上げ、怪訝けげんそうな表情をローブの人物に向けた。


「ほら、ディムプレイス駅のホームで、君と話していた子。同じような背丈の子供が二人いたけど、スカートを履いている方の子だよ」


「ああ、アレックスね。わたしと似ているって……どういう意味よ、それは」


 ベロニカは不服そうに顔をしかめた。


「外見が似てるっていうわけじゃないけど、なんていうか、雰囲気や話し方が少し似ているような気がした」


 そう言って、ローブの人物はクスクスと笑った。


 目深まぶかに被っていたフードを脱いでいるので、隠れていた顔がよく見える。

 その容貌は中性的で気品があり、とても美しかった。

 瞳の色は、吸い込まれそうなほど綺麗な翡翠ひすい色。短めの髪も、瞳と同じ翡翠色だ。


 ゆったりしたローブを着ているので体つきは分かりづらいが、背はベロニカと同じくらいの高さだった。


 ベロニカは、悪戯っぽい笑みを向けるローブの人物を、軽くにらみつけた。


「あの子……アレックスとは付き合いが長いの。似ているように見えるなら、きっとあの子がわたしの真似をしているのね」


「それで、あの子は君の『目的』と関係しているのかな?」


「オラクル」


 ベロニカの声には、警告するような響きが含まれていた。


「……無駄話はいいから、に集中してよ。落ち着かないわ」


 そう言って、ベロニカはローブの人物──オラクルが両手を掲げている方向を指差した。


「? ああ、これね」


 丘のてっぺん。霧が一際濃くかかったそこに、巨大な何かの姿がある。


 魔獣まじゅうだ。

 その魔獣の外見は、ロズとアレックスが高原に入ってすぐ遭遇したあの鳥型の魔獣と、ほとんど同じだった。


 唯一違うのは、その圧倒的なサイズ。

 ロズ達の前に現れた魔獣はわしくらいの大きさをしていたが、丘のてっぺんにいる鳥型の魔獣はそれよりも遥かに大きく、鷲の八倍近いサイズがあった。


 その巨大な魔獣は飛び立とうともせず、丘のてっぺんでじっとしている。

 無理もない。緑に輝く光のおびに絡め取られ、翼をたたんだ状態で拘束されているのだから。


 オラクルは両手を掲げたまま、魔獣の方に視線を戻した。


「ずっと魔法を発動させているのも退屈なんだよ。わたしとしては、こうして言葉を交わしている方が集中できるのさ」


「本当でしょうね……?」


 ベロニカは魔獣の様子をうかがった。


 オラクルによって拘束されている魔獣に、暴れだす気配はない。ギョロリとした目玉は大きく開いているが、魔獣は眠っているかのように静かだった。


「大丈夫だよ。ちゃんと抑えているから」


 ベロニカは溜息をついた。


「……ねえ、わかってる? わたし達はこいつを倒すか、この高原こうげんから立ち去らせるかしないといけないのよ。あなたなら、すぐにそれができるんでしょう? どうして拘束するだけなのよ」


 オラクルは翡翠色の瞳を、意味ありげに細めた。


「わたしと君が最初に様子を見に来た時、こいつはこの丘で大人しくしていた。魔法をかけられているわけでもないのに。でもディムプレイス駅に戻っている間に、こいつは突然ご機嫌斜めになった。君もあの突風を感じたんだろう?」


 ベロニカが頷くのを見て、オラクルは言葉を続けた。


「……あの時のこいつは、きっと『何か』に反応したんだ。今は見ての通り、また落ち着いている。暴れようと思えば暴れられるはずなのに、拘束を解こうともしない。だけどね、こいつはまた『何か』に反応して、暴れだすはずだよ」


「……あなたは、この魔獣が拘束から抜け出すのを待っているわけ?」


 オラクルは涼しい顔で、ベロニカに流し目を向けた。


「そうだよ。ふふっ、別に遊び心からじゃない。こいつが反応する『何か』の正体を、突き止めておくべきだと思うんだ。それは、はずだから」


 ベロニカはピクリと肩を震わせた。


「つまり、その『何か』は各地で起こる魔獣の異変に、関係しているってこと?」


「そんな気がするね、わたしは」


 ベロニカは複雑そうな表情で、拘束されている魔獣を見据みすえた。


 自分達の役目は『なるべく早く列車の運行を再開させる』こと。だが、もしもオラクルの考えが当たっているのなら、ベロニカはその役目を後回しにしなくてはならない。


(だって、わたしはどうしても……!)


 唇を噛み締めるベロニカに、オラクルは平然と尋ねた。


「さてと、さっきの話の続き。あのアレックスっていう子は、君の目的にどう関係しているんだい?」


「はあ!? まだその話をしたいの?」


「うん、だって気になるのは当然だろう?」


 ベロニカに睨まれても、オラクルに悪びれる様子はない。


「付き合いが長いっていうことは、あの子は君ののことも知っているのかい?」


「…………」


 ベロニカは表情を曇らせ、黙り込んでしまった。

 どうやら答えてもらえそうにない。そう悟ったオラクルは仕方なく、意識を目の前の魔獣に集中させることにした。


「?」


 その時、緑の光の中で、魔獣がわずかに首を動かした。

 魔獣の変化に気づき、オラクルは嬉しそうに口角を吊り上げる。


「おっと……どうやら、もう待っている必要はないらしい」


 魔獣は低くしていた頭を上げると、翼を広げようともがき始めた。


「! 魔獣が動き始めた……!」


 ベロニカは息を呑み、素早く身構えた。


「ベロニカ、わたしの近くに来て」


 オラクルがベロニカを呼び寄せたのとほぼ同時に、巨大な鳥型の魔獣が、バサアッと力任せに翼を広げた。


 体長に比べてやや小さめの翼とは言え、その威力は並大抵ではない。

 勢いよく広がった翼の衝撃で、魔獣を拘束していた緑の光がパッと霧散むさんしていく。

 拘束を破った魔獣は空中に飛び上がり、固くなっていた体をほぐすように、翼を大きく羽ばたかせた。


「ツッ……!」


 ベロニカが目を見開く。


 その瞬間、上空から突風が吹き荒れてきた。

 身を屈めたところで、この至近距離では意味がない。

 吹き飛ばされる──そう覚悟したが、ベロニカの体を風が襲うことはなかった。


 見ると、隣に立つオラクルが、右手を掲げて障壁しょうへきを展開させていた。

 半透明の障壁が、高原に吹き荒れる突風からベロニカとオラクルを守っている。


「オラクル……!」


「大丈夫、こいつの狙いはわたし達じゃない」


 上空の魔獣が甲高い鳴き声を上げた。威嚇するようなその鳴き声が止まった時、強い風もんでいた。


 ベロニカが顔を上げると、鳥型の魔獣が赤い目玉を爛々らんらんと輝かせているのが見えた。だが、魔獣の注意はベロニカとオラクルには向けられていない。


 魔獣は霧を払うように上空で羽ばたくと、こちらを無視したまま飛び去っていった。


「! どこへ行くつもり!?」


「巨石群の方だね」


 オラクルは魔獣の飛んでいった方向を見つめ、冷静にそう言った。そして、ベロニカに手を差し出した。


「歩いていったんじゃ追いつけない。魔法で行くよ。いいかい?」


 確かに、ここから丘を降りて林を抜けていくのでは、時間がかかりすぎる。

 ベロニカは迷わず手を取った。


「当然。お願いするわ」


 オラクルはベロニカの手をそっと握り、優雅に微笑んだ。


「さてと、何が待っているのか楽しみだな」


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