第33話 翻弄される者たち

 甲高い鳴き声が響き渡った後、巨石群は不気味な予感に支配されていた。足元の枯れ草は怯えているかのように、ざわざわと揺れている。

 その時、アレックスが上空を指差して叫んだ。


「! 上を見て!」


 見上げると、丘にかかるきりの中からロズ達の方へと、黒い影が飛んでくるのが見えた。

 その影が近づくにつれて、ロズの顔はどんどん青ざめていく。


「あれは、さっきのと同じ鳥型の魔獣まじゅう……じゃなくって、さっきのより全然大きい!?」


 飛んでくる魔獣は先ほど遭遇した鳥型と同じ見た目をしているが、その体は比べ物にならないほど巨大だったのだ。


 アレックスは身構え、拳を握りしめた。


「……こいつが『大型の魔獣』ってわけね」


「いきなり現れたな……さっきまでは姿も見えなかったのに。僕達がここに踏み込んだから、なのか?」


 そう呟きながら、グレンはいぶかしむような表情で魔獣を見つめた。


 魔獣はロズ達の上空で止まり、バサバサと翼を上下させている。敵意に満ちた赤い目玉が、地上のロズ達をにらみつけていた。


「まったくもう、ベロニカはどこで何をしてるのよ……」


 アレックスは魔獣の動きを警戒しつつ、グレンの方に顔を向けた。


「どうします? 様子を見てこいって頼まれたらしいですけど、あの魔獣は明らかにこっちを狙っていますよ。戦うことになりそうですけど、いいんですか?」


 魔獣はクチバシをガチガチと鳴らし、こちらを威嚇している。

 その様子を見て、グレンは諦めたように溜息をついた。


「……戦うしかないみたいだね。こうなったらもう、仕方ないさ」


 すると、こちらの話を聞いていたかのように、上空の魔獣が咆哮ほうこうを上げた。ついさっきの甲高い鳴き声よりも低い、まさに獣のような咆哮だった。


「ロズ! 石の陰に隠れて!」


「う、うん!」


 アレックスに指示され、ロズは近くにあった巨石の陰に急いで身を隠した。


 ほぼ同時に、魔獣が両翼りょうよくを勢いよく羽ばたかせ、竜巻のような衝撃波を飛ばしてきた。


「アレックス! グレンさん!」


 巨石に守られたロズは、慌てて二人の方を見た。


 幸い、アレックスもグレンも素早く衝撃波を避けていた。二人が無事であることを確認し、ロズはホッと胸を撫で下ろした。


「あの大きさで上空から攻撃してくるのは、ちょっと厄介ね……」


 アレックスの額を汗が流れていく。


 その横で、グレンはあることに気がついた。魔獣の敵意に満ちた視線が、まっすぐ自分に向けられているのだ。


 グレンは眉をひそめた。


「? どうして……」


「ちょっと! ぼうっとしないでくださいよ!」


 アレックスはグレンに苦言をていしながら、祈るように両手を握り合わせた。


「時間を稼いでください。その間にわたしが魔法を──」



 その時、軽やかな鐘の音が、巨石群全域に響き渡った。



「「!?」」


 鐘の音が続く中、アレックスとグレンの目の前に淡い緑の光が広がっていく。

 隠れていたロズは恐る恐る巨石の陰から顔を出し、その光景に目を丸くした。


「な、なにが……!?」


 緑の光が消えた時、そこには二人の人物が姿を現していた。

 現れたのは翡翠ひすい色の髪と瞳を持つ人物と、それから──。


 アレックスが驚きの声を上げる。


「ベロニカ!」


 そこに立っていたのは、魔法で丘から移動してきたオラクルとベロニカだった。


 ベロニカはアレックスに気がつき、信じられないと言いたげな顔をした。


「! アレックス、あなた……何を考えているのよ!」


 一方で、オラクルはアレックスとロズ、それからグレンの三人を順に眺めて、興味深そうに目を細めた。


「へえ、何が待っているかと思えば……」


 そして視線をグレンの方に向けたまま、きょとんと首を傾げた。


「? 君は……」


「……」


 探るような視線に耐えられず、グレンは居心地悪そうに目を逸らした。


「おっと、まずはこっちをどうにかしないとね」


 オラクルはパチンと両手を合わせ、大型の魔獣の方に向き直った。


 魔獣はオラクルとベロニカの出現にややたじろいでいるが、相変わらず敵意を剥き出しにしていた。


「ほら、ベロニカ。その子に文句を言うのは後にしなよ。わたし達はまず、魔獣の相手をしないと」


 ベロニカは苛立たしげなまま、アレックスからオラクルへと視線の先を移した。


「……何よ、もう拘束はしなくていいの?」


「うん、かなり怒ってるみたいだし、潮時ってやつかな」


 ベロニカは呆れた表情を浮かべた。


「潮時って……気まぐれでやってるんじゃないでしょうね?」


「ふふっ、大丈夫。見るべきものは見れたからね」


 オラクルはわずかに口角を吊り上げると、右手を掲げた。その途端、オラクルの足元が緑色に輝き、穏やかな風が吹き始めた。

 身に纏うローブが風に揺れ、足元からの光でキラキラと輝く。

 

 その様子を見て、ロズは確信した。


「! やっぱり、レールリッジの……」


 オラクルが右手を軽く振ると、足元からやいばのような形状の光が無数に浮かび上がり、上空の魔獣めがけて飛んでいった。


 魔獣が光に貫かれて体勢を崩した隙に、オラクルは舞うような優雅さで右手を振り上げ、空中に光のむちを出現させた。

 鞭は緑の輝きを放ちながら、勢いよく魔獣に叩きつけられていく。



「す、すごい……」


 ロズは唖然としてしまった。


 強力な魔法を使っているだけではない。

 ローブの人物は目を閉じたり集中したりすることなく、一瞬で魔法を発動させているのだ。それも、次々に。


「ベロニカ……」


 アレックスは、震える声でベロニカに尋ねた。


「──あの人は、一体何者なの?」


 ベロニカは涼しい顔をしたまま、なんてことないように答えた。


「オラクルっていうのよ。オラクルは……そうね、わたしの協力者ってとこ」


「……あそこにいるのは、魔人まじんでしょ?」


「……」


 否定も肯定もしないベロニカを、アレックスはきつく睨みつけた。


魔族まぞくの気配を隠しているみたいだけど、あの魔法を見れば分かるわよ。ベロニカ、どうして魔人と……!?」


 ベロニカは大げさな溜息をついてから、冷ややかな視線をアレックスに向けた。


「あなたは知らなくてもいいことよ」


「ツッ……!」


 アレックスは泣きそうな声で訴えた。


「ベロニカ! 故郷で……クリフディールで学んだでしょ!? 人間は魔族と関わるべきじゃないって!!」


「あなたはどうなのよ」


「え……?」


「平和な田舎町で静かに暮らしていればいいのに、魔獣のいる所にのこのこ足を運んだりして……、故郷で何を学んだのよ。せっかく命を助けられたのに」


 ベロニカの口調は淡々としていたが、爆発しそうな激しい感情を無理やり抑え込んでいるようにも聞こえた。


「! わたしが言っているのは、そういうことじゃない……!」


 アレックスは今にも泣き出しそうな、悲痛な表情を浮かべた。

 それを目にしたロズは、胸が締めつけられるような苦しさを感じた。


「アレックス──」


 アレックスに駆け寄ろうとした、その時だった。不意に、ロズは違和感を覚えたのだ。


「? あれ? グレンさん……?」


 ついさっきまでそばにいたはずのグレンが、いなくなっている。巨石群を見回しても、どこにも姿が見えない。

 ロズは慌ててアレックスに報告した。


「アレックス大変! グレンさんがいない!」


 ベロニカを睨んでいたアレックスが、ロズの方に向き直った。


「! いないって……いつの間に!?」


 すると、焦るロズとアレックスに背中を向けたまま、オラクルがクスリと笑った。


「彼ならきっと、どこかに身を潜めただけさ。心配ないよ……おっと」


 魔獣がオラクルめがけて、上空から体当たりを仕掛けようとした。魔獣はかなり体力を消耗しているようだが、まだ戦意は失っていないらしい。


 オラクルは巨大な障壁を瞬時に展開し、魔獣を跳ね返した。


「……まだ向かってくるっていうことは、ここから立ち去る気はないようだね。悪いけど、それなら倒させてもらうよ」


 オラクルは両手を前に伸ばしてから、スッと高く掲げた。


 次の瞬間、魔獣の頭上に巨大な光の輪が現れ、そこから緑に輝く膨大なエネルギーが撃ち落とされた。まるで落雷のように。


「あっ……」


 まばゆい光が広がり、ロズは息を呑んだ。


 撃ち落とされたエネルギーが、ゆっくりと収まっていく。

 ベロニカが静かに言った。


「どうやら、これで終わりのようね」


 彼女の予想通り、落雷のような光と共に、大型の魔獣は姿を消していた。


(これで、終わり……? でも、何か引っ掛かるような感じが……それに、グレンさんはどこに行っちゃったんだろう)


 魔獣は消えたが、ロズはなんとも言えない不安感を抱いていた。


 その時、ロズのベルトに吊り下げられた短剣が、さやの中でぼんやりと光を放った。


「え? 短剣が……!」


 大型の魔獣が飛来する直前にも、短剣は光を放っていた。その時は気がつかなかったロズだが、今回は見逃さなかった。


 短剣は何かを警告するかのように、光を放っている。

 ロズは、胸中の不安が錯覚ではないことを確信した。


「あの! 皆さん! まだ終わっていないと思います!」


 とっさに叫んだロズのことを、アレックスとベロニカが不思議そうに見つめた。

 だがオラクルだけは驚いた様子を見せず、平然とロズに同意した。


「うん、わたしもそう思うよ」


 オラクルはロズと、それから短剣をじっと見つめ、ニッコリと微笑んだ。


「ここには、まだが存在しているみたいだ」

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