第34話 密かなやり取り、そして……

「はあ、はあ……」


 巨石群と丘の間にある林。

 グレンは太い木の幹に背を預け、ずるずるとしゃがみ込んだ。


「つ、つかれた……」


 たった今、グレンは巨石群からここまで一気に移動してきたのだ。


 とは言っても、彼は魔法で『転移』するような高等技術は持ち合わせていない。

 巨石群から木々が密集したこのエリアまで、魔法による一時的な加速を繰り返して移動してきたのだ。


「うう、しんどい……」


 加速も決して簡単な魔法ではない。繰り返し発動させたため、グレンはかなり体力を消耗することになってしまった。

 それでも、あの場から出来るだけ素早く、出来るだけこっそりと抜け出す必要があったのだ。


(いなくなったことに気づいたら、あの二人は驚くだろうな……)


 ロズとアレックスを置いていったことに、グレンは申し訳なさを感じていた。


(でも、あの状況なら僕がいなくなったところで問題はなさそうだったし……むしろ、僕がいない方が安全……かもしれない)


 グレンは魔獣まじゅうの様子を思い出し、憂鬱そうに溜息をついた。


(……早くしないと)


 思い悩んでいる場合ではない。

 しゃがみ込んだまま、グレンはジャケットの左のそでをめくった。あらわになった左手首には、シンプルな銀色の腕輪がはめられていた。


(……応答してくれるんだろうな?)


 グレンは疑わしげな表情で腕輪を見つめてから、右手の指先を腕輪の表面に当てた。そして魔法を発動させる時と同じ要領で、意識を集中させた。


 指先に光が宿り、腕輪の表面を明るく照らす。


 グレンは大きく息を吸い、腕輪に向かって呼びかけた。



「オーガスタ、返事をしてくれ。オーガスタ!」



 すると、指先の光を跳ね返すように腕輪が輝き、そこから声が聞こえてきた。


『何よ? 言ったでしょ? だるいから緊急時にしか連絡してくるなって』


 待ち兼ねていたかのようなスピードで返事をした割に、その声は気怠げで不機嫌そうだった。


「わかってる。だから、レールリッジに放り出された時だって連絡しなかっただろ……いや、そんなことよりも!」


 グレンは物申したいのをグッとこらえ、本題に入ることにした。


「緊急事態なんだ。フォミング高原こうげんで大型の魔獣と遭遇したんだけど、そこに魔人まじんが現れたんだよ」


『魔人? なんていう奴?』


「名前なんて聞いてない。魔法を使い出すのを見てすぐに離脱したんだ。でも間違いない。絶対に魔人だった」


 グレンは、オラクルに関するベロニカとアレックスのやり取りを聞いていない。

 だが、オラクルの魔法を一目見れば十分だった。アレックスと同じく、彼もオラクルの正体に勘付いたのだ。


『ふーん、魔人が出てくるとはね。面白い』


 オーガスタのククッという笑い声が聞こえてきて、グレンは顔をしかめた。


「面白がってられないって。その魔人に気づかれたかもしれない、僕が──」


『他には? 魔人の他に、誰か一緒にいなかったの?』


「え? ああ、その魔人は女の人と一緒にいた。そっちは多分、人間だと思う。それから……」


 グレンは少し躊躇ちゅうちょしてから、渋々といった感じで答えた。


「色々あって、僕も一人じゃなかったんだ。子供二人と一緒に行動してた。なんていうか、成り行きで……」


『子供二人? もしかして人間の女の子?』


「うん、女の子二人。確か……ハリエッキとかいう町から来たって言ってた」


 グレンがポロリとこぼすと、オーガスタがなんてことないように言った。


『ああ、やっぱりロズね。それから、もう一人のお嬢さん……ロズはなんて呼んでいたっけ。ああ、思い出した。アレックスね?』


「そう、ロズとアレックス……って、どうして知ってるんだ!?」


 グレンは思わずその場で立ち上がり、腕輪を凝視した。


『合流しちゃうなんて、すごーい。タイミングばっちりだったわけね。これもまた、巡り合わせってやつ?』


 グレンは動揺し、腕輪に向かって問い詰めた。


「何の話だよ! どうして、オーガスタがあの二人のことを知ってるんだ!」


 オーガスタは茶化すように鼻で笑った。


『ふん、驚いた? わたしって情報通なの』


 オーガスタの飄々ひょうひょうとした態度に、グレンは不吉なものを感じた。


「……オーガスタ、確認させてくれ。どうして僕を、ここに送り込んだんだ?」


『魔獣の様子を見てきてもらうためよ。忘れたの?』


「……嘘だな。何か企んでいるんだろ。あの二人のことを知っているってことは、あの二人が関係しているのか? あの子達を、何かに巻き込むつもりなのか?」


 不信感をあらわにするグレンのことを、オーガスタは鬱陶しそうにあしらった。


『なによ、あの二人とお友達にでもなったわけ? 何かを企んでるだなんて……わたしが、そんな面倒なことするわけないでしょ』


 オーガスタは『──わたしはちょっと意地悪してるだけよ』と、こっそり付け足した。

 そのささやき声は、グレンの耳には届かなかった。


「オーガスタ! 誤魔化さないでくれ……うっ」


 グレンは不意に苦痛を覚え、背後の木に手をついた。


(? これは……巨石群に着いた時と同じだ。なんか、苦しい……)


『あー、グレン?』


 腕輪から聞こえてくるオーガスタの口調は、わざとらしいほど呑気だった。


『あんたさ、その辺でノロノロしてると危ないかもよ』


 オーガスタの言い草が矛盾しているように思えて、グレンは困りきった声を上げた。


「はあ? 僕をここに送り込んだのはオーガスタじゃないか」


『……あら、そうだったわね。ま、気をつけろってことよ』


 オーガスタはあくびを噛み殺すと、眠たげな声で続けた。


『あーあ、疲れてきちゃった。もう繋がりは切るわね。話は終わったでしょ? 後は自分でなんとかして頂戴』


 突然冷たく言い放たれ、グレンは苦痛も忘れて慌てふためいた。


「ちょ、ちょっと待て! なんとかって、一体何を──」


『あ、そうそう。現れた魔人の名前くらい突き止めなさいよ。そしたらもう帰ってきていいわ』


 オーガスタが言い切るかどうかのうちに、腕輪の輝きがブツッと消えた。


「あっ……」


 グレンは呆然とその場に立ち尽くした。


 銀色の腕輪は、左手首で沈黙している。


 オーガスタに渡されたこの腕輪がどういう仕組みの物なのかはよく分からないが、もう一度呼びかけてみたところで、オーガスタは反応してくれないだろう。


 確実に、無視される。


(オーガスタ……どうしてロズとアレックスのことを知っていたんだ)


 何も企んでいないとオーガスタは言っていたが、どう考えても怪しい。もしかすると、あの二人に何か危険が迫っているのかもしれない。


(巨石群まで案内するべきじゃなかった、のか?)


 グルグルと考えを巡らせてみても、この状況の意味するところが全く分からない。


(……とにかく、あの二人を高原にいさせちゃいけない気がする! 安全な駅まで帰さないと!)


 グレンはそう決意すると、巨石群の方を振り返った。

 その瞬間、巨石群の上空からまばゆい緑のエネルギーが、落雷のように降り注ぐのが見えた。


(! あれは……魔人の放った魔法か。ずいぶん派手だな)


 あの様子なら、もう魔獣は倒されるだろう。だが、安心はできない。


 グレンはにぶい苦痛を抑えるように、シャツの胸元の辺りをギュッと握り締めた。そして意識を集中させるため、ゆっくりと深呼吸をした。



────────────



 一方の巨石群では、ベロニカがオラクルに詰め寄っていた。


「まだが存在しているって、どういう意味よ? オラクル」


 オラクルは指をあごに当て、軽く首を傾げた。


「言葉の通りだよ。この場所に、まだ何かが潜んでいるってことさ。これは……魔獣? いや、魔獣よりも禍々まがまがしい、何か……」


 ロズはアレックスの腕をツンツンとつつき、短剣を見せた。


「ねえ、見て! アレックス。短剣が光ってるの。何かに反応して、そのことを教えようとしているみたいに!」


 アレックスは目を見開いた。


「じゃあ本当に、まだ何かが……」



 その時、ロズは足元の大地がドクンッと振動したのを感じた。



「わあっ!?」


「! 地面が、揺れた!?」


 ロズとアレックスは驚き、地面を見下ろした。


 心臓の動きを思い起こさせる、鼓動のような揺れ。

 その揺れは一回だけで収まったが、ロズ達は更なる異変を予期して身構えた。


 三人が困惑する中、オラクルは一人、合点がいったように肩をすくめた。


「……なるほど。厄介だね」


「! オラクル! 何か分かったのなら説明して!」


 オラクルはベロニカの叱責を無視し、ロズの方に顔を向けた。


「君、ちょっといいかい?」


「え? わたしですか?」


 ちょいちょいと手招きされ、ロズは戸惑いつつもオラクルに近づいた。


「君さ、その短剣は──」


 何かを言いかけたオラクルは、不意に言葉を止め、サッと辺りと見回した。


「うーん、まずいね。これは……」


「?」


 オラクルは地面を見下ろしている。視線を追ったロズは、思わず飛び退いてしまった。


「ひゃあっ!!」



 いつの間にか、ロズ達の足元──巨石群の大地が、漆黒の闇に覆われていた。


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