第35話 流転

「な、なにが……!?」


 ロズは呆然と辺りを見渡した。


 巨石群の大地が闇に呑まれ、漆黒に染め上げられている。地面も、枯れ草も見えない。まるで、黒い水面の下に隠されてしまったかのようだ。


「……みんな、気をつけたほうがいいよ」


 オラクルがそう言ったのと同時に、大地を覆う闇が一箇所に向かってジワジワと集まり始めた。それはロズとオラクルが立っている場所の、すぐ近くだった。


「!?」


 ロズは体を硬直させた。

 視線の先で、集約された闇が一つの大きなかたまりになろうとしているのだ。


『何か』が、現れようとしている。ロズはそれを感じ取り、恐怖心に呑み込まれそうになった。


(どうしよう、怖い……!)

 

 逃げ出したい。

 だが、果たして逃げ切れるのだろうか。これから現れる『何か』から。


 ロズはチラリとオラクルの方を見た。


 先程、オラクルはベロニカと共に姿を現した。間違いなく、魔法を使って移動してきたのだろう。

 オラクルの魔法なら、全員をこの状況から脱出させることができるのかもしれない。


 だが、オラクルに逃げようとする様子はない。

 考えてみれば当然のことだ。そもそもベロニカとオラクルの目的は、この高原こうげんに潜む危険を排除することなのだから。


(そうだ……このまま逃げ出したら、高原が大変なことになっちゃうかもしれないんだ……)


 何が起ころうとしているのかは分からないが、目の前の異変を──危険を、放置するわけにはいかない。

 このまま異変を放置すれば、列車が走り出せないだけではなく、いずれ人の暮らす地域にまで悪い影響が出てしまうかもしれないのだ。


 今ここで、立ち向かうしかない。


 ロズは震える手をぎゅっと握りしめた。


 気がつくと、闇の塊は先ほどの大型魔獣と同じくらいの大きさとなっていた。ただ塊になっただけではなく、ゾワゾワと揺らめきながらその形を変化させている。

 そしてすぐに、けものの四肢のような部分と、胴体、それに頭部と思しき部分が現れた。頭部には耳と、鼻口部がついている。


(……魔獣まじゅう!?)


 それは黒いによって作り出された、巨大な魔獣の体のようだった。

 影で形成されたその姿は、どことなくきつねを思わせる。


「あれは、魔獣なの……?」


 ロズの呟きに、オラクルが物憂げに答えた。


「あれは魔獣のむくろ……つまり亡骸なきがらだよ」


「へ? なきがら?」


「ずーっと昔にここで死んで、大地に還っていたはずの亡骸。それがなぜか、わたし達の前に姿を現した。見ての通り、完全な状態ではないけどね。どうやら、失った血肉の代わりに影をまとっているようだ」


「うっ……よく分かりません!」


 混乱するロズを見て、オラクルはクスッと微笑んだ。


「ふふっ、つまりは亡霊みたいなもの……と言いたいところだけど、亡霊ではないんだ。あれに、魔獣の霊魂れいこんは宿っていないからね。見たところ、、空っぽの亡骸を動かしているって感じかな」


「でも、そんなこと……ありえるんですか?」


 オラクルは困ったように肩をすくめた。


「ありえないはずなんだけどね、普通は」


 二人の会話は、後方にいるアレックスとベロニカにも聞こえていた。

 突然現れた魔獣の『亡骸』を前に、オラクルを除く全員が愕然がくぜんとした表情を浮かべている。


 そんな中、オラクルは静かな声で亡骸に問いかけた。


「一体全体、何が……いや、君を動かしているんだ?」


 亡骸は何も答えない。そのかわりに、自身を形成する影をブワッと震わせた。

 影が揺らめき、大きく膨れ上がる。そして──。


「!!」


 亡骸の鼻口部から、黒い影が吐き出された。

 影は凄まじい勢いで、正面にいたロズとオラクルに襲いかかろうとする。


「駄目っ! ロズー!!」


 アレックスの悲鳴が聞こえる。


(避けなくちゃ! でも、間に合わない!)


 その瞬間、ロズの視界に緑色の輝きが広がった。



────────────



 ロズとオラクルが影に飲み込まれる寸前、緑色の光が二人を包み込んだ。

 だが、影は止まることなくそのまま突っ込んでいく。


(ロズ!!)


 ロズの姿は光に包まれ、見えなくなってしまった。アレックスは反射的に、二人の立っていた方へと駆け出した。


 ベロニカが慌てて叫んだ。


「! アレックス、影に近づいちゃ駄目よ!」


 すると、漆黒の濁流だくりゅうへと近づこうとするアレックスの身体を、何者かが抱き止めた。その何者かは影から離れるために、アレックスを抱いたまま横方向へと高速で移動した。


「きゃっ!」


 突然の浮遊感とスピード感に驚き、アレックスは思わず目を閉じた。この勢いのままどこかにぶつかるかもと覚悟したが、体には衝撃も痛みも訪れなかった。


 アレックスの体は、そっと地面に降ろされた。だが足に力が入らず、アレックスはそのまま地面に座り込んでしまった。


「大丈夫?」


 聞き覚えのある声がして、アレックスはぼんやりと目を開けた。顔を上げると、視界に入ったのはグレンの姿だった。

 グレンは地面に片膝をつき、心配そうにアレックスを見つめている。


「あっ……ありがとうございます……」


 アレックスは礼を言ったが、次の瞬間、思い出したようにグレンをにらみつけた。


「グレンさん!? 今までどこ行ってたんですか!? この大変な時にいきなり姿を消したりして!!」


「ご、ごめん! 悪かったよ……!」


 グレンはアレックスの圧にひるみながら、懸命に謝罪した。


「心配したんですよ、こっちは!」


「だって僕がいなくても問題なさそうだったし……それに、こうして戻ってきたじゃないか……」


「ああ、もう! 今はそんなことより……!」


 グレンを問い詰めている場合ではない。


 アレックスは急いで立ち上がり、周囲を見回した。そしてすぐに、目を見開いた。


「!?」


 眼前がんぜんには、何の変哲もない高原の大地が広がっているだけだった。


 影によって形成された魔獣の亡骸は、跡形もなく姿を消している。

 足元の地面も、何事もなかったかのように元の状態を取り戻していた。


 だが、大きな問題があった。


「ロズは!? どこに……?」


 アレックスは巨石群の真ん中に立ち、途方に暮れた。

 ロズと、オラクルがどこにもいない。魔獣の亡骸だけではなく、二人の姿までもが、高原から消えてしまったのだ。


 ベロニカが呟くように言った。


「……オラクルが連れていったようね」


「! 何それ! どういう意味よ!!」


 アレックスはベロニカの方を振り返り、掴みかかるような勢いで迫った。


「……知ってるかもしれないけど、魔人まじんは亜空間を作り出すことができるの。オラクルは一瞬のうちに亜空間を作り出して、あれを……魔獣の亡骸を、その中に閉じ込めたんだと思う。亜空間の中の方が戦いやすいから、でしょうね。そして……」


 ベロニカは淡々と言葉を続けた。


「自分自身も亜空間の中に入った。なぜか、あのロズっていう子を連れて」


「ツッ……なんでロズまで連れていったのよ!?」


「そんなの、こっちが聞きたいわよ! オラクルの作った亜空間に乗り込みたいところだけど、オラクルは入り口を隠してるみたい。こちら側からは入れないようにしてるのよ。だから……ここで待つしかないわ」


 ベロニカの瞳には、もどかしさが漂っている。

 平然とした態度を保とうとしているが、彼女も内心では動揺している様子だ。


「待つしかないなんて、そんな……」


 アレックスは唇をきつく噛み締めた。


 高原を吹き抜ける穏やかな風が、アレックスの首筋を撫でていく。

 巨石群はすっかり静かになり、頭上から降り注ぐ陽射しは優しく暖かかったが、アレックスは不安のあまりガタガタと震え出しそうだった。


(どうしよう……ロズに何かあったら、わたし……)


 そんなアレックスをチラリと見て、ベロニカは溜息をついた。


「……すぐに戻ってくるわよ、オラクルは強いもの。それから……言っておくけど、オラクルは危険な奴じゃないわ。人間のことだって敵視していない。オラクルと一緒なら、ロズさんは安全なはずよ」


「…………」


 アレックスは無言で、ベロニカに背を向けた。



(エオスディア様……お願いします。ロズを守ってください……!)



 ロズに渡したペンダントを思い浮かべ、アレックスは祈り続けた。


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