第36話 短剣に込められた『禁忌』

「あれ? ここは……?」


 まばゆい光が目の前に広がった、と思った次の瞬間、ロズはどこまでも続く草原の真ん中に立っていた。

 緑の草が生える平坦な大地がどこまでも、文字通りに広がっている。


 フォミング高原こうげんの地面には枯れ草も生えていたが、いまロズが立っている草原には一本も枯れ草が生えていない。全く同じ色の緑草りょくそうが、どれも全く同じ高さまで伸びている。まるで手入れでもされたかのように。

 頭上の空には雲一つない。澄んだ、青い空が広がっている。


 綺麗と言えば綺麗な景色だが、地面にも空にも、言いようのない違和感があった。


「フォミング高原じゃない!? ここ、どこ!?」


 混乱するあまり、ロズは大声を上げた。すると、真横から飄々ひょうひょうとした声が聞こえてきた。


「つまらない景色でごめんね。本当はもっとこだわることもできるんだけど、なにせ大急ぎだったから」


「! うわあっ!」


 横を向くと、そこにはオラクルが立っていた。


「──あなたは……」


 困惑するロズに向かって、オラクルはやや申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「驚いているところ悪いけど、あまり時間がないんだ。手短に済ませられる説明は手短にしてしまおう。まず、わたしの名前はオラクル。魔人まじんだよ」


「あ……それはもう、知ってます。さっき、ベロニカさんが……」


「おっと、もう知っていたか。それで、君の名前はロズ……でいいのかな? ここに移動してくる直前、あのアレックスっていう子が君のことをそう呼んでいた気がする」


 オラクルにそう言われ、ロズの脳裏にアレックスの声が響いた。

 そうだ、光に包まれる直前、アレックスは必死にロズの名前を叫んでいた。


(アレックス……!)


 アレックスは無事でいるだろうか。


 ロズはアレックスのことを想い、ペンダントのコインにそっと手を当てた。


「……ロズで合ってます。ロズ・マグフォードっていいます」


「了解、ロズだね。ロズ、わたし達魔人は元々ある空間の中に、別の空間を作り出すことができるんだよ。その空間は、亜空間と呼ばれている」


 ロズはおずおずと右手を挙げた。


「空間を作り出せる……あの、実はそのことも知ってます」


 知っているどころか、魔人の作り出した空間に迷い込んだことがある。しかも迷い込んだのは、ほんの二日前のことだ。


「ほう、知っているんだ。話が早くて助かるよ」


 オラクルは感心した様子で微笑んだ。


「ここはね、わたしが大急ぎで作った亜空間なのさ。わたしはこの空間を作って、魔獣まじゅう亡骸なきがらを閉じ込めた。あのまま高原で相手をするより、ここに閉じ込めた方が安全だと判断したからね。そして、わたし自身も巨石群からこの空間に移動してきた。ここで、アイツをなんとかするために」


 オラクルは一度言葉を切り、ポリポリとあごを掻いた。


「……この空間に移動する時、できる限り亡骸から距離を取ったつもりなんだけど、アイツはすぐにわたし達を見つけてしまうだろう。時間がないと言ったのは、つまりそういうことなんだ」


「……!」


 この空間のどこかで、亡骸が自分達のことを探している。そう考えると、ロズは心臓を掴まれたような恐怖を感じた。


「ちなみに、ベロニカとアレックスはここに連れてきていない。あの二人は巨石群に残っている。高原はもう安全なはずだから、あの二人のことは心配しなくても大丈夫だよ」


「! そうなんですね! 良かった……って、あれ?」


 二人が無事であると知り、ロズはホッと安堵した。だが、妙な点に気がついてしまった。

 オラクルが亡骸と対峙するために空間を作り出したのは分かったが、一体なぜ、ロズまで亜空間の中にいるのだろうか。


「えっと、オラクルさん。あの二人を置いてきたのに、どうしてわたしをここに──」


「うん、当然気になるよね。でも、それを説明する前にいておきたいことがあるんだ」


 オラクルは、翡翠ひすい色の瞳でじっとロズを見つめた。


「……君がベルトに吊り下げている短剣は、どこで手に入れた物なのかな」


「えっ?」


「その短剣は、街に並ぶ店で売っているような物だとは思えない。それは、特別な物なんじゃないかい?」


 ロズは腰の短剣に視線を走らせ、それから再びオラクルの方を見た。オラクルは真摯な表情でロズを見つめている。


 一瞬だけ迷ったが、ロズは話すことに決めた。


「『手に入れた』というか……わたしは預かっているだけで、今はこの短剣を届けに行く途中なんです。えっと……オラクルさんは、オーガスタさんっていう魔人を知っていますか?」


 オラクルは記憶を辿るように考え込んだが、すぐに首を横に振った。


「オーガスタか……ごめん、知らないな。基本的に、魔族まぞくはお互いに関わりを持とうとしないんだよ。特にわたしは、あちこち一人で放浪していることが多かったからね。知り合いは少ないんだ。おっと、そんなことより……そのオーガスタっていう魔人が、どう関係しているんだい?」


「実はわたし、オーガスタさんと約束したんです。この短剣を、ウェルアンディアにいるオーガスタさんのところまで持っていくって」


 オラクルは驚いたような顔をした。


「へえ……それはまた、どうしてそんな約束をすることに?」


「えーっと……わたし、住んでいる町の近くで魔人の作り出した空間に迷い込んじゃったんです。その空間を作った魔人が誰かっていうことは分からないんですけど……」


 ロズは言葉に詰まった。

 説明するのは難しいが、オラクルは『時間がない』と言っていたのだから、できるだけ簡潔にまとめなくてはならない。


 ロズは大きく息を吸い、やや早口でまくし立てた。


「とにかく亜空間に迷い込んで、この短剣を見つけました。そうしたら魔獣に襲われて大ピンチになって……追い詰められていた時に、短剣を通してオーガスタさんがわたしに話しかけてきたんです。オーガスタさんは、短剣を使えば助かるって言いました。それで……短剣の使い方を教えてもらうかわりに、短剣をオーガスタさんのところまで持っていく、っていう約束をしたんです」


「……ふむ」


 オラクルはそう呟くと、眉をひそめて考え込んだ。

 そしてゆっくりと、短剣が収められたさやを指差した。


「その短剣、鞘から抜いてもらってもいいかな?」


「あ、はい!」


 ロズはつかを右手でぎゅっと握り、鞘から短剣を抜いた。

 オラクルは短剣をまじまじと見つめ、スッと目を細めた。そして、出し抜けに妙なことを訊いてきた。


「……この短剣には『魔法を解く』力があるんじゃないかな。違う?」


「魔法を解く……? あっ!」


 ロズは、オーガスタの言葉を思い出した。



『短剣を使えば魔法を解除できるわ。どうする? 使い方を知りたい?』



 オーガスタは、短剣を使えばあの空間に──あの『家』に仕掛けられた魔法を解除することができると言っていた。


「亜空間にかけられている魔法を、解除できるって言われました。魔法を解除するって……つまり、魔法を解くっていう意味ですよね?」


「うん、そういうことだね。そうか……やっぱり、魔法を解く力が……」


 オラクルは感嘆した様子で短剣を見つめている。


「でも……オラクルさん。どうして分かったんですか?」


「別に、確信していたわけじゃないよ。もしかして……と思った程度さ。ほら、亡骸が現れる前に、短剣が光を放っていただろう? あの光からは不思議な力が感じられた。それで勘付いたんだ。この短剣は、ことをするための物だって」


「特別なこと?」


 ロズは首を傾げた。


 魔法について詳しくないロズには、魔法をのものも同じことのように思える。

 だがオラクルの話しぶりからすると、どうもそうではないようだ。


「魔法を解くのって、そんなに特別なことなんですか?」


 オラクルは静かに頷いた。そして、これまで以上に真剣な眼差しでロズを見つめた。

 翡翠色がその深みを増したのを見て、ロズは改めてオラクルの瞳を『綺麗だな』と思った。


「うん。魔族にとって、魔法を解くというのはすごく危険なことだからね。なにせ、魔法を解くのはと言われているから」


 オラクルは、ロズの手元にある短剣に視線を向けた。


 銀色に輝く刀身。

 オラクルはその刀身に、そっと手をかざした。

 そして、とうとぶような、悲しむような、複雑そうな表情を浮かべた。


「ロズ、この短剣は魔人が作った物だ。作ったと言っても、鉱石から製造したって意味じゃない。魔人が魔力と魂を込めて、無から作り出した物なんだ。魔族の禁忌を破り、命を懸けて」


 ロズは息を呑んだ。


「そ、それって……」


「命懸けで、魔法を解くことのできる短剣を作り出したのさ。この短剣を作った魔人は、禁忌を破った代償として命を落としているはず。多分、この短剣を遺して死んでいったんだと思う」


「!!」


 命を落としている。


 その言葉はロズに突き刺さり、短剣の力を発動させた時のことを、鮮明に思い出させた。


 あの時、頭の中に響いてきた声。



『……お願いね……』



 強い意志と、寂しさを感じる声。


 あの言葉の重みを、ロズは今まで意識していなかった。


(もしかして、あの声は短剣を作った魔人の……)



 じわりと、ロズの目に涙が浮かんだ。ロズが自分の涙に気がつくよりも先に、その水滴は頬を伝い、音もなく刀身の上に落ちた。

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