第3話 初めて会った時のこと

 ハリエッキの町には公共の図書館があり、ロズの父親が館長をつとめている。そのため、ロズは幼い頃から図書館で過ごすことが多かった。


 外で遊んでいる子供達の輪に入りたくても勇気が出なかった時、図書館の穏やかな雰囲気とそこに並ぶたくさんの本は、ロズのさびしさを少しだけ和らげてくれたのだ。


 成長して友達と遊ぶようになっても、図書館は家と同じくらい安心できる特別な場所のままだった。


 ロズは数年前から図書館の仕事を手伝わせてもらっているが、最近では一人で受付を任されることもある。


 アレックスと初めて会ったのも、図書館の受付に座っている時だった。


──────


 白い外壁がいへきの図書館は、花壇に咲く色とりどりの花に囲まれている。

 図書館の中に入るとすぐ受付があり、ロズはそこに座って蔵書ぞうしょ一覧と貸し出し表を眺めていた。


 奥にある大きなアーチ窓から、午前中のまぶしい光が降り注いでいる。

 静かな図書館は一見いっけんすると誰もいないようだが、壁一面に並ぶ本棚の前にはチラホラと利用者の姿があった。だが、今のところ受付に用のありそうな人はいない。


 ロズはカウンターの下から読み途中の本をそっと取り出し、手元で広げようとした。


 その時、図書館の扉がギーッと開き、一人の少女が中に入ってきた。


 顔を上げたロズはその少女の姿を見て、あっと声を出しそうになった。

 見覚えのある姿だったからではない。むしろ「見たことのない子」だったから反応したのだ。


(もしかして、あの子がこの前一人で越してきたっていう・・・アレックス?)


 図書館に入ってきたのはロズと同年代の少女だった。


 小さな町なので、住人達の顔は覚えている。

 無論、同年代の子達の顔も覚えている。だが、珍しそうに図書館の中を眺めているその少女は、初めて見る子だった。


 ロズと同い年くらいの少女が越してきたという話は、既に父親から聞いている。


 父親は、町長の家を訪ねた時にその少女を見かけた、と言っていた。

 どうやら少女の方も町長に用があり、たまたま同じタイミングで家を訪ねていたらしい。


 それからロズの父親は、その少女はロズよりも少しだけ背が高く、アレックスという名前であることを教えてくれた。


 ロズは、いま目の前にいる少女が「アレックス」だと確信した。


 アレックスはキョロキョロと図書館の中を見回している。


 初めて訪れたからだろう。どの本棚にどんな本があるか、それが分からずに迷っているようだった。

 ふらりと本棚の方に近づいていっても、本を手に取ることなくすぐに離れてしまう。


 ロズはそわそわと椅子から腰を浮かして、そんなアレックスの様子を見つめていた。

 やがて意を決すると、ロズは受付から出てアレックスの方に近づいていった。


「あの〜」


 突然声をかけられ、アレックスはハッとした様子で身をひるがえした。

 ロズはその素早い動きに驚き、あわてて謝罪の言葉を口にした。


「わっ、ごめんなさい。いきなり声をかけちゃって・・・」


「・・・なんですか?」


 アレックスの声には警戒心があふれている。

 ロズはドギマギしながら問いかけた。


「あの、あなたってもしかして、この前越してきた子?」


「・・・」


 アレックスはジッとロズを見つめたまま、無言でうなずいた。


「やっぱり! そうだと思ったんだ〜!」


 ロズは嬉しくなり、笑顔で言葉を続けた。


「えっと、アレックス・・・だよね? わたしはロズ。この図書館のことには詳しいんだ! アレックスは初めてここに来たんでしょ? 何か探してる本があるの? 本の場所が分からないなら、わたしが──」


「いいの、もう行くから」


 そう言うと、アレックスはロズの横をサッと通り過ぎ、そのまま早足で図書館から出ていってしまった。


 待ってと声をかけることもできず、ロズは呆然と、その後ろ姿を見送った。

 そして、すぐに激しい後悔の念に駆られた。


(帰っちゃった・・・わたしがいきなり声をかけたせい、だよね・・・)


 考えてみれば、初対面の他人が一方的に自分のことを知っていたら、誰だって戸惑とまどうし、嫌な気分になるだろう。それどころか、怖いと思うかもしれない。

 いきなり近づいて、ぐいぐい話しかけて、アレックスを怖がらせてしまった。


 アレックスは新しい土地で緊張しているはずだ。今日だって、きっと勇気を出して図書館を訪れてくれたのだろう。

 それなのに、彼女に嫌な思いをさせて、帰らせてしまった。


(どうしよう、悪いことしちゃった・・・)


 ロズは自己嫌悪で落ち込みながら、その場に立ち尽くした。


 それ以来、アレックスは図書館を訪れていない。

 図書館で働く職員にさりげなくいてみたが、ここで彼女を見かけたことはない、という答えが返ってくるだけだった。


 初めて訪れた時に嫌な思いをしたから、行きづらくなってしまったのだろうか。そんな風に考え、ロズはひっそりと溜息ためいきをついた。


──────


(あの時のことを謝ろうと思ってたのに、今日のことで更に嫌われちゃったかもなあ・・・。ははっ)


 ハリエッキの森の入り口で、ロズは自嘲じちょうめいた笑いを浮かべた。


(ていうか、今日もあんな風に詰め寄ったりして・・・やってることはあの時と同じじゃん・・・。我ながら、成長してないなあ)


 情けなさと恥ずかしさで崩れ落ちそうになるが、えいっと両頬をたたき、気合を入れ直す。


 探しに行くと決めたのだから、今はとにかくコールを探さなくては。


 意を決して、ロズは森の中に足を踏み入れた。


(大丈夫。お父さんと一緒に来たことがあるんだから・・・)


 図書館の館長を任されているだけあって、ロズの父親は調べ物や研究が大好きだ。町周辺の環境にも強い関心を抱いているので、ハリエッキの森へ調査に出かけることも多い。


 ロズは、何度か父親の調査に同行させてもらったことがある。それで、森の地理に関してはある程度の知識があるのだ。


「・・・だから、わたしでも見つけられるはず・・・」


 ロズは自分自身に言い聞かせるように、そうつぶやいた。


 足元に咲く紫色の花を踏まないよう気をつけながら、背の高い木々が並ぶ森の中を進んでいく。


 春の日の森は、生命に満ちていた。

 あちこちで花が咲き、木々は新しい葉をつけ始めている。

 芽吹めぶいた木の上の方からは、活き活きとした鳥のさえずりが聞こえてくる。


 のどかで平和な雰囲気だが、油断はできない。


 うっかり森の奥深くまで進んでしまったら、コールを見つける前にロズ自身が道に迷ってしまうだろう。

 それに、新緑しんりょくや鳥だけではなくけものも活発になっていそうで不安だ。


(うう、コールが遠くに行っていないといいんだけど・・・)


 少し歩くと、大きな一本杉いっぽんすぎが生えている場所にたどり着いた。

 その一本杉の前で、ロズはある異変に気がついた。


「あれ?」


 そこでは道が二つに分かれているはずなのだが、目の前には道が「三つ」ある。

 一つは湖の方へ続く道、もう一つは更に森の奥へと進む道、そして残るもう一つは・・・。


(おかしいな、前に来た時はこんな道なかったはずなのに)


 記憶違いだろうかと考えたが、目の前の一本杉は、間違いなく父親が目印にしていた一本杉と同じものだ。

 ここで道が二つに分かれている、と父親から教わったのは間違いない。


 ロズはごくりとつばを飲み込み、三つ目の道の方を見やった。


 その道の両側には、葉を鬱蒼うっそうしげらせた木が並んでいた。葉の重みのせいか、木々はお辞儀じぎをするように太いみきと枝をかたむけている。


 鬱蒼とした枝葉えだはが道の両側から重なり合っている様子は、木でつくった緑のアーチのようだ。


 緑のアーチが陽の光をさえぎっているせいで、その暗い道は不気味な雰囲気をただよわせている。


(なんだろう、なんだか妙な気配がするような・・・)


 アーチのずっと先の方から、背筋せすじをゾクッとさせるような、怪しい気配が溢れ出していた。


 ──謎の、三つ目の道。


 もしも好奇心旺盛な子供がこの道を見つけたら、その子供はどうするだろうか。


 コールが、この道が以前は存在していなかったものだと気がつくかどうかは分からない。だが彼はきっと、この不気味な雰囲気と怪しい気配に引き寄せられてしまうだろう。


(絶対、こっちに進むだろうなあ・・・)


 コールが目を輝かせて三つ目の道へと走っていく姿が、はっきりと頭に思い浮かぶ。


「よし! 行くしかない!」


 やっぱり引き返して誰かに報告するべきかも、という思いをかき消すように、ロズは大きな声でそう宣言した。

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