第41話 再び、二人の時間

 アレックスはつかつかとグレンに歩み寄り、声をかけた。


高原こうげんでは案内もしてもらいましたし、切符代くらいなら──」

「え?」


 グレンは心底驚いたというような顔でアレックスを見た。それから、焦った様子で首を横に振った。


「いやいや、駄目だよ! 迷惑はかけられない。大丈夫、手はあるから」


「・・・本当に? それなら最初から、困る必要なんてなかったんじゃないですか?」


「?」


 状況が分かっていないロズは、コソコソと話し合うアレックスとグレンのことを、不思議そうに見つめた。


「こうなったら、仕方ないな・・・」


 グレンはどこか気乗りしない様子で、乗務員の前に進み出た。そして、ジャケットのポケットの中から何かを取り出した。


「紙・・・?」


 ロズは身を乗り出し、グレンの手元を覗き込んだ。


 グレンがポケットから取り出したのは、手のひらに収まる程度の小さな四角い紙だった。紙といっても結構厚みがあり、質感もしっかりとしている。簡単には破れなそうだ。

 その紙の左上部分には、紋章と思しき仰々しいデザインのスタンプが押されている。そして、スタンプの横には文字が並んでいた。


 グレンはその紙を乗務員に見せた。真っ赤なスタンプと、その横に並ぶ文字を目にした乗務員は、驚いた顔で息を呑んだ。


「! それは、研究院の・・・!」


 スタンプの横には大きな文字で『ウェルアンディア研究院』と書かれている。更に、その下には小さめの文字で『所属証』と書かれていた。


「ええ、僕は・・・研究院に所属しています」


 グレンはそう言ってから、どこか居心地悪そうに肩をすくめた。


「ウェルアンディア研究院の方だったとは! お疲れ様です!」


 乗務員は目を輝かせ、ビシッと敬礼をした。その改まった物腰に驚き、ロズは首を傾げた。


「? 研究院、ってなんですか?」


「知らないんですか? ウェルアンディア研究院は、トップクラスの魔力研究をおこなっている施設ですよ!」


 そう答える乗務員の声には、深い尊敬の念が込められているようだった。


「彼らの研究は、魔法を用いた技術の発展に大きく貢献しているのです。我々、鉄道会社『リンクスタハティニア』も、様々な場面で彼らの力を借りています。我々は、研究院とは協力関係にあるんですよ」


「魔力の研究・・・!」


 ロズはとっさに、アレックスの方を振り返った。

 レールリッジ駅での会話を──魔力の研究や、魔法を用いた技術の発展に対して不安感を抱いていたアレックスの姿を、ハッと思い出したからだ。


「・・・」


 アレックスはむっつりとした顔で、グレンの所属証をにらんでいた。やはり、思うところがたくさんあるのだろう。


「・・・まあ、研究院がすごいというのは置いといて・・・」


 グレンは咳払いをすると、気まずそうに鼻を掻いた。


「僕はフォミング高原の、調査に来ていたんです。例の、大型魔獣について調べていました。それで、これからウェルアンディアに戻らないといけないんですが、その・・・よかったら列車に・・・」


 グレンは言葉をにごし、困ったような表情で乗務員を見つめた。


「! もちろん、この駅から列車に乗ってください! 切符は必要ありませんよ。研究院に所属する方は無料で鉄道を利用できることになっていますからね。我々の、ささやかな支援の一環です」


 乗務員はそう言って、誇らしげに胸を張った。


「・・・ありがとうございます」


 グレンは頭を下げ、所属証をポケットの中に戻した。その様子を見つめながら、アレックスがいぶかしげに呟いた。


「そんな便利な物があるなら、最初から使えばよかったじゃないですか」


「・・・できれば使いたくなかったからね」


 グレンは眉根を寄せ、憂鬱そうな声でそう言った。


「さあ皆さん、お疲れでしょう。そろそろ列車の方へ──」

「! あの、ちょっと待ってください」


 グレンは乗務員の言葉をさえぎり、慌てて彼に言った。


「ひとつ、お願いしたいことがあります。所属証を提示した人間が列車に乗ったことは、ウェルアンディアに到着しても研究院には報告しないでほしいんです」


「? もちろん、特に報告する予定はありませんが・・・」


 乗務員は不思議そうな顔で首を傾げた。


「そうですか・・・よかった、それを聞いて安心しました。ちょっと事情がありまして・・・とにかく、僕のことは内密にしてほしいんです」


 グレンにそう頼まれると、乗務員は素直に頷いた。


「なるほど、内密に・・・ですね。かしこまりました!」


「助かります」


 グレンは少しばかり安堵した様子で、もう一度頭を下げた。

 そして今度こそ、三人は乗務員に先導されて、列車の待つプラットホームへと向かったのだった。


────────────


「はあ、疲れた〜!」


 ロズは寝台に身体を投げ出し、幸せそうな表情で両腕を広げた。


「ようやく腰を下ろせた、って感じね」


 アレックスも、もう一つの寝台に腰を下ろし、安心した様子で表情を和らげた。


 プラットホームで列車に乗り込んだ二人は、自分達に割り当てられていた客室まで戻ってきていた。

 長い時間をこの客室で過ごしわけでもないけれど、こうして無事に戻ってくると、まるで自宅に帰ってきたかのような安心感で満たされてしまう。


「列車もちゃんと走り出したし・・・本当、ひと安心だよ〜」


 どうやら、すでに出発準備は整っていたらしい。ロズ達が戻ってきてすぐ、長距離夜行列車はウェルアンディアに向けて再び走り始めたのだ。

 ウェルアンディアまでの距離は、ルート全体から見て残り三分の一程度。今日の夜には到着できる予定だった。


「グレンさんもちゃんと休めてるかな」


「空いてる客室はかなりあったし、大丈夫でしょう」


 ディムプレイス駅で列車を降りていった乗客の数は少なくない。車内の通路を歩いている時にも、空いている客室がいくつも目に入った。

 グレンには、そのうちのどれかが割り当てられているはずだ。今頃は彼も、客室で身体を休めているだろう。


 ロズは身を起こし、しみじみとアレックスに言った。


「なんだか・・・本当に大変な一日だったね。まあ・・・一日はまだ終わっていないんだけど」


「そうね・・・というより、ロズ?」


 アレックスは身を乗り出し、ロズの顔を覗き込んだ。


「な、なに?」


「そろそろ教えてよ。巨石群でオラクルと姿を消した後に、一体何が起こっていたのか」


「! そ、そういえば、まだ言ってなかったね・・・」


 言われてみれば、オラクルの作り出した亜空間でのことを、アレックスにはまだ話していなかった。

 すっかり話すタイミングを見失っていたのだ。


 ロズは申し訳なくなり、アレックスに謝った。


「ごめんね・・・」


「別に・・・謝らなくてもいいけど、早く教えてよ。あの『亡骸なきがら』が結局どうなったのかも、わたしはよく分かっていないんだから」


 ねたように言うアレックスを見て、ロズはつい『可愛いな』と思ってしまった。が、頬を緩めている場合ではない。


「うん、えっとね、まずオラクルさんが──」



 こぼれそうになる笑みを抑え、ロズは真剣な表情で話し出した。

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