幕間4 レールリッジを飛び立つ影 その2

「……あなたが来る前?」


「うん。誰か来たんでしょ?」


 店内に向けられていたソフィアの鋭い視線が、今はレイラを射抜いている。

 レイラは居心地の悪さに身震いした。


 店主として、客のことをベラベラと話したくはない。だが、ソフィアを不機嫌にさせるのも避けたかった。

 この掴みどころのない女のことが、レイラは研究院にいた頃から少し苦手なのだ。この女と、そして研究院を敵に回したくはない。


 レイラは心の中で『ごめんね』と呟きながら、ソフィアの問いに答えた。


「……女の子が二人来たけど、普通の子達よ。研究院とは全く関係のない子達。一人は知ってる顔だったけど、それは、前にもこの店に来てくれたからってだけ」


「ふぅ〜ん……そうなんだぁ」


 ソフィアはどこか不服そうで、納得していない様子だった。ジロジロとレイラを観察し、隠し事をしていないかどうか探ろうとしている。


「何を勘繰かんぐっているのか知らないけど、本当に、特別なことなんて一つもなかったわ。あの子達はしばらく店の中を見て、それからペンダントを買ってくれた。それだけよ」


 ソフィアは何やら考えを巡らせていたが、出し抜けに、いぶかしむような表情から可憐な笑顔に戻った。


「……ま、いいや! わたしの気にしすぎだったのかも! ごめんね、変なこといちゃって」


「……別にいいけど」


 コロコロ変わるソフィアの態度に、レイラは辟易へきえきしてしまった。


「じゃあ用事も済んだし、わたしはもう行くね」


「あら、ずいぶんせわしないのね」


 レイラは心の中で舌打ちをした。

 さっさと出ていってくれとは思っているが、ソフィアのペースに振り回されていることが腹立たしくて仕方なかった。


「まあね! レイラとゆっくりお喋りしたいところけど、ちょ〜っとやることがあるんだ」


 ソフィアはレイラの方に悪戯っぽく流し目を向け、ひらひらと手を振った。

 そのまま出て行くのかと思いきや、ソフィアは不意に足を止め、陳列棚の一角に近づいていった。

 

 そこには、エオスディアをモチーフにしたアクセサリーが並んでいた。


『エオスディアのご加護がありますように』


 その説明書きと、棚に並ぶアクセサリーを眺めながら、ソフィアは小声で呟いた。



「……ずいぶんと祭り上げられちゃって。エスリンはどう思うのかな……」



 カウンターから、レイラが怪訝けげんそうに尋ねる。


「? 何か言った?」


 ソフィアはカウンターの方に向き直り、棚を指差しながら言った。


「ねえ、レイラ。元同僚のよしみで、どれか一つプレゼントしてくれない?」


 レイラは腕を組み、キッパリと拒否した。


「はあ? 嫌よ。欲しいなら自分で買ってちょうだい」


「え〜駄目? じゃあ、諦めよ〜っと」


 ソフィアは軽薄な笑みを浮かべながら、軽い足取りでドアに向かった。


「バイバイ、レイラ。お店頑張ってね〜」


 そしてレイラの返事を待つこともなく、店の外に出て行った。


────────────


 雑貨屋レイラズの外。


 ここは幅の狭い脇道になっており、にぎやかな表通りと比べて人通りは極端に少ない。


 ソフィアは適当な建物の裏手に回り、足を止めた。周囲に人の気配はない。

 地面には、ソフィア一人の影がゆらりと伸びている。


(……思った通り、ここに来ていた。この街にレイラ以外の知り合いがいるはずもないし、当然だよね。それより……うっすらと残っていた、あの気配は……)


 ソフィアは足元を見下ろしながら、楽しそうに口角を吊り上げた。


(あはっ、どうして急にを動かしたのかと思ったけど……面白い。オーガスタってば何か仕掛けてるようね)


 そして、ソフィアはほとんど口を動かすことなく、彼女の『配下』にしか聞こえない声でささやいた。


「……とにかく、助かっちゃった。ありがとね、彼がレールリッジにいるってことを教えてくれて。本当、お手柄だよ」


 路地には沈黙が流れるばかりで、誰の声も返ってこない。だが、ソフィアは全く気にしていないようだ。当然のことのように、を続ける。


「列車に乗ろうとしていた、かぁ……まさかウェルアンディアにとんぼ返りするってことはないだろうし……あ、そっか」


 眼鏡の奥で、ソフィアの瞳がきらめいた。


「フォミング高原こうげんだ。あの高原は今、面白いことになってるはずだから。おおかた、オーガスタが『魔獣まじゅうの様子を見て来い』とでも命令したんでしょ。彼を目的地の高原じゃなくてレールリッジに送り込んだのは……オーガスタの遊び心、だと思う」


 ソフィアは白衣のポケットに手を突っ込み、浮かべていた笑みをより大きくした。


(フォミング高原に行かせるなんて、ほんっと何を企んでいるんだか。それに……どう絡んでくるのかな? レイラの店に来てたっていう二人は)


 ソフィアはポケットから手を出すと、何やら張り切った様子で背伸びをした。それから足元の影に向かって、やや真剣味を帯びた口調で言った。


「フォミング高原に行って。今から行けば先回りできる」


 数秒後、地面に伸びるソフィアの影が、大きくうごめいた。ボコボコと泡立つように、影の表面が浮かび上がってくる。

 そして、犬を思わせるシルエットが


「他にもいっぱい魔獣がいるだろうけど、あなたは誰にも手を出しちゃ駄目だからね。気づかれないように、監視だけするの」


 ソフィアがそう言ったのと同時に、空中に飛び上がったシルエットの背に大きな翼が生えた。


 両翼をまとった犬のような何かは、そのまま上空へと飛び去っていく。その様子を、ソフィアは満足げに見届けた。


(……研究院に報告するのは、フォミング高原で何が起こるかを確認してからでいいや)


 不遜ふそんな笑みを浮かべながら、ソフィアは静かに目を閉じた。その途端、桃色に輝く紋様が、足元の影を覆うように出現した。


(ふふっ……)


 次の瞬間、ソフィアの姿は路地から消えていた。


 一連の出来事は幻だったかのように、誰にも気づかれなかった。


 

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Precious Twosome! ロズとアレックスの冒険 胡麻桜 薫 @goma-zaku-12

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