第22話 アレックスの不安

 切符売り場の外はエントランスホールになっており、大勢の利用客が行き交っていた。

 雑踏の中、ロズはキョロキョロと辺りを見回し、アレックスの姿を探した。


「……あっ!」


 雑踏の中心から外れた壁際に、アレックスがポツンとたたずんでいた。

 広いエントランスホールの中で唯一そこだけが、人の流れがない場所になっている。


 ロズは急いでアレックスに駆け寄り、声をかけた。


「アレックス! どうしたの? 大丈夫?」


 壁の方を向いて項垂うなだれていたアレックスが、ノロノロとこちらを振り向いた。心なしか、顔色が悪い。


「! もしかして、気分が悪くなった? 具合悪いの?」


 アレックスは首を横に振った。


「……ううん、違うの」


「でも……」


 どう考えても、ナタリーに話しかける前と今とでは、アレックスの様子が変わっている。

 ロズは不安げにアレックスを見つめた。


「心配させてごめんなさい。驚いたわよね、いきなり出て行ったりして……わたし……」


 アレックスは額に手を当て、恥じるように目をらした。

 どうやら彼女自身、自分の行動に戸惑っているようだ。


「……まだ切符を買っていなかったわね。売り場に戻りましょう」


 アレックスは、何事もなかったかのように売り場の方へ戻ろうとした。ロズの横を通り過ぎる彼女は、やはり顔色が悪いように見える。


 ロズは、踏み込んでいいのかと一瞬だけ躊躇ちゅうちょしたが、昨日ハリエッキで決意したことを思い出し、アレックスを呼び止めた。


「アレックス、待って!」


 アレックスが足を止め、不思議そうな顔でロズを見る。


 ロズは勇気を出し、アレックスに一歩近づいた。


「あの……何かアレックスを悩ませていることがあるなら……話、聞くよ?」


 なんとも漠然ばくぜんとした言い方になってしまったが、これがロズの精一杯だ。


「…………」


 アレックスは足を止めたまま黙り込んだ。


 彼女の表情は読めない。ロズは怖気おじけづきそうになったが、それでも必死に言葉を続けた。


「切符売り場で聞いた話の中に、引っ掛かることがあったのかなって思って……それで、わたし……」


「知らなかったの」


 アレックスはボソリとそう言った。


「えっ……」


「言ってたでしょ? 車両や線路に魔法をかけるとか、そういうことを」


 アレックスは両腕を、そっと自分の体にまわした。


「……列車のような大きな物体に魔法をかけたうえで、走行している間その効果を持続させる。それって、すごく難しいことよ。そんなことが行われてるなんて……知らなかった」


 ロズは、ナタリーの話を聞いた時のことを思い出した。

 確かに『列車に魔法をかける』と聞いた瞬間、アレックスは衝撃を受けた様子だった。


「そっか……あの話を聞いてわたしも驚いちゃったけど……アレックスも知らなかったんだね」


「そんな難しい魔法が鉄道のために使われているってことは……この国でも、魔力や魔法の研究が行われているってことよ。魔法を、ための研究。考えてみれば当然のことだわ」


 アレックスは表情を曇らせた。


「──別に、魔法自体を批判するつもりはないの。魔法を使えば、いざとういう時に武器がなくても自分の身を守れる。大事なことよ。それに、生活のちょっとした場面に魔法を役立てるっていうのも、悪いことではない……と思う」


 アレックスはゆっくりと、自分の考えを整理しながら話しているように見えた。


「例えば、必要な設備のない環境で、洗濯や料理のために簡単な魔法を使うとか……そういうことを、批判するつもりはないの」


 無数の足音と話し声で、エントランスホールの中はザワザワとしている。

 あっちからこっちから、急ぎ足の人達が歩いてくる。こうして壁際にいなければ、誰かとぶつかってしまっていただろう。


 そんな喧騒けんそうの中、アレックスは自分の考えと向き合っていた。


「でもね……魔力や魔法って、本質的には『危険なもの』だと思う。安易に手を出して、身の丈に合わないような使い方をするべきじゃない。そんな風に利用していたら、きっと災いが起こるわ」


 アレックスの体は、小さく震えている。

 彼女が思い浮かべているのは、間違いなく故郷のことだろう。


 クリフディール。国土に宿る膨大な魔力を利用しようとして、滅びの道を歩むことになった国。

 アレックスの、故郷。


「アレックス──」


 肩に触れようとするロズの手を、アレックスは震えながら制した。


「……ここで、信じられないほど高度な魔法が使われているってことを知って……なんだか落ち着かない気分になったの。『安全のため』っていうのは、もちろん理解できるわ。でも、どういう目的であれ、魔法を用いた技術を過度に発展させるのは……危険な行為だと思うの」


「! 危険……そうだよね。魔法は、暴走することだってあるし……」


 特異な状況下だったとはいえ、ロズは昨日、炎を作り出すという初歩的でごく簡単な魔法を、暴走させてしまった。

 あれだけでもロズにとっては怖い記憶となっているが、もしも高度な魔法が──強力な魔法が暴走したら、もっとずっと恐ろしいことが起こるのだろう。


 魔法を用いた技術には危険性が伴う。そのことは、ロズにも十分理解できた。


「タハティニアでも魔法の研究が行われていて……おそらくは鉄道だけじゃなく、いろんな分野で、高度な魔法が利用されている。魔法を用いた技術が、どんどん発展していく。そう考えたら不安になったの。人間は、自分達の手に余ることをしようとしているんじゃないかって……」


 アレックスは自嘲するような、苦々しい笑みを浮かべた。


「不安になって、じっとしていられなくなった。気づいた時には、あの場から逃げ出していたわ。馬鹿みたい……わたしがウジウジ悩んでも意味ないのに」


「そんな……!」


 思わず、ロズはアレックスの手を強い力で掴んでいた。


「あ、ごめん!!」


 力を込めてしまったことに気がつき、慌ててアレックスの手を離す。


「……?」


 アレックスは困ったような顔で、ロズを見つめた。

 そんな彼女に、ロズは迷いなく、キッパリと言った。


「アレックス、不安になるのは馬鹿みたいなことじゃないよ。考えて何かが変わるわけじゃなくても、いっぱい考えて悩むのは、きっと大切なことだよ」


「……ロズ……」


 アレックスの瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。

 ロズに気づかれないよう、アレックスは素早く後ろを向いた。


(……いつもは自信なさげに喋るくせに、こういう時は堂々と言い切るんだから。それに……手を握るのが好きよね、まったく。でも……嫌じゃないかな)


 アレックスはさりげなく目元を拭ってから、ロズの方に向き直った。


「ありがとう、話を聞いてくれて」


「え? でも、わたしは聞いただけで何も……」


 狼狽ろうばいするロズに、アレックスは微笑みかけた。先ほど見せた苦々しい笑みとは違う、穏やかな笑みだった。


「聞いてくれただけで十分よ。なんていうか、口に出したことで少しスッキリしたわ」


「ほ、ほんとに? それなら……よかった」


 ロズは、えへへと照れ笑いをした。


 アレックスの顔色は良くなったように見える。

 気を使って言っているのではなく、本当に、気持ちが少しスッキリしたのだろう。


 呼び止めてよかった、ロズは心の底からそう思った。


「さっ、今度こそ、切符を買いに行きましょう」


「うん!」

 


 二人はそろって切符売り場へと戻り、窓口の列に並んだ。

 そして無事に、二台の寝台が並ぶ二人用の客室を確保することができたのだった。


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