第3章 アレックスの過去

第39話 アルターの記憶

 ロズは駆け寄ってきたアレックスの背中に両手を回し、彼女をぎゅっと抱きしめた。


(あ、思わず抱きしめちゃった……どうしよう)


 ロズの焦りに反して、アレックスは振り払うことなくロズを抱きしめ返した。


「無事で安心したわ」


「! ありがとう……アレックス」


 ロズは、心地よい安堵感に胸が満たされていくのを感じた。


 幼い頃、悲しいことや怖いことがあって泣いていると、父親がぎゅっと抱きしめてくれた。その時の感覚に似ているけれど、何かが違う。

 アレックスの体温をこんなに近くで感じて、すごく安心するけれど、それと同時にドキドキして、少しだけ落ち着かない気分になってしまう。


(なんだろう、この感じ……)


 その不思議な感情にひたっていると、横から呆れかえったような声が聞こえてきた。



大袈裟おおげさね。何年も会えなかったわけでもないのに」



 ベロニカが、冷めた目で二人を眺めていた。


「「!!」」


 ロズとアレックスは慌てて互いの体から手を離した。


「あはは、なんか安心しちゃって、思わず……」


 おずおずとベロニカの方に顔を向けたロズは、少し離れた位置からこちらを見ている人物の存在に気がついた。


「? ん? あそこにいるのは──」


 グレンが、やや居心地悪そうな様子でそこにいた。彼はチラチラと、警戒心のこもった視線をオラクルに向けている。


「グレンさん、戻ってきてたんですね! 良かったあ!」


 嬉しそうな声でロズに言われ、グレンは不意をつかれたような顔をした。


「! う、うん。えっと……ごめんね。急に姿を消したりして」


 グレンはぎこちなく微笑むと、ロズ達の方に歩み寄ろうとした。だが途中で足を止め、いぶかしげに空を見上げた。


「あれは……!」


 つられて、ロズも空を見上げる。すると、鳥の群れがどこかへ飛び去っていくところが見えた。

 鳥達が飛んでいるのは、そこまで高い位置ではない。地上からでもその姿がよく確認できた。


 そしてよく見ると、それはただの鳥ではなかった。


「! あれは……魔獣まじゅう?」


「……そうみたいね」


『鳥』の群れを見上げて、アレックスが同意した。


 空を飛んでいるのは高原こうげんの入り口でロズ達を襲った、あの鳥型と同じ種類の魔獣のようだった。

 だが、あの時と違って襲いかかってくる気配はない。ロズ達の方には目もくれず、魔獣達はフォミング高原を離れていく。


「高原から離れていってる? どうして急に……しかも一斉に?」


 困惑するロズの横で、オラクルがボソリと言った。


「ふむ……もしかすると、あの亡骸なきがらがいなくなったから、かもね」


 四人の視線がオラクルに集まる。オラクルは、考えをまとめながら話し始めた。


「列車の乗客が感じていた不気味な音や気配の正体は、わたしが戦ったデカいやつを筆頭にした、あの鳥型の魔獣達だと思う。でも、あの鳥型は本来、どこか一箇所に住み着くようなタイプじゃないんだ。高原を通る列車や人間にちょっかいを出す理由も、あいつらにはないはずだよ」


 オラクルは納得がいったと言いたげに、うんうんと頷いた。


「──あいつらが亡骸の……というか、亡骸を動かしていた『魔法』の影響を受けていたのだとしたら、説明がつくんだよ」


 ベロニカが怪訝けげんそうに眉をひそめた。


「魔法の影響?」


 オラクルは遠くなっていく鳥型の群れを指差し、肩をすくめた。


「結論から言うと……あいつらは亡骸を守ろうとしていたのかもしれない。無意識のうちに、ね。だからフォミング高原に住み着いたんだ。そして亡骸がいなくなった今、魔獣達は高原を離れようとしている。魔法の影響も消えたからね」


「よく分からないわね。って、一体どういう意味よ。それに……オラクル。あなた、亜空間に行っていたんでしょう? 向こうで何が起こったのか、ちゃんと説明してよね」


 ベロニカは不機嫌そうに腕を組み、オラクルをにらんだ。


「ん? ああ、そうだね。まずは君に話さないと」


 オラクルはベロニカの前に立つと、急かすように睨んでくるベロニカの肩に、そっと手を置いた。


「ベロニカ。見つけたと思うんだ、ヒントになることを」


「!!」


 ベロニカはハッと息を呑み、オラクルを凝視した。


「本当に?」


「うん。元凶の存在が見えてきたんだよ。きっと、君のにも繋がっていくはずだ」


「教えて、何が分かったの?」


「……いいのかい? ここで話しても」


 オラクルに問われ、ベロニカはチラリとアレックスの方を見た。


 アレックスとベロニカの視線が絡み合う。ベロニカは赤い唇を引き結び、複雑な表情を浮かべた。

 それから、オラクルの方に向き直った。


「ここでは駄目。そうね……とにかく、一度ディムプレイス駅に戻りましょう。亡骸とやらは、もういなくなったんでしょ? 高原の危険は排除できたってことよね」


「うん。列車の運行を阻むような危険は、もう消えたよ」


「それなら報告しに行かないと。報告が済んだら、じっくり話を聞かせてもらうわ」


 ベロニカはオラクルに向かって手を伸ばした。オラクルは差し出された手をじっと見つめて、それから翡翠ひすい色の瞳でベロニカの顔を覗き込んだ。


「うん、そうしよう。でもね……言いづらいんだけど、クリフディールに向かう必要がありそうなんだ。もちろん、君に話をした後でね。ちょっと、確認したいことがあるから」


「! クリフディールに?」


 ベロニカは伸ばした手をビクッと震わせた。だが、狼狽うろたえたのは一瞬のことだった。

 彼女はすぐにオラクルの手を掴むと、自分の方に強く引っ張った。


「──いいわよ。その必要があるっていうなら、行きましょう」


 ベロニカがオラクルと共にこの場を離れようとしている。それを察したアレックスは、慌ててベロニカを止めようとした。


「ベロニカ!! 待って!」


「……何?」


 ベロニカは振り向き、アレックスにとげのある視線を向けた。


「! 何って……だって、まだ何も答えてもらっていないのに……」


 どうして魔人まじんであるオラクルと行動を共にしているのか。

 そもそも、どうして鉄道会社で働くようになったのか。


 ベロニカに抱いた疑問の答えを、アレックスはまだもらっていないのだ。


「それに! ベロニカ、クリフディールに行くつもりなの? そんなの……そんなの、危ないわよ」


 ベロニカはアレックスの言葉を無視し、オラクルの手をきつく握り直した。


「……オラクル。早くディムプレイス駅に戻りましょう」


「ベロニカ……!」


 アレックスは涙声になっている。ロズはたまらず前に進み出た。


「ツッ……ベロニカさん!! アレックスの話を聞いてください!!」


 ベロニカは渋々といった様子で、ロズの方に向き直った。


「……悪いけど、そんな暇はないの。あなた達だって知ってるでしょう? 列車が動くのを待っている人達が、たくさんいるのよ」


「ベロニカ、お願い。これだけは聞いて」


「……」


 懇願こんがんするアレックスから目を逸らし、ベロニカは顔をうつむけた。それでも、アレックスはすがるように言葉を続けた。


「……わたし、ずっと謝りたかったの! 早く謝るべきだったのに、クリフディールを離れる時も、レールリッジにいる時も、言い出すことができなかった。ベロニカ……ごめんなさい。わたしのせいで、わたしが力不足だったせいで……! アルターが……!」


「ツッ!!」


 ベロニカはサッと顔を上げると、握っていたオラクルの手を振り払い、激昂した様子で声を荒げた。


「アルターはまだ生きてる! 死んでなんかいない!!」


「ベロニカ……でも、あの時……」


「勝手なことを言わないで!! あの人は、どこかでまだ生きてるの!! あなたは、何も知らないだけなのよ……!」


「ベロニカ……」


 ベロニカは力無く首を振ると、感情を押し殺したような声で続けた。


「アレックス、あなたは何も知らない。あなたはクリフディールのことなんて全て過去にしているかもしれないけれど、わたしにとってはまだ『過去』じゃないの。わたしは、アルターを探さなくちゃいけないんだから……!」


 ベロニカの綺麗な目元から、ポロリと涙がこぼれた。その涙を見て、アレックスは全身を揺さぶられたような感覚を覚えた。


(何言ってるの……だって、アルターはあの時……)


『あの時』のことは、思い出すまでもなく、アレックスの脳裏に焼きついたままになっている。


────────────────



 荒廃した場所。

 今より幼い顔つきのアレックスが、崩れ落ちたように座り込んでいる。そのかたわらには、兵士らしき人物が倒れていた。

 そしてアレックスの肩に手を置く、一人の男。


 男がアレックスに言った。


『アレックス、障壁しょうへきを張って身を守るんだ。そいつのことも守ってやれ。お前なら、生き延びれるはずだ』


『アルターは!? アルターはどうするの? 置いていかないでよ……!』


『俺は──』



────────────────


(アルター……もしも本当に、生きているのなら……)


 アレックスはその場に立ちすくんだ。

 喜びや希望を感じるというより、思いもよらぬことを言われた衝撃で、頭が真っ白になっている。


 そんなアレックスを見て、ベロニカはもどかしそうに唇を噛み締めた。

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