第8話 心を苛む記憶、そして大ピンチの三人

 ──時間は少しさかのぼる。


 カレン・オリエルにカイルのことを頼んだ後、アレックスはハリエッキの森に入り、ロズの姿を探していた。


 そしてすぐに、森に漂う不穏な気配に気がついた。


(! これは……)


 その気配を頼りに進んでいくと、ひらけた草原に辿り着いた。

 青い花が一面に咲き乱れる草原、その奥には一軒の家屋が建っている。


 アレックスは家の前に立ち、緊張した面持ちで扉をにらみつけた。


(さっきの怪しい道からも、この家からも……魔族まぞくの気配がする!)


 森に漂う気配の正体を、アレックスは知っていたのだ。


(でも、どうして? ハリエッキ周辺に魔族が現れる可能性なんて、ほとんどないはずなのに……)


 間違いなく、何か異変が起こっている。

 アレックスは引き返したくなるのをグッとこらえた。


 魔族にまつわる異変が起こっているのだとしたら、あまり関わりたくはない。彼女にはそう思うだけの『理由』があった。


 だが、町の近くで起こっている異変を、見過ごすわけにもいかない。それに、例のコールという子供がここに迷い込んでいる可能性もある。


(こんな怪しい場所には入っていないと思うけど……もしも入っていたら、まずいわね。それから、あのも……)


 コールを探しに行くと言い出した時の、ロズの必死な表情が頭に浮かんだ。

 ロズは、いかにも無茶をしそうな様子だった。思い出すとなんだか胸騒ぎがする。


(……早く、中の様子を確かめないと)


 アレックスは青い扉に手をかけ、家の中に入っていった。



 玄関先の殺風景な部屋を抜けると、廊下の奥にある扉の向こうから、騒がしい話し声が聞こえてきた。


(誰かいる……!)


 アレックスは扉を小さく開け、隙間から中を覗き込んだ。そして、視線の先の光景に衝撃を受けた。


「!!」


 魔獣まじゅうがいる。

 後ろ姿だけでも見れば分かる。


 あれは魔獣だ。


 魔獣と対峙しているのは、ロズと小さな男の子だ。おそらく、あの男の子がコールなのだろう。

 魔獣は威嚇いかくするように頭を低くし、禍々まがまがしいツノを二人に向けて突き出していた。


(魔獣! やっぱり、魔族が……)


 アレックスは震える手を口元に当てた。


 この家に入った時点で覚悟はしていたが、実際に魔獣を目にすると身がすくんでしまう。

 ゾワゾワとした恐怖心がアレックスの記憶を──まだ古くなっていない記憶を、呼び起こした。



 誰もいない町。荒廃した大地。そして、遠くなっていく人影。



(ツッ……違う、違う! わたしはもう、別の場所に来たんだから……)


「ひゃあ!」


 悲鳴のような声が聞こえてきて、アレックスは我に返った。


 広間に視線を戻すと、赤黒い球体がロズの肩をかすめていくところが見えた。

 ロズは肩をおさえて、つらそうにしている。


(わたしがノロノロしているせいだ……早く助けないと!)


 アレックスは音を立てないよう注意しながら、扉を大きく開けた。いつでも飛び込めるようにするためだ。


(魔獣はこっちを見ていない。気づかれないうちに、一撃で……!)


 震え続ける両手をぎゅっと握り合わせ、大きく深呼吸をする。


「お願い……わたしに力を貸してください……」


 アレックスはそう呟き、目を閉じて集中した。

 右手がぼんやりとした光に包まれていく。その光は段々と強くなり、まばゆい輝きへと変わっていった。


(今だ!!)


 そう確信し、目を開いた。

 広間の中に飛び込み、大きな声で叫ぶ。


「ロズ、伏せて!!」


 そして、アレックスは魔獣に向けて全力の『魔法』を発動させた。



────────────



 時間は現在に戻る。


(助け出せたと思ったのに……)


 アレックスは唇を噛み締めた。 


 今、アレックスとロズ、そしてコールは、四体の魔獣に囲まれている。背後にはピクリとも動かない玄関扉があり、三人を家の中に閉じ込めていた。


 アレックスは魔法で魔獣達を牽制けんせいしつつ、チラリと背後の扉を見た。

 

 外からは、扉を開けて中に入ることができた。ということは、家の中から出ようとすると開かなくなる仕組みなのだろうか。

 それとも、一体目の魔獣を倒したことで開かなくなったのだろうか。


(魔法で扉を開けるのは……無理よね)


 おそらく、この家自体が魔族によってものだ。

 魔族が侵入者を閉じ込めるための仕掛けをほどこしていたのだとしたら、魔法を使ったところで簡単に開けられるとは思えない。


 今はとにかく、目の前の魔獣をなんとかするしかない。扉のことは後回しだ。


「くらえっ!」


 アレックスは手元に強い風を発生させ、ブーメランのように風のやいばを飛ばした。

 風の刃は半円を描くようにぐるりと飛んでいき、四体の魔獣全てに命中していく。


 だが、期待したほどのダメージは与えられていない。


 魔獣は風圧と衝撃に押されて後退したが、吹き飛ばされるというほどではなく、ひるむこともなかった。


「ロズ姉ちゃん……俺……」


 その時、ジッと黙っていたコールが、弱々しい声でロズを呼んだ。


「コール!? 大丈夫?」


 ロズはコールの顔を覗き込んだ。コールの顔はひどく青ざめている。


「ごめん、俺……なんだか……」


 言葉を終える前に、コールの身体がクラリと揺れた。


「コール!!」


 バタンと前に倒れそうになったコールを、ロズが慌てて抱き止めた。


 木箱がコールの手を離れ、にぶい音を立てて床に落下する。

 落ちた衝撃で留め具がカチャカチャと揺れたが、木箱のふたは開かなかった。


「ちょっと、コール! しっかりして!」


 ロズはコールを抱き止めたままひざをついた。腕の中でコールはぐったりとしている。


 魔獣達に注意を向けたまま、アレックスが焦った声で尋ねた。


「どうしたの!?」


「コールが急に倒れたの! ちゃんと息はしてるけど……気を失っちゃったみたい」


「……無理もないわね、この状況だもの」


 おそらくコールは、極度の緊張と恐怖から気を失ってしまったのだろう。


「──その子を、見ていてあげてね」


「うん……!」


 ロズは、意識のないコールをぎゅっと抱きしめた。


 ロズの返事を聞きながら、アレックスは焦燥感しょうそうかんが込み上げてくるのを感じた。


(そうよ、無理もない。小さな子供なんだもの。こんな状況……早くなんとかしてあげないと)


 瞳が揺らぎ、息が荒くなる。

 アレックスは戦闘のプロではない。

 こういう不利な状況で立ち回るのは苦手なのだ。


(わたしは、みたいには戦えない……! でもっ!)


 アレックスは震え出す手をぎゅっと握り締め、顔を上げた。


(しっかりしなくちゃ。ひとりで頑張るって決めたんだから!)


 四体の魔獣が一斉にツノを向け、攻撃を仕掛けようとしてきた。

 アレックスはしっかりとした目で魔獣達を見据みすえると、光に包まれた両手をサッと掲げた。


「はあっ!」


 アレックスの前に、半透明の障壁しょうへきが作り出された。障壁はアレックスを中心に大きくなり、ドームのように三人の周囲を包み込む。


 魔獣達の放った球体は全て障壁にぶつかり、バチッと音を立てて消滅した。


 アレックスは両手を掲げたまま、不敵な笑みを浮かべた。

 すると一体の魔獣が苛立ったかのようにうなり声を上げ、こちらに突進してきた。


「!!」


 間に障壁があるものの、魔獣はアレックスの目の前まで接近してくる。

 アレックスは魔獣から目をらさず、障壁を展開し続けた。


 突進してきた魔獣は跳躍ちょうやくするように前足を高く上げると、その足を勢いよく障壁に叩きつけた。


 バチイッ!!


 先ほどよりも大きな音がし、一瞬、火花が散ったように見えた。

 アレックスの両手に衝撃が走る。だが、障壁は破られなかった。


 魔獣は障壁に弾き飛ばされ、そのままガクッと崩れ落ちた。


「よし! 今のはダメージが大きかったはずよ!」


 他の三体は弾き飛ばされる仲間の姿を見て、直接攻撃するのは得策ではないと判断したらしい。障壁から離れたまま、次々に球体を放ってくる。

 放ってくる球体はこれまでのものよりも小さい。小さい分だけ素早く作り出せるらしく、攻撃の間隔が極端に短くなっていた。


「今度は連続攻撃ってわけ? いいわよ、しのいでみせる。防御は……得意なんだから!」


 いくら魔力を持つ存在とはいえ、いつまでも魔法攻撃を続けることは不可能なはずだ。

 凌ぎ続ければ、絶対に大きなすきが生まれる。

 アレックスは口角を吊り上げたが、その首筋からは冷や汗が伝い落ちていた。


「アレックス……すごい。でも……」


 障壁を展開させるアレックスを見つめながら、ロズはそう呟いた。


 アレックスは強い。

 だが、長引く戦闘で疲れてきているように見える。


 それに、この四体を倒せたとしても、また新たに魔獣が姿を現すかもしれない。

 そうなったら、一体いつまでアレックスは戦わなくてはいけないのだろう。


「わたしも魔法で一緒に……でも、また暴走させちゃったら……」


 このまま、アレックス一人に戦ってもらうしかないのか。

 あまりに歯痒はがゆくて、ロズは顔を伏せた。


 その時──。



『もしもーし、ちょっとぉ、そっちに誰かいるの!?』



 唐突に、床の方から苛立ったような声が聞こえてきた。

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