第5話 魔獣と魔法と驚きと その1

 ──魔族まぞくとは、人間やけものと異なり、体内に魔力を備える種族のことである。魔族はその魔力を自在に操り、強力な魔法を使いこなす。



 そして魔族のうち、姿形が獣に似ている者は『魔獣まじゅう』と呼ばれていた。



「魔獣!? でもロズ姉ちゃん、こんなところに魔獣なんて……」


 コールの声は戸惑いと恐怖で震えていた。


「そ、そうだよね……こんなところに魔獣がいるはずない。いるはずないよね……」


 ロズだって、コールと同じくらい混乱している。


(どうして!? ハリエッキの周りには……魔獣が現れるほどの魔力は宿っていないはずでしょ……)


 ロズ達の世界には、魔力があふれている。

 生物で体内に魔力を宿しているのは魔族だけだが、この世界を形成する大地や海といった『自然』には、常に魔力が宿っていた。

 

 宿っている魔力の量は、場所によって異なる。そして、魔力の多い場所には魔族が現れる、と言われていた。

 その一方で、人間は魔力の多い場所には近づこうとしない。

 魔力の多い場所では、何が起こるか分からないからだ。それに、魔族との余計な争いを起こしたくない、という理由もあった。


 昔から、人間は魔力が比較的少ない場所を選んで居住地をつくり、安全に暮らしてきた。

 魔族との接触を、避けてきた。


 つまり、居住地やその近辺で魔族と遭遇することはないはずなのだ。


 ロズだって、これまで魔族と遭遇したことは一度もなかった。ロズにとって『魔族』とは、図書館で読んだ書物の中に登場する存在でしかなかったのだ。


 ついさっきまでは。


「だ、だけど……」


 いまロズの前に立っている異形いぎょうの獣は、書物に登場する魔獣と、同じ特徴を持っていた。


「──あれはやっぱり、本物の魔獣だよ……!」


 ロズはよろめきそうになるのをこらえ、背後で震えているコールをチラリと見た。


 ついさっきまでの物怖ものおじしない様子が嘘だったかのように、今のコールはビクビクとおびえている。

 その変化をからかってやりたいところだが、そんな余裕はない。


 それよりなんとかすべきなのは、コールの手の中にある木箱だ。


「コール! どう考えても、魔獣が出てきたのは木箱を取ったせいだよ! は、はやく木箱を戻して! そうしたら魔獣は消えるかもしれない!」


 コールはコクコクとうなずいた。


「う、うん、わかった! すぐ戻す!」


 ロズは、コールが木箱を壁のくぼみに戻すのを見届けつつ、魔獣の様子をうかがった。


「ほ、ほら、戻したよ! これでどうかご勘弁を……って、ヒィッ!」


 魔獣は頭を下げ、ツノをこちらに突き出すような姿勢をとった。足に力が入っており、まさに攻撃に入る前の姿勢、という風に見える。


「駄目だよ、ロズ姉ちゃん! 箱戻したのにまだ怒ってるよ!」


「え〜ん、やっぱりそんな都合よくいかないか〜」


 とその時、魔獣のツノとツノの間で赤黒い煙が一つにまとまり、禍々まがまがしい見た目の球体が作り出された。


「!? 危ない!」


 球体に気がついたロズは、とっさにコールを抱えてその場にしゃがみ込んだ。

 次の瞬間、赤黒い球体がものすごい速さで放たれ、二人の後ろの壁に直撃した。


 青ざめた顔で壁を見たロズは、心臓の鼓動がバクバクバクと激しくなるのを感じた。


「あ、危なかったぁ〜!」


 壁は衝撃を吸収したが、あれがぶつかっていたらかなり痛そうだ。


「姉ちゃん! ロズ姉ちゃんも、魔法! 魔法使えるだろ!?」


 ロズに抱え込まれたまま、コールがすがりつくようにそう言った。


「え、魔法?」


「そうだよ! 魔法教室、通ったはずじゃん!」


「ううっ……」


 ロズは絶句した。



 ハリエッキでは、十四歳になった子供は魔法教室に通うことになっている。


 人間の体内に、魔力は備わっていない。

 だが『魔力を一時的に取り込み、魔法として放つ』という手段を用いることによって、人間でも魔法を使うことが可能となる。


 とは言っても、幼い頃からそんなことができるわけではない。


 魔力を取り込んで放出するのが可能になるのは、一般的には身体が成長して思春期を迎える頃、とされている。

 だから、十四歳になると特別な教室に通い、魔法の理論と基本的な使用法を学ぶことになっているのだ。


 ハリエッキだけではなく、他の街でも同じような制度が設けられている。魔法を正しく学ぶことで誤用や事故を防ぐ、というのが目的らしい。



「──う、うん、確かに通ったけど……」


 ロズは気まずそうに目を泳がせた。正直言って、ロズは熱心な生徒ではなかったし、優秀でもなかった。


「じゃあ、使ってよ! 魔獣をびっくりさせて、追い払うんだ!」


 コールは希望を見つけたと言わんばかりに、目を輝かせてロズを見つめた。


「ええっ、そんな無茶な……」


 ロズはボソボソとつぶやきながら立ち上がり、魔獣の方に向き直った。


 魔獣は監視するように二人を見ている。

 不幸中の幸いとでも言うのか、連続で攻撃してくる様子はなかった。


 ロズは覚悟を決めると、意識を集中させ始めた。

 魔力が体内に入ってくるのをイメージして、大きく息を吸い込む。


 少しでも魔力が存在する環境なら、取り込んで魔法を使うことは可能だ。

 つまり、ここでも魔法は使えるはず。


「えっと、魔獣を追い払うんだから、やっぱり炎……かな? 炎……燃える炎をイメージして……」


 魔法教室で炎を作り出す魔法を習った時のことを、ロズは必死に思い出した。

 そして、胸の前で右手の拳をぎゅっと握りしめた。


 数秒後、弱々しい光が右手を包んだ。

 ロズが恐る恐る手を開くと、そこにはメラメラと燃える小さな赤い何かが出現していた。


「! できた! できたよ、コール!」


 ロズはひたいに汗を浮かべ、自慢げにコールの方を見た。


「え、小さい……」


 コールは拍子抜けした様子で、その小さく頼りなげな『炎』を見つめた。

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