第29話 高原の戦い

「ベロニカは、わたしをクライブ町長に会わせてくれた人なの」


 フォミング高原こうげんに足を踏み入れてから程なく、アレックスはベロニカについて話し始めた。

 隣を歩くロズは、静かに耳を傾けている。


「……さっきベロニカが言っていたのは本当のことよ。わたしはベロニカと一緒にクリフディールを離れたの。二人でタハティニアに移って、それからしばらくの間、レールリッジで一緒に暮らしていたわ」


 ぼうぼうに伸びた草を踏み越えながら、アレックスは遠い目をして前方を見つめた。


「どうやって知り合ったのかは教えてくれなかったけど、ベロニカは町長のことを以前から知っていたみたい。町長にわたしを紹介して、わたしがハリエッキで暮らせるよう取り計らってくれたのよ」


 そういえば、アレックスが引っ越してくる少し前に、クライブ町長が二日間ほどハリエッキを留守にしたことがあった。きっと、クライブはレールリッジまでベロニカとアレックスに会いに行っていたのだろう。


「そうなんだ、ベロニカさんが……でも、それならどうして……」


 ロズは、口から出そうになった言葉を呑み込んだ。気軽にくべきことではない、と思ったからだ。

 だが、アレックスはロズが言いたかったことを簡単に見抜いてしまった。


「ベロニカもハリエッキで暮らせばよかったのに、どうして一緒に来なかったの……って、思う?」


 ロズはおずおずと頷いた。


「……うん」


「どうしてかしらね。わたしも理由を知らないの。ベロニカは……わたしと一緒に行かない理由を、言おうとしなかった。これからどうするつもりなのかも、教えてくれなかった」


 アレックスは自嘲するように笑った。


「……信じられる? わたし達はレールリッジで別れたきり、今日まで会うことはなかったのよ。一度くらい、ハリエッキまで様子を見にくるかと思ってたんだけどね」


「アレックス、それは──」


「ベロニカはね、わたしに怒ってるのよ」


 アレックスはそう断言すると、つらそうに顔を伏せた。


「えっ……」


「だって、わたしの力が足りなかったせいで、ベロニカの大事な……」


 そこまで言った時、アレックスは何かに気づいた様子でハッと顔を上げた。その顔には緊迫した表情が浮かんでいる。


「! どうしたの!?」


 緊張感を漂わせるアレックスを見て、ロズは心臓の鼓動が速くなるのを感じた。


魔族まぞくの気配がするわ。これは……多分、魔獣まじゅうよ。一体……ううん、二体!?」


 アレックスは素早く辺りを見回しながら、キュッと唇を噛んだ。


「ええっ、魔獣がこの近くに……!?」


「おかしいわ。さっきまで気配なんてなかったのに……! とにかく、気をつけて。魔獣が攻撃を仕掛けてくるかもしれないから」


 ロズは息を呑んだ。


「う、うん……!」



 その瞬間、上空から甲高い鳴き声が聞こえてきた。



「!!」


 威嚇いかくするような鳴き声に反応して上を見ると、上空にが飛んでいた。

 いや、ただの鳥ではない。

 大きさは普通のわしくらいだったが、姿が異様であった。


 クチバシは異常に太く、その間からはギザギザとした歯が見えている。足も太く、その先についた長い爪は鋭利でいかにも凶暴そうだ。

 尾と首は長く、体長に比べて翼はやや小さい。

 頭から首にかけては毒々しい緑色で、胴体は黒と灰色が混じり合ったような色をしている。

 胴体と翼には幾何学的な紋様が入っており、翼には胴体と同じ色の煙をまとっていた。


 そしてギョロギョロとしたまん丸の目玉は、ルビーのように真っ赤だった。


 アレックスはやれやれと溜息をつき、右手をぎゅっと握りしめた。


「やっぱり、魔獣の気配だったのね」


 鳥型の魔獣がこちらに突っ込んでくるのと、アレックスの右手が光に包まれるのは、ほぼ同時だった。

 光に包まれた右手を、アレックスは上空に向かって素早く振り上げた。すると、鳥型の魔獣めがけて氷の刃が放たれた。


「……よしっ!」


 アレックスの狙い通り、氷の刃は降下してくる魔獣に命中した。


 魔獣は空中でギャッと鳴き声を上げ、慌ててアレックスから遠ざかっていく。


「! アレックス! あっちにも!」


 ロズは上空の、別の方向を指差した。

 そちらには鳥型の魔獣がもう一体いて、翼をバサバサと動かしながらロズとアレックスをにらんでいた。

 狙いを定めたかのように、鋭い爪の先が二人の方を向いている。今にも襲いかかってきそうだ。


「まったく、濃いめのモーニングティーもまだ飲んでないのに!」


 アレックスは忌々しそうに言いながら、ロズの手を掴み、ぐいっと引っ張った。

 いきなり重心が前に傾いたことで、ロズはつんのめってしまう。


「わわっ!?」


 身体のバランスを失いかけながらも、ロズはアレックスの温かい手に引っ張られていることを意識し、心臓の鼓動がより激しくなるのを感じた。


 アレックスがロズの手を引いて走り出した次の瞬間、二体目の魔獣が急降下してきた。

 一瞬前まで二人が立っていた地面に、魔獣の鋭い爪が突き立てられる。


 アレックスはロズを引っ張ったまま走り、魔獣の追撃を機敏きびんにかわした。

 そして、背後の魔獣が悔しそうに鳴くのを聞きながら、ロズを引っ張っていない方の手を胸元まで掲げ、拳を握りしめた。


「はあっ!!」


 アレックスはロズの手を離すと、振り向きざまに魔法を発動させた。

 瞬時に氷の塊が作り出され、地面近くに降りてきていた魔獣に向かって飛んでいく。


 飛び立つ隙を与えることなく、氷塊ひょうかいの苛烈な攻撃が魔獣に命中した。その衝撃に、魔獣はどさりと崩れ落ちる。


「こんな所で足止めされてる暇はないのよ!」


 アレックスは両手を握り合わせ、目を閉じた。

 一瞬のうちに、両手が光に包まれていく。アレックスは目を開き、両手を勢いよく前に出した。


 弾丸のような形の氷塊が無数に出現し、魔獣めがけて一気に撃ち出されていった。氷塊は次々に直撃し、魔獣を後方へと吹き飛ばす。


 そして氷塊の弾丸と共に、魔獣の姿は消えていった。


「……どうやら防御力は低いようね」


 だが、まだ戦闘は終わっていない。

 アレックスは、最初に現れた方の魔獣を睨みつけた。


 一体目の魔獣は遠かったままこちらの様子をうかがっていたが、今はギャアギャアと攻撃的な鳴き声を上げている。怒りをあらわにしているようだ。


「あと一体……ふん、逃げるなら今のうちよ!」


 アレックスは右手を握りしめ、魔法を発動させる準備をした。


 その一方で、戦闘を見守っているロズは焦燥感に駆られていた。


(見てるだけじゃなくて……わたしも……わたしも、魔法を!)


 ビギンズメロウまでの街道で繰り返し練習した、炎の魔法。


(あれなら、できるはず……)


 ロズは、アレックスに引っ張られていた方の手を、もう片方の手でぎゅっと包み込んだ。なんだか、心の奥から力が湧いてくるような気がする。


 ちょうどその時、距離をとって滞空していた魔獣が、アレックスめがけて突っ込むように降下してきた。


「! そっちがその気なら、容赦しない!」


 アレックスは待ち構えていたかのように右手を振り上げ、飛んでくる魔獣に向けて氷の刃を放った。

 氷の刃は魔獣に当たったが、魔獣が空中で素早く身をひねらせたため、急所に命中とまではいかなかった。

 魔獣は落下することなく、そのまま飛びかかってくる。


「くっ!」


 アレックスが魔獣の攻撃を避けようとした時、背後でロズが叫んだ。


「アレックス、伏せて!!」


 アレックスが振り返ると、そこには決意に満ちた目で魔獣を見据みすえるロズの姿があった。


 ロズの右手は、しっかりとした光に包まれている。



「!? ちょ、ちょっとロズ、待ち──」


「いっけー!!」



 ロズはそう叫びながら、右手を力強く振り上げた。それを見たアレックスが、慌てて姿勢を低くする。


 メラメラと燃える炎がロズの前に作り出され、魔獣に向かって飛んでいった。

 その炎は相変わらず小さかったが、街道で練習した時よりも勢いよく、力強く燃えているように見えた。


 魔獣は空中でたじろいだ。アレックスばかりを警戒していて、ロズからの攻撃は予想していなかったのだろう。

 そして、そのわずかな隙をつくように、炎が魔獣の翼に直撃した。

 魔獣はバランスを崩し、地面に落下していく。


「あ……」


 ロズは右手を振り上げた体勢のまま、その様子をポカンと見届けた。


「や、やった……絶対まぐれだけど……」


「! 油断しないで! まだ倒したわけじゃないわ!」


 姿勢を低くしていたアレックスが立ち上がり、警戒した表情で声を張り上げた。

 

 そう、魔獣はまだ消えていなかった。


「えっ!?」


 二人の視線の先で、魔獣が地面から空中へと再び飛び上がった。


「ツッ……気絶くらいはするかと思ったけど、十分元気みたいね!」


 アレックスが慌てて魔法を発動させようとする。だが魔獣は更に高く飛び、アレックスが狙いを定められないようにした。


 ギャアギャアと、威嚇の鳴き声を上げる魔獣。

 その攻撃的な視線の先にいるのは、ロズだった。


 ──どうやら、先程の炎が魔獣をかなり怒らせたらしい。


「まずい……! ロズ! そいつは、あなたを狙ってるわ!」


「ええ〜っ!?」


 魔獣は赤い目玉を爛々らんらんと輝かせ、ロズに向かって迷わず急降下を仕掛けてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る