第26話 夜行列車 その2
「すごい!
長距離夜行列車に乗り込んだロズは、自分達に割り当てられた客室を見るなり、嬉しそうに歓声を上げた。
客室は決して広くない。
二つ並んだ寝台と、その隙間に無理やり設置された小さなテーブルがあるだけだ。それでも、寝台付き列車に初めて乗るロズは大満足していた。
「シーツも真っ白で綺麗!」
ロズは、客室の入り口から見て左にある方の寝台に近づき、ピンと張られた白いシーツを指先で撫でた。
枕元の後ろには四角い窓がある。
もう外は暗くなり始めているが、明日の朝になれば外の景色を楽しむこともできそうだ。
ロズの後から中に入ったアレックスも、客室を見渡して満足げな表情を浮かべている。
「清潔な客室ね。ゴミも落ちていないし」
ロズは左側の寝台に、アレックスは右側の寝台に腰を下ろした。
テーブルに置かれた列車のパンフレットを二人で読んでいると、ホームの方からベルの大きな音が聞こえてきた。同時に車体がガタンと振動し、列車がゆっくりと走り出す。
「出発したようね」
「ほんとだ!」
列車はどんどん速度を上げていくが、寝台はほとんど揺れていない。これなら、夜は問題なく熟睡できそうだ。
列車が走り出した後は、あっという間に時間が流れていった。そして気がつくと、出発してから約一時間が経過していた。
扉の向こうの通路からは、乗客の足音や話し声が聞こえてくる。
そんな中、ロズとアレックスはぼんやりと寝台に座っていた。
「う〜ん、なんだか一気に疲れが……」
ロズは込み上げるあくびを噛み殺した。
つい先程まで、ロズは探検気分で列車内を歩き回っていた。
探検中は元気いっぱいだったのだが、客室に戻ってきて腰を下ろした瞬間、そのまま寝転がりたい衝動に駆られてしまった。
「はしゃいで列車の中を歩き回ったりするからよ。とは言え……わたしも今日は疲れちゃった。こんな大移動をするのは久しぶりだもの」
アレックスの顔にも、ロズと同じく疲労の色が浮かんでいる。
思えば長い一日だった。
ハリエッキから街道を歩いてビギンズメロウへ向かい、そこから列車に乗ってレールリッジまで来た。更に、レールリッジでは街の散策もしたのだ。
そろそろ疲れが出ても当然である。
「ううっ、頑張らなくっちゃ! 明日はいよいよ、ウェルアンディアに到着するんだもん!」
ロズは気を引き締めるため、自分の両頬をパシパシ叩いた。
そして腰のベルトに手を伸ばすと、ベルトから短剣を外し、黒い
この短剣を、
ウェルアンディアに到着すれば万事解決、というわけではない。
アレックスは寝台に座り直し、ロズの持つ短剣を見つめながら言った。
「確認だけど……オーガスタは自分の詳細な居場所を言わなかったのよね?」
「うん、ウェルアンディアのどこにいるかは教えてくれなかった。こっちに来れば会えるって言われたんだけど……心配だな。ウェルアンディアってかなり大きな街らしいし……」
「そうね。近郊には港もあるし、人の出入りも激しいはずよ」
港と聞いて、ロズはタハティニア国内の地図を思い浮かべた。
ウェルアンディアは北部の、海側に位置する。そして、その海の向こうには──。
ふと思い当たることがあり、ロズはアレックスに尋ねた。
「ねえ、アレックス。しばらくレールリッジに住んでたって言ってたけど、もしかしてレールリッジにはウェルアンディアから移動したの?」
アレックスは短剣からロズの顔へと視線を上げると、やや申し訳なさそうな表情で頷いた。
「そうよ。クリフディールから船に乗って、ウェルアンディア近郊の港に上陸したの。そして列車に乗って、レールリッジに向かったわ。でもウェルアンディアに着いてすぐ列車に乗ったから、街の様子はほとんど見ていないのよ。オーガスタのいそうな場所の、見当もつかないわ。ごめんなさい」
ロズは慌てて首を横に振った。そういうつもりで尋ねたわけではないのだ。
「違うの! 謝らなくていいよ! ウェルアンディアからレールリッジに移動したのかなって思って、それでちょっと
ロズは空気を変えるように咳払いをし、言葉を続けた。
「ともかく、街の中を歩いて探すしかないよね。まさか駅でオーガスタさんが待ってくれているわけでもないだろうし」
「でも、オーガスタの外見は知らないのよね? 声は聞いたけど、姿を見たわけじゃないんでしょ?」
「! うっ……言われてみれば、確かに……」
顔も知らない相手を、一体どうやって探せばいいのだろう。
ロズは途方に暮れてしまった、かなり今更だが。
青ざめたロズの顔を見て、アレックスはやれやれと額に手を当てた。そして、
「まあ……大丈夫でしょ。オーガスタだって短剣を受け取りたいはずだから、なんらかの働きかけはしてくれるはずよ、会えるように」
ロズの顔に、ゆっくりと生気が戻っていく。
「そ、そうかな……?」
「そうよ」
働きかけが物騒なものだったら大変だけどね──アレックスは心の中でそう付け足した。
ロズはすっかり気を取り直した様子で、威勢よく立ち上がった。
「そうだよね、会えるよね! オーガスタさんの言葉を信じないと!」
「……とにかく、あれこれ心配しても仕方ないわ。今できるのは、しっかり身体を休めることくらいね。今日は早めに寝ることにしましょう」
「うん!」
────────────
しばらくして、二人は寝る準備をすることにした。
寝巻きは客室に置いてあるのではなく、乗客が必要な分だけを置き場まで取りに行くことになっている。
ロズはアレックスに留守番をしてもらい、二人分の寝巻きを入手して戻ってきた。
「はい、持ってきたよ」
「ありがとう」
アレックスは寝巻きを受け取るや否や、いそいそと着替えを始めた。相当眠いらしい。
ロズは一瞬だけ硬直すると、さりげなくアレックスに背を向けた。
(一緒の部屋で着替えるのって、なんだか恥ずかしい……)
だが、身を隠すような場所はない。
アレックスに背中を向けたまま、ロズもおずおずと着替えを始めた。
「じゃあ、
「うん、お願い」
寝る準備が済むと、アレックスは客室の入り口横に吊り下げられているランプの
スッと、客室が暗くなる。
「おやすみなさい」
「おやすみ、アレックス」
二人はそれぞれの寝台に横になり、そろって目を閉じた。
枕に頭を乗せていると、下の方から列車の走るガタンゴトンという音が絶えず聞こえてくる。
不思議と、その音は耳に心地よかった。
ハリエッキで眠る時に聞こえてくる、風の音と同じように思えた。
(……お父さん、まだ起きてるかな。わたし達のこと、心配してるだろうな)
ロズはハリエッキで待つ父親のことを思い浮かべ、切ないような、寂しいような気持ちになった。
(短剣をオーガスタさんに渡して、早くアレックスと一緒に帰りたいな。大丈夫だよね? わたしには、アレックスからもらった御守りもあるんだから……)
暗闇の中、ロズはうっすらと目を開けて、枕元に置いてあるペンダントを見つめた。
すると、コインに彫られた太陽とアザレアの花が、キラリと光を放ったように見えた。
あれ、と思いながらも、眠気に襲われたロズは再び目を閉じ、そのまま深い眠りに落ちていった。
────────────
不意に、ロズの意識は眠りから引き上げられた。
閉じた
「ん……」
ロズは目を開け、ノロノロと顔を動かした。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃったわね」
隣の寝台から、アレックスの
「あれ、寝坊しちゃった……? おはよ……」
眠たげな顔のロズを見て、アレックスはカーテンにかけていた指を離した。わずかに開いていた窓のカーテンが閉まり、差し込んでいた陽の光がサッと消える。
「ううん、まだかなり早い時間だと思うわ。起こすつもりはなかったのよ」
アレックスは寝巻き姿のまま、寝台の上にちょこんと座っていた。昨晩も見た姿ではあるが、髪をほどいた状態のアレックスはいつもと雰囲気が違って見える。
ロズはアレックスの長い髪に
「アレックス、目が覚めちゃったの……?」
「……ふと目が覚めたら列車が停まっていたの。例の『安全性の確認』をしているんだろうと思うけど、ちょっと様子が、ね……」
アレックスは
「……?」
ロズは身を起こし、窓のカーテンを開けた。
早朝の
列車は屋外のプラットホームに停車していた。ホームの幅はあまり広くなく、屋根はついていない。パッと見ただけでも、こぢんまりとした駅であることが分かる。
そのホームに五、六人の駅職員が集まり、何やら深刻そうに話し合いを行っていた。
ちょうど、集まっているうちの一人が指示を出し、指示を受けた職員がホームのどこかへ駆け出していくところだった。
明らかに、緊急事態のようだ。
「……やれやれ、嫌な予感がするわね」
アレックスが憂鬱そうに溜息をついた。
睡眠を十分にとっておいてよかった。今日は、昨日よりも更に長い一日になりそうだ。
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