第27話 ベロニカの登場

 ロズは客室の窓に額を押し付け、じいっと外の様子をうかがった。


『ディムプレイス』


 ホーム上の看板にはそう書かれている。知らない駅だ。


「でぃむぷれいす……ここって、どの辺りなんだろう」


 そう呟くと、隣の寝台に座るアレックスが疑問に答えてくれた。


「ウェルアンディアまでのルートの、三分の二まで来たってところかしら。この先には高原こうげんが広がっているのよ」


「高原?」


「そう、フォミング高原。ちなみに、フォミング高原は『魔力の量が規定値を超えている場所』らしいわよ。だから、手前にあるこの駅で安全確認をしているんでしょうね」


 その時、通路の方からドタドタという複数人の足音と、騒がしいベルの音が聞こえてきた。


「うわあっ! びっくりした!」


 ロズは驚き、窓から顔を離した。

 誰かが、ベルを鳴らしながら列車内を歩き回っているようだ。考えるまでもなく、乗客を起こすためだろう。


「……やっぱり、厄介なことになっているようね。ロズ、降りる準備をしておいた方がいいわよ」


 アレックスは身軽な動きで寝台から下りると、迷わず寝巻きを脱ぎ始めた。


「え? 列車を降りるの?」


 ロズが戸惑っていると、通路を歩く誰かが大きな声を発した。


「乗客の皆様! お休みのところ申し訳ございません! 大変恐縮ですが──」


────────────


 二十分後。


 ディムプレイス駅、早朝。朝靄あさもやが残るホームに立つと、遠くから鳥のさえずりが聞こえてくる。

 絵に描いたような美しい朝であったが、それを味わうほど心に余裕のある者は、今ここにいない。



 あの後、叩き起こされた乗客一同は、ベルを鳴らしていた乗務員から『列車の運行を中止する』ということを告げられた。

 そして今、乗客が説明を求めてホーム上に集まってきている。とは言っても乗客全員が降りてきたわけではなく、客室の窓から成り行きを見守っている者もいた。



 ホームのあちこちに乗務員やディムプレイス駅の職員が散らばり、周囲の乗客に向けて状況を説明している。

 ロズとアレックスも、十人ほどの乗客と一緒に説明を受けていた。


「フォミング高原にてが確認されました。走行に影響があると考えられます。よって、列車をこの先に進めることはできません」


 若い男性乗務員が淡々とそう言った。その『危険』が具体的にどういうものなのかは、説明しようとしない。


「ええ……そんなあっさりと……」


 ロズは両手で頭を抱え込んだ。隣に立つアレックスも不満そうにしている。


 二人とも身支度を済ませた状態で、昨日と同じ服を身にまとっていた。

 今日も、アレックスは髪を左右で三つ編みにして、編み込んだ髪を頭の後ろで可愛らしくまとめている。

 そしてロズはもちろん、エオスディアのペンダントを首からかけていた。


「この列車は運行を中止することになります」


 それを聞き、乗客の一人がおずおずと手を挙げた。


「でも、何か異変が……危険がある時には、その問題を処理したうえで運行を続けてくれるんじゃないんですか?」


「……問題の処理にはかなりの時間を要すると推察されています。通常ならば皆様には列車内で待機していただくのですが、今回の場合は……」


 乗務員は言いづらそうに言葉を区切った。


「待機していただいても、問題が数時間で解決するとは思えません。到着が遅れるどころか、運行の再開まで丸一日、あるいはそれ以上かかるかもしれません」


 乗客の間にどよめきが起こる。


「ですので──」


 乗務員は制帽せいぼうを深くかぶり直し、乗客と視線を合わせないようにしながら話を続けた。



 結論から言ってしまうと、乗客には二つの選択肢がある。

 このまま列車を降りるか、それとも、列車内に残って問題が解決するのを待つか。


 列車を降りた場合、駅が手配する馬車に乗って近くの街まで移動することになる。だが、そこから目的地までは自力で辿り着かなくてはならない。

 列車内に残った場合、運行が再開すれば必ず目的地まで辿り着くことができる。だが、いつになるか分からない出発を延々と待ち続けなくてはならない。



「──こちらからお伝えできることは以上です。ご不便をおかけし、申し訳ございません」


 乗務員は一礼し、静かにその場を離れていった。


「…………」


 一瞬だけ重い沈黙が広がったが、乗客の切り替えは早かった。


「まあ、仕方ないな」


「寝る場所もあるし、食事をする場所もある。宿屋に泊まると思えばいいんだ」


 そんなことを呟きながら、ほとんどの乗客が列車の中へと戻っていった。ホームに残った者も、今後のことについて同行者と話し合いを始めている。


「あれ、意外とみんな冷静……?」


 ロズは状況についていけず、あたふたと周りを見回した。

 するとホームに残っていた乗客の一人が、狼狽ろうばいするロズを見かねて声をかけた。


「列車の旅にこういうトラブルはつきものだからね。受け入れるしかないのさ」


 声をかけてきたのは、大きなリュックを背負った旅人風の男だった。手には地図を持っている。


「そう……なんですか」


 ロズと話しながらも、男の視線は手元の地図に集中している。彼は地図をにらみ、溜息をついた。


「それに、噂が流れていたからね。こうなるんじゃないかって、みんな覚悟はしていたんだよ」


「噂?」


「おや、知らないのかい? ウェルアンディアまでの列車に乗っていると、不気味な音が聞こえたり、視線を感じたりする……ってやつ」


 ロズは、案内係ナタリーの呑気そうな笑顔を思い出した。


「あ、ちょっとだけ耳にしました。でも、大丈夫ですよって言われて……」


「そりゃあまた、無責任なことを言われたもんだねえ」


 リュックの男は気の毒そうな顔をして、帽子の上からポリポリと頭をかいた。


「いいかい? 妙な現象が起こるのは、列車がフォミング高原を通過している時なんだ。噂している奴らはみんな、高原の魔力に引き寄せられてデカい魔獣まじゅうが住み着いたんだろうって考えてた。不気味な音や視線は、その魔獣が原因だろうってな」


「でっかい、魔獣……!?」


 ロズはゴクリと唾を飲んだ。


「魔獣が線路に近づきでもしたら、列車は走れなくなる。だから、近いうちにこんなことになるだろうって言われてたのさ。レールリッジのホームで派手な魔法をかましてたけど、あれはただのパフォーマンスなんだろ。乗客を安心させないと切符が売れなくなるからな」


 男はリュックを背負い直すと、地図を畳んでポケットにグイッとしまいこんだ。


「さてと、俺は馬車に乗せてもらうことにするよ。近くの街に友人が住んでるんだ。ウェルアンディアを観光するのは諦めて、そいつの家にでも転がり込むさ」


 リュックの男はロズとアレックスに手を振ると、馬車に乗るため駅の出口の方へと向かっていった。


「……わたし達も馬車に乗せてもらう? 近くの街まで行って、別の経路でウェルアンディアに──」


「そんなことしていられないわ」


 アレックスはロズの言葉をさえぎった。


「別の経路では時間がかかりすぎるもの。かと言って、何もせずにじっと列車で待っているっていうのも論外よ」


「うーん、確かにそうだけど……」


 二人が頭を悩ませていると、不意に「お疲れ様です!」という大きな声が聞こえてきた。


 見ると、先ほどの男性乗務員が誰かに向かって頭を下げていた。他の乗務員や職員達も、一様に「お疲れ様です」と言っている。

 彼らの視線の先には、二十代くらいの女性の姿があった。



「ぁ……」


 アレックスの口から、わずかに声が漏れた。



「お疲れ様です。戻るのが遅くなってすみません」


 その女性は挨拶を返しながら、こちらに向かって歩いてくる。そしてなぜか、ロズとアレックスの前で足を止めた。


(わわっ、すごく綺麗な人……)


 ロズは、突然現れた女性のことをまじまじと見つめてしまった。


 涼やかな目元に整った眉。赤い唇になめらかな肌。

 ブルネットの髪は一つに束ねられ、後頭部でお団子になっている。

 顔は小さく、背はスラリと高い。


 服装はきっちりとしていた。

 白いワイシャツを着て、黒いネクタイをしめている。ワイシャツの上にはジャケットを着ており、ボタンは上から下までしっかりと留められていた。

 ジャケットと同じ色のズボンをはき、それから、ふくらはぎ辺りまでが隠れる黒いブーツを履いている。


 ジャケットの襟元えりもとに刺繍されたエンブレムは、機関車の先頭部にめ込まれていたエンブレムと、同じ図柄だった。


 その女性はアレックスを見て、美麗な笑みを浮かべた。


「やっぱり貴方だったのね、アレックス」


(え、アレックスの知り合いなの!?)


 ロズは落ち着きなく視線を巡らせ、目の前の女性とアレックスを交互に見た。


「ベロニカ……」


 アレックスは、女性のことをそう呼んだ。名を呼ぶアレックスの声は、動揺と困惑で少しかすれていた。


「ふふっ、驚いた? わたしも貴方の姿を見つけて驚いたのよ。こんな所で会うなんて、思いもしなかったもの」


『ベロニカ』は麗しい笑みをたずさえたまま、探るようにアレックスの顔を見つめた。


「……久しぶりね。ハリエッキで暮らしているはずの貴方が、ここで何をしているのかしら」



 二人が知り合いであることに間違いはないようだが、再会を喜び合っているというよりも、二人の間にはどこか気まずい──硬い空気が流れていた。


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