第10話 『カサンドラの名のもとに』

「短剣を……使う?」


 さやに収まったままの短剣を、ロズはじっと見つめた。


『そうよ、使うの。あんたと一緒にいるお嬢さんは頑張ってるみたいだけど、を解除しないとキリがないもの。魔獣まじゅうを倒しても、また次が出てくるだけでしょうね』


 ロズは表情を曇らせた。


「魔法を解除しないとって……どういう意味ですか?」


『……あんた達は今、魔人まじんの作り出した空間の中にいるのよ。それも、面倒な魔法が仕掛けられた空間。その魔法を解除しろって言ってんの。そうすれば魔獣はいなくなるし、そこから脱出することもできるわ』


 淡々と説明した後、オーガスタはなんてことないように付け足した。


『──あんた達、どうせ閉じ込められてるんでしょ?』


「! そうなんです! 玄関の扉が開かなくなって、外に出られないんです!」


『そんなことだろうと思った。まったく、人間が迷い込む可能性を考えなかったのかしら。あるいはそんなことも思いつかないくらい、腹を立てていたのかしら……っと、それはともかく重要なのは、使ってことよ。どう? 短剣の使い方を知りたい?』


 ロズは答えるのを躊躇ためらった。


(でも……わたしなんかにできるの?)


 戸惑いながら視線を上げると、アレックスの放った冷気の光線が、ゆっくりと消えていくところだった。


「あ……」


 ロズはふらつきながら立ち上がり、冷気の向こうに目を凝らした。


 四体の魔獣が、力無く倒れている。四体のうち三体の姿は、そのまま幻のように消えていった。


 疲弊ひへいした様子のアレックスが、肩で息をしながら呟いた。


「四体全部は無理だったけど……これで一対一ね」


 アレックスは力を振り絞り、残された一体に向けて次の攻撃を放とうとした。


「起き上がってくる前に……!」


 まばゆい光がアレックスの右手を包み、氷のかたまりが弾丸のように放たれる。

 氷塊ひょうかいは真っ直ぐ魔獣に向かって飛んでいった。これで、決着がつくはずだ。



 だが魔獣の体に命中する寸前、氷塊は、そのまま飲み込まれるように消えてしまった。



「え……」


 アレックスが目を見開く。


 氷塊を受け止めたのは、魔獣がツノにまとっていた煙だ。赤黒い煙が一瞬で大きくなり、ツノだけではなく魔獣の体全体を包み込んだのだ。


「なっ……!?」


 アレックスの眼前で、全身に赤黒い煙を纏った魔獣が立ち上がった。


 ザワザワと揺らめく煙を纏っているせいで、魔獣の体はひと回り大きくなったように見える。

 煙の隙間から覗く真っ赤な目は、禍々まがまがしい光をギラギラと放っていた。ついさっきまで弱っていたのが嘘のようだ。


 そして、魔獣はアレックスに向けて大きく口を開けた。


「!!」


 嫌な予感がする。反射的に、アレックスは障壁しょうへきを展開させた。

 すると、障壁が広がるのとほぼ同時に、魔獣の口から赤黒い球体が放たれた。放たれた球体は一瞬で巨大化し、凄まじい勢いで障壁に激突した。


「ツッ! 一発だけなのに、衝撃が……!?」


 衝撃が先程までの比ではない。アレックスの両手に、ビリビリとした感覚が走る。


 衝撃に耐えるアレックスを見て、ロズは泣きそうな声で叫んだ。


「! アレックス!!」


「……だいじょうぶ、なんとかしてみせるから……!」


 アレックスは魔獣の口めがけて魔法を打ち込み、様子の変わった魔獣をなんとか牽制けんせいしようとした。

 だが、かなりつらそうだ。限界が近いのだろう。


『……魔獣が凶暴化したようね』


 こちらの状況が分かるらしい。オーガスタは気の毒そうに言葉を続けた。


『数が増えるより厄介かも。あんた達って本当、不運ね』


 もう見ているだけではいられない。

 ロズは覚悟を決め、木箱の中の短剣に向かって声を張り上げた。


「オーガスタさん、短剣の使い方を教えてください! お願いします!」


『……もちろん教えてあげる。でもね、言っておきたいことがあるわ。短剣を使ってもいいけど、その代わり──』


 なにか厳しい条件をつけられるのだろうか。ロズは緊張し、顔をこわばらせた。



『短剣を、わたしのところまで持ってきてほしいの』


「え?」



 オーガスタの提示した意外な『条件』に、ロズは拍子抜けしてしまった。もっと、とんでもないことを言われるかと思ったのだ。


「短剣を、持っていけばいいんですか?」


『そう、わたしのいる街……ウェルアンディアにね』


「! オーガスタさん、ウェルアンディアにいるんですか!?」


 ウェルアンディア。

 それはタハティニア国内にある、大きな街だ。


 訪れたことはないが、様々な施設が街の中にそろっているという話を、ロズは聞いたことがある。

 ハリエッキからはかなり距離があるものの、列車を利用すればロズでも問題なく辿り着けるはずだ。


『そうよ。わたしは今、ウェルアンディアから話しかけてるの』


「よかった! ウェルアンディアならわたしでも行けます! それで、ウェルアンディアのどこにいるんですか?」


『は? そんなことまで聞いてる暇があるの? 大丈夫、こっちに来れば会えるわよ』


 突き放すように冷たく言われ、ロズは絶句した。


「そ、そんなあ……大丈夫って言われても……」


『ふふっ、わたしに会えるか不安なら、一緒にいるお嬢さんにでも同行してもらえばいいでしょ』


 ロズはあわてて反対した。


「そんな! アレックスにこれ以上迷惑かけられません!」


『ふ~ん、一緒に来たほうがいいと思うけどね。まっ、別にいいわ。それで? 持ってきてくれるの?』


 ロズは深呼吸をしてから、大声で言った。


「ウェルアンディアまで短剣を持っていきます!! だから、早く使い方を教えてください!!」


『うるさい! もう! わかったわよ、教えてあげる。短剣を鞘から抜いて、床に向かって突き立てるように振り下ろすの。こう唱えながらね』


 オーガスタはひと呼吸置いてから、静かに言った。



『カサンドラの名のもとに、って』



「カサンドラ? オーガスタさんの名前ではなくて、ですか?」


『そうよ、カサンドラでいいの。大丈夫、勝手に名前を使ったところで、彼女に怒られることはないから』


 オーガスタから教えられた言葉を、ロズは心の中で繰り返した。


「……わかりました」


「ねえ、ちょっと!!」


 突然アレックスに呼びかけられ、ロズはハッとそちらを見た。すると、血相を変えたアレックスと目が合った。


「さっきから聞こえてくるその声はなんなのよ! 一体、誰と話してるの!? ひょっとして、何か無茶なことをしようとしているんじゃ──」


 その時、凶暴化した魔獣が姿勢を低くし、煙を纏った体を大きく震わせた。

 ロズに意識を向けているアレックスは、そのことに気づいていない。


「アレックス! 危ない!!」


 ロズはとっさにそう叫んだ。


「!!」


 濡れた犬が水飛沫みずしぶきを飛ばすかのように、魔獣が赤黒い煙を全身から飛散させた。

 空中に飛び散った煙は、そのそれぞれがやいばのような形状にまとまり、曲線を描きながらアレックスめがけて飛んでいく。


 アレックスはすぐに障壁を展開したが、慌てて発動させたせいで強度が十分ではなかった。

 刃を防ぐことはできたが、衝撃を吸収することまではできなかったのだ。


「きゃっ!!」


 障壁を抜けて伝わってくる強い衝撃が、アレックスの身体を突き飛ばした。

 アレックスはそのまま倒れ込み、同時に障壁も消えてしまった。


「アレックス!!」


「ううっ……」


 意識はあるが、すぐに立ち上がるのは困難なようだ。その姿を見て、ロズの両目から涙がこぼれた。


(アレックス……アレックス……!)


 涙と一緒に、怒りが込み上げてくる。魔獣に対して──いや、非力な自分自身に対して。


 ロズは木箱を床に置き、短剣を取り出した。


(……わたしに、できるのなら……!)


 右手でつかをギュッと握り、持ち上げてみる。

 短剣の重みが手に伝わってくるが、ずっしりとくる程ではない。思ったより扱いやすそうだ。

 

 短剣からオーガスタの声が聞こえてくる。


『わたしが干渉していると邪魔になるかもしれない。だから、わたしはもう退散するわ。会えるのを楽しみにしてるから、ちゃんとウェルアンディアまで持ってきなさいよ』


「はい。絶対に、届けます」


 ロズは魔獣を見据みすえたまま、コクリと頷いた。

 そして、鞘を左手で掴んだ。


(やってやる! 無茶なことだとしても!)


 右手で鞘から短剣を抜くと、銀色に輝く刀身が姿を現した。


 刀身には傷ひとつ付いていない。綺麗なままだ。使われたことがないのかもしれない。

 柄を握り直した瞬間、ロズは再び誰かの声を聞いた。



『……お願いね……』



 オーガスタの声ではない。


 それは、頭の中に直接響いてくるような声だった。オーガスタの声のように、短剣から発せられたものではない。


 どことなく寂しそうな、でも意志のこもった声だった。

 そして、なんとなくだが、ロズに向けられた言葉ではなかったような気がする。


 今のは、別の誰かが聞くべき言葉だった、ロズは直感的にそう思った。


(本当は、わたしが使うべきではないのかも……でも、ごめんなさい! 使わせてもらいます!)


 ロズは、倒れ込んだままのアレックスを守るように、彼女の前に立った。


「アレックス! 下がっていて!」


「えっ……?」


 アレックスはなんとか上体を起こし、困惑した表情でロズを見つめた。


 ロズは左手に鞘を持ったまま、右手で短剣を振り上げた。

 そして、目一杯の大声で叫んだ。



「カサンドラの! 名のもとにっ!!」



 叫びながら、ロズは短剣を床めがけて勢いよく振り下ろした。

 自然と、片膝を立ててひざまずくような体勢になる。


 短剣の切先きっさきが床にぶつかる感覚を予期したが、床に突き刺さる寸前、切先は見えない何かに受け止められた。


 そして次の瞬間、短剣の切先を中心に、大きな紋様が広がった。


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