第11話 不思議な家からの脱出 その1

 短剣の切先きっさきから青い輝きが放たれ、円形の大きな紋様が広がっていく。


 紋様の図柄は複雑で、何を表しているのかはよく分からない。だが、紋様が広がっていく様子は、くきが伸びて大輪たいりんの花が咲くところに似ていた。

 そしてつぼみが開くように図柄が完成すると、紋様全体から青い光が水流すいりゅうのように噴き出した。


 光の水流はうねりながら魔獣まじゅうを飲み込むと、そのまま舞い踊るように部屋全体へと広がっていった。

 いや、この部屋だけではない。

 青い光は枝を広げる大樹たいじゅのように、廊下の方へも伸びていった。


 床や壁や天井を伝い、光は家全体を包み込もうとしている。


 自分達まで飲み込まれてしまうのではと不安になったが、光の水流がロズ達に襲いかかることはなかった。

 ロズ達の周囲を漂う青い光は、木漏れ日のように優しく、穏やかだった。


(これは、魔法……なの?)


 短剣を振り下ろした体勢のまま、ロズはぼんやりと光を見上げた。

 青くきらめく光が、ロズの横を通り抜けていく。その瞬間、風にそっと頬を撫でられるような、心地よい感触がした。


 光の水流は家全体を包み込み、溶け込んでいく。すると、雨粒のような光の結晶が、ロズ達の周囲にキラキラと降り注いだ。

 やがて光はゆっくりと消えていき、それに合わせて、足元の紋様も薄くなっていった。


「あ……」


 ふと気がつくと、紋様はもう見えなくなっていた。

 何かに受け止められていた感覚がなくなり、短剣の切先がカチンと床に当たる。


 ロズは、わずかに震える手でつかを握り直し、ゆっくりと立ち上がった。

 サッと部屋を見回したが、赤黒い煙をまとった魔獣の姿はもうない。青い光に飲み込まれたまま、消えてしまったのだ。


 家の中はしんと静まりかえっている。


 魔獣が消えたこと以外、目に見える変化はない。だが、なんとなく家の雰囲気が変わっているような気がした。

 通り雨が止んで青空が戻ってきた時のように、空気の違いを感じる。


 ロズは短剣をさやに収めると、興奮した表情でアレックスの方を向いた。


「今の、すごかったね!」


 ペタンと座り込んでいたアレックスは、信じられないとでも言いたげな目つきでロズを見上げた。


「すごかったね、じゃないでしょ……」


「へ?」


 アレックスは勢いよく立ち上がり、足をふらつかせた。

 ロズがあわてて支えようとするが、アレックスはそれを制するように大きな声で言った。


「無茶なことをするつもりなんだと思った! その通りだったじゃない! なんなのよ、今のは!? それに、その短剣は何!?」


 問い詰めるアレックスは、当惑しているだけではなく、どこかおびえているようにも見えた。

 ロズはそんな彼女を必死になだめた。


「お、落ち着いて、アレックス」


「さっきの声は、ひょっとして魔族まぞくの……!」


 アレックスは言葉に詰まり、へなへなと座り込んでしまった。

 魔獣の姿が消えたことで、一気に戦闘の疲れが出たのだろう。あれだけ魔法を使い続けていたのだから、疲弊ひへいするのは当然のことだ。


 ロズは視線を合わせようと膝をつき、アレックスの肩にそっと手を触れた。


「大丈夫だよ、アレックス。危ないことはしてない……と思う」


 アレックスはビクリと肩を震わせ、視線を避けるように顔を伏せた。


「なによ、危ないことがなんなのかも知らないくせに」


 その消え入りそうな、傷ついたような声に胸をつかれ、ロズは手を引っ込めた。


「! アレックス、わたし……」


 言葉をかけたいが、なんと言えばいいのか分からない。

 引っ込めた手が、行き場を失ったようにちゅうを泳ぐ。


 重苦しい沈黙が流れた後、アレックスは何もなかったように顔を上げた。


「……とにかく、何があったのか説明して」


「う、うん。わかった」



 ロズは、木箱から声が聞こえてきたこと、声の主はオーガスタという名の魔人まじんであったこと、そしてオーガスタに言われて木箱の中の短剣を使ったことを、順を追ってアレックスに説明した。



 アレックスは黙って話を聞いていた。そしてロズが話し終わると、深い溜息をついた。


「まったく、向こう見ずはどっちなのよ……」


「え?」


「ほら、ベーカリーでコールのことを向こう見ずって……ううん、いいの。気にしないで」


 アレックスの呆れ顔を見て、ロズは必死に弁明した。


「あ、あのね! わたしだって迷ったんだよ。オーガスタさんの言葉を信用してもいいのかなって。だけど、オーガスタさんはわたしをだまそうとしている風じゃなかったし、他に選択肢もないから、信じることにしたの。それに……!」


「それに?」


 ロズの脳裏に、鞘から短剣を抜いた時のことがよみがえる。一瞬だけ迷った後、ロズは素直な気持ちを打ち明けた。


「……わたし、黙って見ているのが耐えられなくなったの。だって、アレックスが巻き込まれたのは……わたしのせいだもん。アレックスが戦って、傷つくところを、何もできないまま見ているなんて……嫌だった」


「…………」


 アレックスは何か言いかけたようだが、言葉を発することなく黙り込んでしまった。


 重い沈黙が続くことに耐えられず、ロズはわざとらしいほど明るい声音で言った。


「確かに、わたしは無茶なことをしたかもしれないけど……ほら! オーガスタさんが言っていた通り、魔獣はいなくなったよ! 新しい魔獣が出てくる気配もないし! わたし達、ひとまず助かったんじゃない? よ、よかったよね? わたし、すごい怖かった。アレックスだって、怖かった……でしょ?」


 アレックスは首を横に振り、張り詰めた声で言った。


「わたしはあれくらいで怖がったりしないわ」


「そ、そっか、ごめん……」


 またも言葉を間違えたと悟り、ロズはしゅんと縮こまった。

 三度目の沈黙が流れる。


「……」


「……ねえ」


 先に口を開いたのは、アレックスだった。


「そのオーガスタっていう魔人は本当に、短剣を持ってこいっていう他には条件をつけなかったのね?」


「うん、条件はそれだけだよ。ウェルアンディアまで短剣を持っていって、オーガスタさんに渡すこと」


「ウェルアンディアまで……ね。あっ、それより……」


 アレックスは何かを探るようにロズを見つめた。

 至近距離からまじまじと見つめられ、ロズはドギマギと緊張してしまう。


「な、なに? どうしたの?」


「短剣を使って、あんな……派手なことをして、身体はなんともないの? どこか痛んだり、気分が悪かったりはしない?」


 ロズはパッと顔を輝かせた。


「! わたしのこと心配してくれたんだ! ありがとう!」


 アレックスは眉をひそめた。


「何を喜んでるのよ。それより、身体は? どうなの?」


「あ、ごめん、つい……」


 ロズは誤魔化すように咳払いをした。


「えっと、ちょっと疲れた感じはあるけど……たいしたことないよ。気分も悪くないし、どこも痛くない」


「そう、良かった……けど」


 アレックスは神妙な顔つきで口をつぐむと、しばし視線をさまよわせた。そして、言葉を選びながらゆっくりと尋ねた。


「あなたって、魔法は……得意、なの?」


 ロズは首を傾げ、あっさりと否定した。


「ううん、全然得意じゃないよ。魔法の基礎は習ったんだけど、使う機会もないし。今日だって失敗しちゃったもん。アレックスが助けに来てくれる前にね、魔法を使おうとして……暴走させちゃったの」


「なるほどね……そういうことなら、さっきのあれはあなたが魔法を使ったというよりも、ってことなんでしょうね。その短剣……誰が、いつ、何の目的で、この家に置いていったのかしら」


 アレックスは合点がいかないとばかりに考え込んだ。つられてロズも考え込む。


「誰が、この家に……」



 オーガスタは、この場所を『魔人の作り出した空間』と言っていた。

 空間を作り出した魔人が、短剣を木箱の中に隠して、木箱ごと置いていったのだろうか。


 オーガスタは何か事情を知っているようだったが、教えてはくれなかった。それに、ロズの方から尋ねる余裕もなかった。



「……色々と不可解だけれど、ここで考えていても答えは出ないわね。今はとにかく、町に戻ることにしましょう」


 アレックスの言葉に、ロズはコクリと頷いた。


「そうだね。早く戻って、カイルを安心させてあげないと……って、ああっ! そういえば!」


「な、なによ?」


「扉が開くようになったかどうか、確かめるの忘れてた……」


「あっ……」


 まず確かめるべきことだったのだが、ロズもアレックスも玄関扉のことをすっかり忘れていた。


 二人は同時に玄関扉の方を振り返り、それから顔を見合わせた。

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