第17話 「一緒に行こう」

「えっ……」


 ロズは言葉を失った。


 アレックスがどこから来たのかを、ロズは知らなかった。

 ロズだけではない。おそらく町長であるクライブ以外、アレックスの故郷を知る者はハリエッキにいないだろう。


 ロズは、アレックスはタハティニア国内の別の街からやって来たのだろうと思っていた。『クリフディール』の出身だなんて、思いもしなかった。


「……大地に宿る過剰な魔力の暴走。そのせいで、クリフディールでは災害や魔獣まじゅうによる襲撃が多発していた。わたしの生まれた町も魔獣に襲撃されて、もう住むことができなくなってしまったの。それから……──」


 淡々と話していたアレックスは、不意に言葉を飲み込んだ。その先を、どうしても続けることができないようだ。

 アレックスのまとう空気が暗く、重くなっていく。遠くを見つめる瞳は、不安げに揺らいでいた。


 とっさに、ロズはアレックスの手を握ろうとした。だが指先が触れる直前、アレックスの手はスッと離れていった。


「それから、色々とあって……クリフディールを離れたわたしは、この国、タハティニアにやって来たの。そしてクライブ町長と知り合い、ハリエッキに住まわせてもらうことになった、というわけ」


 アレックスは心の中で絡まった糸を解くかのように、ゆっくりと息を吐いた。張り詰めたような彼女の口調からは、これ以上は聞かないでという意思が感じられた。


(アレックス……)


 ロズは、あの家で言われた言葉を思い出した。



『なによ、危ないことがなんなのかも知らないくせに』



 アレックスはきっと、何度も『危ないこと』に身をさらされてきたのだ。

 平穏な町で、命の危険を感じることなく暮らしてきたロズとは、違う。


 ロズはかすれた声で言った。


「でも……それなら尚のこと、アレックスを巻き込むわけにはいかないよ。だって、アレックスは故郷で……大変な思いをしてきたんでしょう?」


 先ほど、クライブはアレックスに『魔族まぞくからは距離を置きたいんじゃないか?』と問いかけていた。

 今なら、あの問いかけの意味も、クライブが気遣わしげにアレックスを見つめていた理由も、察することができる。


 アレックスの境遇を知るクライブは、彼女の心身を案じていたのだ。


「故郷……クリフディールでのことがあるからこそ、早く真相を突き止めたいのよ。何も分からないままでいるのが、怖いの」


 アレックスは感情を押し殺した声で話しながら、ロズに背を向けて立ち上がった。


「──ハリエッキ周辺で、魔族と遭遇することなんてないはずだった。それなのに、森の中に魔人まじんが作り出した空間があって、そこには魔獣が何体も現れた。森から魔族の気配は消えたけど……もう異変は起こらない、とは言い切れないでしょ? だって、あの場所で起こったことについて……わたし達、まだ何も分かっていないんだから」


 背を向けたまま、アレックスは言葉を続ける。その声は徐々に震え出していた。


「もしかしたら、また同じような異変が起こるかもしれない。異変が……が続いて、いつかハリエッキは、わたしの故郷のようになってしまうかもしれない。そう考えると、怖いの。怖くて仕方ないの」


「アレックス……」


「……だから、森で起こった異変の真相を知りたい。何か原因があるのなら、それを解決したい。とにかく、ハリエッキはクリフディールのようにはならないってことを、確かめたいの。何も分からないままじっとしているなんて……とても耐えられない」



 アレックスは傷を抱えていて、もろい部分を持っている。それでも彼女は、傷に屈することなく戦おうとしている。


(……強いんだ、アレックスは)


 浮かんだその考えを、ロズはすぐに打ち消した。

 こちらに向けられた彼女の背中が、消えてしまいそうなほどはかなく見えたからだ。


 アレックスは強いわけではない。だけど、強くあろうとしているのだ。



「──ロズ」


 アレックスがロズの方を振り返った。


「改めて、あなたにお願いするわ。ウェルアンディアまで短剣を届ける旅に、わたしを同行させて。わたしは……まだまだ実力不足で、今日みたいに予想外のことが起これば、あなたにまた怖い思いをさせてしまうかもしれない。でも……」


 迷いのない澄んだ瞳が、ロズに向けられた。


「頑張ってあなたの力になるから。一緒に行くことを、許してほしい」


「あ……」


 真正面から想いをぶつけられ、ロズの心が揺さぶられた。



 これから謎の短剣を持って、魔人であるオーガスタのもとを目指すのだ。

 道中で何が起こるか分からない。アレックスにつらい過去を思い出させるようなことが、起こってしまうかもしれない。


 アレックスが傷つくのは、彼女の傷が深くなるのは、嫌だ。


(……でも、それって……)


 ロズはふと気がついた。


 からアレックスを拒絶するのは、ロズの自己満足に過ぎないのだ。

 拒絶するのは、傷を抱えるアレックスから目を背けるのと、同じことなのかもしれない。


(わたしは……)


 目を背けるのではなく、アレックスを支えられるようになりたい。

 アレックスが強くあろうとしているのなら、自分も、強くなりたい。


 ロズはそう思った。


(そして、アレックスの傷を……少しでも癒せるようになりたい。そんなの、図々しい考えかもしれないけど)



 ロズは立ち上がり、アレックスと正面から向き合った。


「一緒に行こう、アレックス。何が起こるか分からないけど……二人で、オーガスタさんに会いに行こう」


 そしてアレックスの両手をとり、優しく握った。


「うん……ありがとう。ロズ」


 そう言うと、アレックスはロズの手をぎこちなく握り返した。


 二人の頭上で光る団らん室の明かりが、やけにまぶしく感じられる。

 ロズは急に照れくさくなり、パッと手を離して誤魔化すように笑った。


「でも、身構えるようなことなんて何も起こらないかもしれないよね! ただの楽しい旅になるかも!」


 大袈裟おおげさにはしゃぐロズを見て、アレックスは小さく笑みをこぼした。


「楽しい旅って……呑気ね。でも……ふふっ、意外とあなたの言う通りかもしれないわね」


 アレックスに同意されたのが意外で、ロズは余計に照れくさくなってしまった。またしても、顔が赤くなってくる。

 逃げるようにその場を離れたロズは、テーブルの上を見てハッとした。


「あっ……そういえば、結局まだ飲んでなかった……」


 テーブルの上には、ロズとアレックスの分の湯呑みが残されたままだった。


「ほ、ほら、アレックス! お茶がまだ残ってるよ、飲んでいこう!」


 ロズはうわずった声で言いながら、アレックスを手招きした。


「ああ、そうだったわね。いただいていきましょう」


 二人は並んでソファーに座り、それぞれ湯呑みを手に取った。

 緑茶はとっくに冷めていたが、まだまろやかで、優しい風味が残っていた。


 とは言うものの、なんとなく落ち着かないままのロズには、緑茶を味わう余裕なんてほとんどなかった。



 ──緑茶を飲み終えた二人は、湯呑みを片付けて集会所の外に出た。外はもう暗くなっていて、街灯の明かりが道を照らしている。


「遅くなっちゃったわね。わたしは、カレンさんに会いに行かないと」


「うん。わたしは家に帰って……お父さんと、ちゃんと話をするよ」


 二人は顔を見合わせた。

 なんと言って別れるべきか分からなくて、一瞬だけ、二人とも口ごもってしまった。


「……それじゃ、また明日」


 そう言って、アレックスはオリエルベーカリーの方へ向かっていった。


「うん、また明日」


 ロズはそっと手を振り、アレックスの背中を見送った。


 明日、ロズは旅に出る。アレックスと一緒に。

 優しい夜風に吹かれ、ロズはピンと背筋せすじを伸ばした。


 短剣と、あの家で拾ったオーガスタ宛ての手紙が、二人を導いてくれるだろう。オーガスタのもとまで。


「よし! 頑張る!!」


 街灯に照らされた集会所の前で、ロズは力強くガッツポーズをとった。


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