第46話 魔力と霊力と、エオスディア

「……心配しなくても大丈夫よ」


 アレックスはそう言って、空いている方の手をロズの手にそっと重ねた。


「心配してるとかじゃなくてっ……! わたしは……!」


 ロズは目を伏せ、涙が流れそうになるのを必死にこらえた。


(泣いちゃ駄目……わたしが泣いたって、アレックスを困らせるだけなんだから……!)


 いきどおったり悲しんだりしたところで、アレックスの過去が変わるわけではない。

 そんなことは、ロズにも分かっている。だが、感情があふれて止まらなかった。


「ロズ、こっちを向いて」


「……」


 ノロノロと、ロズは顔を上げた。

 堪えきれなかった涙の一滴が、目尻に浮かんでいる。その涙を見て、アレックスは穏やかに微笑んだ。


「ありがとう、わたしの話を聞いてくれて」


「アレックス……」


「本当に大丈夫よ、わたし。今はもう……いいえ、違うわね。今もまだ、悩んでばっかりいる。それにベロニカと再会して、ベロニカからアルターのことを──」


 アレックスは言葉を止め、わずかに視線を揺らした。だがすぐに、しっかりとした目でロズを見つめた。


「……ベロニカに言われたことで、ちょっとだけ混乱してるわ。でもね、本当に大丈夫なの。上手く言えないけど……わたしは大丈夫。ちゃんと前を向けてるから」



 アレックスは思った。前を向けているのは、ハリエッキで過ごした時間のおかげかもしれない──と。


 住民達からは心配されていたが、アレックスはアレックスなりに、ハリエッキでの生活に安らぎを感じていた。

 オリエルベーカリーで仕事を始め、少しずつ町に馴染んでいく中で、この平穏な生活を続けていきたいという『希望』を持てるようになったのだ。

 ハリエッキで生まれた希望が、アレックスの心を少しずつ癒してくれた。


 それに、こうして話を聞いてくれる友達もできた。


 過去のことで悲しくなっても、つらくなっても、心が折れることはない。アレックスは今、そう信じることができた。



「……ほんとに、大丈夫?」


 ロズは目尻に涙の欠片を浮かべたまま、小首を傾げた。


「ええ、本当に」


 どこか晴れやかなアレックスの顔を見て、ロズの心はゆっくりと落ち着きを取り戻していった。


「……わかった。でも、つらくなった時は言ってね。わたし、何もできないかもしれないけど……アレックスと一緒に、悩むから」


 アレックスは嬉しそうに笑った。


「うん、ありがとう。ロズ」


 二人は見つめ合い、そっと互いの手を離した。


 少し照れくさくなり、ロズは紅潮しそうな頬をパシパシと軽く両手で叩いた。そして誤魔化すように言った。


「アレックス。さっき、エオスディアが祈りを捧げたことで人間に霊力れいりょくが宿った……って言ってたよね。わたし、霊力のことも精霊魔法のことも全然知らなかった。えっと……詳しく聞いても、いい?」


 霊力。精霊魔法。

 二つとも、ロズにとっては初めて耳にする言葉だった。


「もちろん。続きを話さないとね」


 アレックスは頷き、寝台に座り直した。


「……あのね、クリフディール軍は暴走する魔力をコントロールするために、様々な研究を行ってきたの。その研究を続けるうちに、霊力の存在にたどり着いたらしいわ」


────────────


 クリフディールという国は、高名な研究者達を中心に建国された。


 国の中枢ちゅうすうを担っていたのは『クリフディール軍』で、軍には兵士だけではなく数多くの研究者も所属していた。

 彼らにとって一番の目的は、魔力をコントロールする方法を見つけ、魔力の暴走を止めることだった。無論、その先には『膨大な魔力を国の繁栄のために利用する』というゴールもある。


 民間人が研究の実態を知ることはなかったが、クリフディール軍は兵士や研究者を世界中に派遣し、魔力や魔法に関する古い文献を、片っ端から集めさせていた。


 また『賢者けんじゃ』と呼ばれる、いにしえの歴史を知る者達を世界中で探し、彼らから情報を得ようとした。


 情報を提供した賢者の中には、魔人まじんもいたと噂されている。


 研究はとても長い間続けられた。そしてある時、クリフディールに一人の賢者が現れ、クリフディール軍の研究者達に、とあるを教えた。


 それは、こんな内容だった。



 ──大昔、この世界に現れたばかりの『人間』という種族は、魔力への耐性たいせいをほとんど持っていなかった。


 理由は分からないが、生物の中で人間だけ、極端に魔力への耐性が低かった。強い魔力にさらされ続ければ、命を落としてしまう程に。


 故に、人間は今以上に魔力の多い場所を恐れ、出来る限り魔力を避けようとしていた。


 だが、この世界には魔力があふれている。

 逃れ続けるのは不可能だ。


 人間はいずれ滅びるだろう。

 魔族まぞくも、人間自身も、そう考えていた。


 そんな人間を哀れに思った者がいた。

 精霊、エオスディアだ。

 エオスディアは人間のために祈った。


 そしてエオスディアの強い祈りは、人間に『霊力』を授けた。


 霊力とは、精霊の力。

 魔力に対抗できる、強い力。


 体内に霊力が宿ったことで、人間は魔力への高い耐性を持つようになった。

 この世界で生きていけるようになっただけではない。魔力を取り込み、魔法を放つことさえできるようになったのだ──。



────────────


「……エオスディア様の祈りが、人間に霊力を授けた。それ以来、全ての人間は霊力を宿して生まれてくるようになったのよ」


「ちょちょちょ、ちょっと待って! ってことは……もしかして、わたしも!?」


「もちろん。あなたにも、ハリエッキの皆にも、霊力が宿っているのよ」


 ロズは目を丸くし、自分の体を見下ろした。


「そ、そうなんだ……なんか不思議。実感が湧かないっていうか……」


「まあ、そうでしょうね。体の中で眠っている状態だから」


「? 眠っているって、霊力が?」


「そうよ。霊力は静かに眠りながら、人間の体を守ってくれているの。目覚めることはない……はずだった。でも……」


 ロズはハッとした。


「アレックスは、霊力を目覚めさせた……」


「……わたしだけじゃないわ。そういう子は、わたしの他にもいたの」


────────────


 霊力の存在に辿り着いたのと同じ頃、クリフディール軍は国内でまれに起こるに関心を抱き始めていた。

 

 その現象とは『魔力を体内に取り込めないはずの幼い子供が、大人と同じように魔法を使った』というものだった。

 にわかには信じがたいことだったが、報告によると嘘や勘違いではなく、確かに起こったことのようだ。


 研究者達は魔法を使ったという子供達について調査を行った。

 すると、ある共通点が見つかった。その子供達全員が、命の危機にさらされた時──助けの来ない大きな危険に直面した時に、魔法を使えるようになっていたのだ。

 だが、幼い子供が突然魔法を使えるようになるなんてあり得ない。


 そこで、研究者達は一つの仮説を立てた。


『子供達は体内の霊力を目覚めさせた』という仮説だ。


 精霊は、魔法によく似た術──精霊魔法を操ると言われている。


 人間の体内に眠っている『霊力』が本当に精霊の力なのだとしたら、霊力を目覚めさせることで、人間にも精霊魔法が使えるようになるのかもしれない。


 つまり、危機にさらされた子供達が使ったのはのではないだろうか。


 クリフディール軍は、霊力とエオスディアについて教えてくれたあの賢者を探し出し、再び助けを求めた。

 自分達の仮説が果たして正しいのかを、賢者に尋ねたのだ。

 すると、賢者はあっさりと答えた。


 ああ、その通りだ、と。


────────────

 

「……当時のクリフディール軍は大喜びしたそうよ。なら、魔力の影響は受けない。つまり、大地の魔力が常に暴走状態のクリフディールでも、安全に行使することができるはずだって」


「! そっか、魔力を取り込む必要がないんだもんね……」


「クリフディール軍は、大人でもきっかけがあれば霊力を目覚めさせられるだろうって、そう期待した。でも──」


 アレックスは肩をすくめた。


「大人には無理だったの。幼い子供だけなのよ。だから、だったんでしょうね」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る