第18話
開け放したドアの前に仁王立ち、手の甲を口の横につけるようにして高笑いをしている。
サオリ先輩だ!
白衣と見まごうばかりのホワイトのスプリングコートをはためかせて、一方の手は腰に当てている。マンガの高慢ちきなお嬢様キャラがするようなポーズだ。
わたしの知っているサオリ先輩はこんなキャラではなかった。おっとりして普通のおしとやかなお嬢様キャラだったはず。どうしてしまったんだろう。人生に悩んでいるのだろうか。そういえば、お兄さんが結婚してしまって死ぬほどショックを受けたらしいことは、美結ちゃんから聞いている。その苦しみは共有できると思っていたのに。
それにしても、どこから風が吹きつけてコートをはためかせているんだ。謎の科学技術はあった。
「待ってました」
先輩の後ろにちらっと警備員の桜井さんの姿が見える。こちらに手を振っている。美結ちゃんが先輩を案内してくれるように頼んでいたのだろう。
「美結ちゃんがサオリ先輩呼んだの?」
「そうだよ、愛音ちゃん。名探偵って、密室の謎を解くんでしょ?こういうのは、論理的に考えなくちゃいけないんだよ。だから、サオリ先輩」
「でも、サオリ先輩、ヘンになっちゃった。わたしの知ってるサオリ先輩じゃない」
「久しぶりに愛音ちゃんに会うからってテンション上がってるんだと思う」
そういうことだろうか。
「それで、美結ちゃん、愛音ちゃん、このわたくしになんの用かしら」
高笑いをつづけながら、ストレートのロングヘアをばさっと手ではらう。
「先輩、そういう奇抜な登場シーンとかいらないですから。警察の人にいいところ見せようとしてるでしょ」
「そりゃ、数学者のイメージってものがあるでしょう?」
「でも、見てください」
「うーん、お呼びではない感じかしら」
ガラスの向こうで、イさんと捜査員が珍しいものを見る目をしている。サオリ先輩本当どうしてしまったの?
「サオリ先輩、美結ちゃんとの付き合いが深かったかもしれませんね」
「どういうこと?」
「わたしの知ってるサオリ先輩は、さっきみたいなことはやりたくてもできない人でした」
「そうだったかしら」
頬に手を当てて昔を思い出そうとしているみたい。でも、すぐにあきらめた。
「人は互いに影響しあって生きているものなの。仕方ないということにしましょう、愛音ちゃん」
苦笑する。
「じゃあ、二階で話しましょう。リフレッシュルームがあるんです」
美結ちゃんが先頭に立って歩き出す。階段にかかると、声が反響するようになった。
「お茶とお菓子食べ放題?」
「いえ、おカネ払わないといけないけど」
「ふーん、民間企業だからケチなのかな。美結ちゃんのところはタダでしょう?」
「まあ、事務の人が用意してくれてますけど、あのお茶と菓子のおカネどこからでてるかなんて気にしたことなかった」
サオリ先輩は美結ちゃんおススメ、カップの自販機でコーヒーを買った。わたしはすでに一杯飲んだから、サイダーにした。あと、アームが動いて商品をポトっと落としてくれる自販機でチョコレート菓子。里だとか、村だとかで争いがあるけれど、わたしは里派だ。菓子をひとつつまんで、コーヒーとサイダーをそれぞれ飲む。サイダーにチョコレートは合うわけもなく。飲み物がサイダーなら、ポテト系とか塩気のあるお菓子を選ぶべきだった。わたしのバカ。
美結ちゃんは例によって飲み物も食べ物もなし。サオリ先輩も気にする様子がない。長い付き合いだし。
「あー、脳みそが生き返る」
「いままで死んでたんですか」
あのさっきのテンションで死んでいたはずはないけれど。
「仮死状態かな」
「数学者の頭ってどうなってるんですか」
「よく、コーヒーを定理に変換するなんていわれるけど」
「でちゃいますか、大定理」
「うーん、定理ってむづかしいんだよ、普通の人が考えているよりもずっと」
「そうなんですか?」
「定理っていうのは、成り立っていることなのだけれど、成り立ってそうだなっていう予想っていう段階がまずあるの。で、本当に成り立っているかどうかを頭絞って考えて、証明をするのね?その証明がみんなに認められてやっと定理ということになる。しかも、なんの役にも立たないことは定理といっても誰もとりあってくれないわけ。そんなことが成り立っているの?と、ちょっと当たり前には思えないことでないといけないし。そういうことを思いつくって、センスがいるし、大変でしょう?というわけで、定理ってむづかしいの」
「じゃあ、サオリの定理は?」
「カッコ悪い感じだけれど。そういうのはないかな。自分でサオリの定理とかいったら、アホかと思われるよ。高名な学者でも、自分の名前を冠した定理とか数学用語を使ったりしないものだし。まわりの人たちがそのひとの業績をたたえて、誰それの定理って言ったりするものなの。論文にはただ主定理と書いたり、番号をつけたりするくらいかな」
美結ちゃんはうんうんとうなづいている。
お菓子を食べながら話していると、中学時代の茶華道部を思い出す。週に一度しかお稽古がないものだから、お稽古のない日は家庭科室に集まって、お菓子を食べながら勉強したりオシャベリしたりしたものだ。わたしは一年の夏休みで退部してしまったのだけれど。
「さっきはサオリ先輩らしからぬ登場だったけど、名探偵の登場ならありかもしれません。サオリ先輩が事件を解決しくれるんですね?」
「そうなの?美結ちゃん」
「ちがいます。名探偵をするのは愛音ちゃんでしょ?サオリ先輩とわたしはそのお手伝い」
「げぇ。わたしが名探偵?ふたりとちがって頭よくないよ?」
「まあまあ、力を合わせて頑張りましょう」
納得がいかないけれど、サオリ先輩に事件のことを話した。
「密室なんて、ミステリみたいね。密室にする必要性をでっちあげるのが、むづかしいんだよね。今回の事件の場合は?なぜ密室にしたの?」
「密室にしたというより、密室にならざるを得ないんですよね」
「そうね、自動で閉まってロックされてしまって、鍵は部屋の中だものね」
護堂さんの体を鍵としか思っていないみたい。
「そうすると問は、なぜ密室になる実験室である必要があったかに変更ね」
「なぜ実験室の台の上か。横になれる広さだし。首を切るのに作業しやすい高さとか?あの台なら拭けば血が落ちるから?実験室なら床に血が垂れても拭けます。研究室のほうはカーペット敷きだから、血が垂れたら拭くの大変。実際、台から血が垂れて床を汚していたけど、いまはキレイになってます」
「なるほど、研究所のことを考えてってことね?そうすると、犯人は研究所の関係者ね。うん、当りまえか。被害者に実験室にいれてもらって、ダマしてあそこに寝かせたうえで、首をスパッと切ったと、こういうことになる?それとも、普段から実験台で寝転んでいた人なのかな」
「え?ダマして?」
「死因が首チョンパなんでしょう?ほかに考えられる?」
「いえ、その。自殺ってこともあり得るかと」
ちらとお目付け役くんの顔を見やる。渋い顔している。似合わない。これは捜査協力のためだもん。情報を漏らしてるわけじゃないもん。そんな視線を送って返答とする。
「ああ、そうね。自殺するつもりなら、あの台の上にうつぶせになるでしょうね。なにか道具を使わないと自分で首を切り落とすことはできないでしょうけれど、誰かが頭を移動しなくちゃいけないのだから、その人が後始末もしてくれると。警察は事件と自殺両面で捜査というやつね、よくニュースなんかでやっている。どちらにしろ、あそこにもう一人いないといけないのね。密室の問題は消えないか」
自殺とばかり考えていたけれど、だましてあそこにうつ伏せに寝かせてしまえば、刃物を振りかぶったとしても見えないし、そうしたら抵抗しないかもしれない。この可能性を検討してなかったんじゃないだろうか。ダマすだけじゃなくて、脅迫して言うこと聞かせることだってできるかもしれない。家族に危害を加えるとかいう脅迫は有効ではないか。自殺の線ばかりを追っていたら間違うかもしれない。
お菓子を口に放り込んで、お目付け役くんの肩をつかみ、立ち上がる。休憩スペースの隅に移動する。
「ねえ、血液検査でなにも出なかったら自殺で決まりって、緒沢くんが勝手にそう思ってただけ?みんなそう思ってる?」
「そっすね、大方その方向っす」
「今回はうつ伏せだから、だまして寝かせたとか、脅迫して寝かせたとかあるかもしれないって、捜査主任でも、そのへんの捜査員でもいいから、どことなく匂わせてきて」
「いや、大丈夫っすよ。首を運んだ人は探さないといけないっすから」
まあ、そうだけど。でも、本当に?自殺って思いこんで捜査に力が入らなくなって、結局首を運んだ人不明で終わっちゃうんじゃないの?心配だ。
「それでも、一応」
「おれっすか」
「わたしがやれるわけないでしょ?現場のプライドってのがあるんだから。副署長から頭ごなしに、だまされてうつ伏せに寝かされただけかもしれないじゃないかなんて指摘されたら、士気が乱れるでしょ」
「はあ、まあそっすね。おれが言って取り上げてもらえるかわからないっすけど」
「いいから保険のためにやってみて」
「はいっす」
ぶらぶらと休憩スペースを出てゆく。いまからどことない感じを出す必要ないのに。大丈夫だろうか。人を不安にさせる。
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