第45話

「露出した頸髄に電極刺すのって、一時間くらいで終わるものなんですか?すっごく大変だと思うんですけど」

「マイクロメートルの世界なんだ、そんなの真面目にやってたら一時間なんかでできるわけないじゃないか。デバイスが完成していたんだから、そのデータを使える。どういう配置で神経線維が通っているかわかるんだから楽チンだ。電極を剣山みたいに突き出した部品を作っていた。マイクロメートル単位の位置決めなんて、ナノテクが発達していなかった頃は不可能だったろう。そいつをスマートグラスの補助を受けながら、三次元微動装置を使って頸髄にかぶせるように刺せば、いっちょあがりだ。専用のデバイスにつなげば、思い通りの神経にパルスを流せる」

「そんなことまでする情熱が気持ち悪い」

「ひどいな。早くデバイスが完成したんだからいいじゃないか」

 わたしにはよくわからないけれど、そんなにいろいろして、さらに死んじゃってまで、アンドロイドになりたいなんて、どうかしている。気持ち悪いという美結ちゃんに同感だ。

 デバイスが完成していたから、データをとるために体に電極を刺して電気信号をはかるという作業もなかったのだろう。残念だ。護堂さんなんか痛い思いをすればよかったのに。

 美結ちゃんだってイラッとした表情になっている。護堂さんには見えないわけだけれど。知らぬが仏というやつ?

「じゃあ、犬の実験は?」

「ああ、あれは本当だよ。剣山型の電極がうまくいくか試せたのは大きい。それに、犬の実験を考えているときに、ノイズのせいで開発が暗礁にのりあげていて自分の体で実験するって設定を思いついたんだ」

 腹立たしい。体までそろったら、首を絞めてやる。

「なんでもっと殺人ぽく偽装しなかったんですか」

「どんな風に?」

「部屋を荒らすとか、首をかきむしるとか、どこかに体をぶつけるとか」

「部屋はまだ使うんだから荒らしたくはない。余計な痛みも御免だ。最後に掌紋認証したら犯人逃げたと思うじゃないか」

「建物内に人がいないんですよ」

「へ?」

「あの日宿泊申請して十一時以降残っていたのは護堂さんとイさんだけです」

「まじ?みんなもっと研究しろよ。くそっ。足をひっぱってくれちゃって」

「いや、十一時以降残っていても効率悪いだけでしょ。さっさと帰って明日ガンバりましょうよ」

「普通のサラリーマンの仕事と一緒にしないでくれ。研究ってのは、深夜になってからがはかどるんだよ。昼間のうちはガヤガヤしていて文化祭の準備みたいなものじゃないか。だからアンドロイドの体が重要だというんだ」

「わかりませんけど」

「とにかく、見落としていたことがあったということだ。次は気をつけよう」

「次はありませんけど」

「まあね」

 腹立たしい。

「じゃあ、イさんの事件は?なんでナイフを」

「知らないよ。意識が戻ったら本人に聞いてくれ。ぼくはノータッチだ」

「そうなんですか?」

「そうさ。自殺幇助をさせたり、嘘をつかせたり、いろいろ難題を吹っかけてしまったから、生きるのが嫌になってしまったのかもしれないな。だとしたら、ぼくにも責任があることになるけれど」

 ヒドイ、なにもわかってない。かわいそうなイさん。


 そんなことがあったのだ。そのうえでの報道発表だった。

 仕事に復帰して、記者対応も落ち着き、副署長の日常がもどってきた。入院中、書類は代行により処理されたから、未処理の書類が溜まっているということはなかった。

 考え事をしながら書類をながめても頭に内容がはいってこない。いけないいけないと思って読み直すけれど、途中からまた考えはじめてしまう。何度も同じ文章を目で追いつつ、先に進まない。

 コーヒーをゴクリ。ふう。

 休暇はいつとれるだろうか。入院してしまったから、しばらく無理かもしれない。休暇が取れたら映画を観に行こうか。いまなにを上映しているだろう。以前は上映予定まで把握して、いつ頃なにを観ると計画を立てていたものなのに。映画から離れてしまっている。

 どうにか書類をいくつかやっつけ、給湯室でイスを出して休憩する。すぐにヒトミちゃんがやってきた。お菓子のお裾分けをする。

「ありがとうございます。副署長、最近のおススメの映画ってありますか」

 映画館で配っているタイムテーブルを手にしている。カラー刷りで映画の紹介もついているものだ。

「最近チェックしてないんだ。ちょっと見せて」

 まだ続編をつくっていたんだというようなシリーズものの洋画、エスエフアクションの洋画、少女漫画が原作の実写化映画、アニメ映画、恋愛小説原作の映画、その他。シリーズものの洋画はずっと観てきたシリーズだから観てもいいかと思うけれど、ずいぶん久しぶりの続編だ。なぜ今頃。エスエフアクションはハリウッドお得意のあれやこれやと見分けのつかない作品だろう。どれも面白そうだと思えない。わたしだったら、これかなと曖昧に返事してしまった。

 あたらしいエンターテインメント作品を生み出すのはむづかしい時代になってしまったということだろう。一般人に理解できる程度の科学は手垢にまみれ、コンピュータグラフィックスは見慣れてしまい、コンピュータの普及で一時活発になった小説、漫画、イラストの創作はやりつくされてしまった。かつての名作を振り返ればすべてがそろっているといった状況だ。

 フォーマットを変えるしかないのかもしれない。護堂さんがつぎに研究するといっていた、脳を操作するデバイスのように。バーチャルな世界にはいりこめるなら、あたらしい経験になるだろう。そんなゲームの小説はすでにあったと思うけど。時代が追いつくというやつだ。

「副部長?」

「え?なに?」

 ヒトミちゃんがなにか話していたらしい。自分の世界に浸ってしまっていた。

「今日お昼頼みますか?」

「ああ、お昼か。なにかあたらしいものが食べたいよね」

「はい。それはなんですか?」

「うん、アイデアはない」

「なーんだー」

「もうさ、この歳になると食べて新鮮に感じるようなものってないんだよね」

「やだー、副署長まだ若いですよー」

 まだ若いつもりではあるのだけれどね。ヒトミちゃんにそんな風にいわれると、そんなに歳とったかなと思ってグッときてしまう。念のため言っておくと、まだ二十代だからね?口には出さないけれど。

「思いつかないから、とろろそばで」

「大丈夫ですか、麺類で」

「捜査員じゃないんだから、大丈夫だよ」

「そうですね。最近外に出てることが多かったから、つい」

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