第30話

 非常に厄介なことに、イさんの刺傷事件発生をもって本部との合同捜査になってしまった。おれたちが直々に捜査してやると、本部がえらそうに乗り込んでくることになったのだ。刑事ドラマでおなじみの流れ。ドラマはよくできている。ドラマも現実も変わらない。警察署では、本部からの捜査員を受け入れる準備に大忙しだ。わたしも現場を切り上げて署にもどってきた。しかたなく、制服に着替えもした。

 美結ちゃんとは、外でお昼を食べて別れることにした。

 市役所は向かいだし、研究所のほかにもいくつか会社があるというのに、近所に食べ物屋さんがすくない。女の子がよろこぶようなお店というなら、皆無だ。大衆食堂に毛が生えた程度のスパゲティ屋で我慢することにした。どう毛が生えているかというと、スパゲティの種類が豊富である。ベースが大衆食堂というのは、味より量、百円プラスで大盛になるということである。客層がオッサンである。女の子がよろこぶようなお店は、オッサンに居心地の悪さを覚えさせ、気ままにワイワイ食事するというわけにはいかなくするものである。

 わたしは胃袋をいっぱいにして店をでた。お目付け役くんは満足顔だった。いい店っすねと感想をもらしたほどだ。わたしのいれたお茶には無言だったのにだ。

 お腹がいっぱいで動きたくないところへもってきて、まことに厄介な本部の人たちを相手しなければならない苦痛と言ったらない。わたしはソファでくつろいでいるから勝手にやってくれと言えればどんなによいか。副署長という地位は本部の人間に顎で使われるという心配がないからよいものの、普通の捜査員や職員は大災害に見舞われるようなものだ。

「ようヒメ。元気そうだな。こっちはいつも大変だけどな。おれたちの捜査を見てよく勉強しろよ」

 わたしと同じく警察庁からきている先輩が、名前なんて知らない、肩に手をあてて首をコキコキ鳴らしている。拳銃を携帯していたら眉間に銃口を押し当てていたところだ。

「わたし捜査のことはド素人なので、勉強させていただきます」

 一瞬サオリ先輩が憑依しそうになったけれど、どうにか高笑いをこらえることができた。大人にはセルフコントロールが大切なのだ。

 わたしは自分の居場所を見つけた。署長の横に控えていることだ。署長が本部の人の対応をしてくれる。わたしはとなりで神妙な顔をして、あー、お腹いっぱいなどと思っていればよい。


 捜査本部の準備が一段落して、ひと通り挨拶を済ませた。自席で書類に取り組むことにする。デスクでパソコンに向かい、書類をひとつ表示させて見始めたら、ディスプレイ越しにヒトミちゃんの顔だ。

「副署長、お客さんですよ?」

 名刺を渡される。美結ちゃんだ。さっきまで一緒だったのに。なにか用があったかな。

「会議室どこかあいてる?」

「えっと、合同捜査本部が立ってますからね、どうだったかな」

 一時間だけ空いているという会議室を押さえてもらった。カラオケみたいだ。

「お待たせしました」

 美結ちゃんもお澄まし顔で待っていた。マグカップとダミーの手帳をもって、会議室に案内する。

「愛音ちゃん、カッコいいね」

「まあね」

 ふたりになったからもう大丈夫。手を広げて制服を見せるためにひと回りする。わたしは制服が好きではないのだけれど。

「どうせひとりで考え事してるんだろうなと思って、追いかけてきちゃったよ」

 会議室は静かだ。つい数時間前お互いに抱きしめ合ったことが思い出される。いやいや、職場でそんなことするわけにいかない。

「イさんの事件はさ、警備員が犯人で確定みたいなものだけど、ナイフはどうやって実験室にいれたのかわからないよね」

「さっき考えたのは、引き出しを引き抜いておいてマジックハンドでポイってやればいいかってことだけど」

「ダメだよ愛音ちゃん、そのアイデアは使えない」

「なんで?」

「実験室と研究室をつなぐ引き出しはね、シーソーのようなもので、どっちかに開いて、どっちかに閉まってる状態しかないの。引き抜いちゃうってことはできないんだよ。手前側の板が引っかかっちゃう」

 アホだった。ちょっと引き出しを出し入れすればわかることだった。マジックハンドでポイなんてわけにはいかなかった。

「簡単に解決するかと思ったのに、残念」

「警備員はロボットアームなんて使えないだろうしね」

「うん。あっ、閃いたんだけど、イさんが自分でナイフを実験室に落としたってのは?って、ダメだった。護堂さんの証言を信用するなら、イさんが途中で部屋を出たなんてことはないんだった」

 わたしのヒラメキなんてそんなものだ。

「実は掌紋認証しなくてもハッキングとかでドア開いちゃうとかだったら怒るよね。開け閉めのログも改竄しちゃうの」

「うん、怒る」

 美結ちゃんは前提を疑うのがうまい。

「イさんの事件は意味がわからないことが多いね。密室にナイフいれたってのもそうだし。イさんは自分の研究室じゃないところにいて刺されたんだよ。警備員は研究所の中を巡回しながらイさん探して歩きまわったのかな。一回目で場所を突き止めて、準備万端二回目で刺す、みたいな」

「それ怖いね。制服着て、ナイフもった警備員がターゲットを探してるって」

 サスペンス映画になりそう。

「胸刺したのに、死んだことを確認しなかったってこともわからない」

「そうだよね、考えてなかった。殺そうとしたんだよね」

 ダメだ、なにひとつわからない。美結ちゃんについていけない。

「もうこれ以上考えてもダメじゃない?」

 わたしはもうあきらめ気分。考えることに疲れてしまった。

「そんなことないよ。誰かがやったんだから、やり方がわかるはずだよ」

「香澄ちゃんのライブってそろそろだっけ」

「うん、そろそろのはず」

「今度は東京でしょう?」

「みたいだね。気合入ってるよきっと」

「すごいよね、着実にステップアップしてるんじゃない?」

「そうだね、そのうち武道館でやるかも」

「武道館て借りるの高いのかな」

「そりゃ高いでしょ、誰でもライブできるわけじゃないんだから」

「だよね」

 美結ちゃんといると時間があっという間に過ぎてしまう。そろそろ会議室を明け渡さなければならない時間だ。マグカップと手帳だけ副署長のテリトリーに運ぶ。わたしのデスクの前にパーテーションで区切られた応接セットがあるのだ。

「ここが愛音ちゃんの、おほん、副署長のデスク?応接セットもあるんだ。でも、みんなからは離れてて、ちょっと寂しいかな」

 ヒトミちゃんがお茶をいれてくれた。応接セットでくつろぎながらいただく。疲れた脳みそにおいしい。

「ああ、さすがちゃんとしてる。お茶の入れ方も教えられるんだろうね」

「女だからって?」

「ああ、まあ男でも担当になれば同じじゃないかな」

「女だからってお茶くめっていわれたら腹立っちゃうけど」

 眉間をなでる。

「そうだ、愛音ちゃん。久しぶりにお茶会に参加しないかなって、誘おうと思ってたんだ」

「げっ、昔のトラウマがあっ」

 喉を押さえて苦しがる。

「久しぶりに見たいな、愛音ちゃんのアザラシ」

「見せもんじゃないよっ」

 すでに足が痺れているような気がしてくる。

「またロボットになっちゃうからイヤ?」

 美結ちゃんはにやにやしている。挑発しているのだ。でも、ロボットにもアザラシにもなりたくはない。

「でもほら、サオリ先輩と、その先輩たちだから」

「サオリ先輩なんて、アザラシの証人みたいなものじゃない」

「大丈夫だよ。いまはもう立派になって、そんな大げさな制服も着こなしちゃう愛音ちゃんだもん、お茶会くらいのことに尻込みすることないよ」

「行けばいいんでしょ」

「やった。楽しみだねっ」

 ふたりきりだったら両方のほっぺをつまんでのばしてやるところだ。

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