第31話
あまり長居すると愛音ちゃんが遊んでると思われちゃうと言って、美結ちゃんは帰っていった。上の空でまた書類に取り組む。
地元に帰ってきたせいで、昔のわたしにもどるような場面が多い気がする。美結ちゃんばかりではない。親のお店を手伝っている同級生がいたり、市役所に引っ越しの手続きをしに行ったときにも、同級生に担当してもらったり。銀行の窓口にまで高校の同級生がいた。見慣れた景色には思い出がこびりついているし。天気まで、この季節地元の天気はこんなだったなと思ってしまう。
十三で警察を目指し、もう十五年くらい。考えたことなかったけれど、わたしはほとんど別人になったのではないか。剣道と柔道をはじめ、頭の中には法律を詰めこみ、まわりを警察官や官僚に囲まれている。考えることといったら、犯罪のことばかり。わたしも世界もかわってしまった。地元にもどったから気づいたことだ。
今は、美結ちゃんのおかげでノンビリした気分。お茶会で美結ちゃんとサオリ先輩と会って楽しくオシャベリをする想像は、わたしをすこしやる気にさせてくれる。事件なんてひとつも起きていない、そんな異世界に迷い込んだような。
今日は書類との相性が悪いらしい。ひとつ表示して見はじめると、すぐ中断されてしまう。
どたどたと足音を響かせ猛獣が、いや、だって、そういう登場の仕方なのだ。パソコンから視線をはなす。
案内もなしに轟さんが突撃してくる。
でも、様子がヘンだ。いつも様子がヘンだといえなくもないけれど、轟さんの普通とくらべて様子がヘンなのだ。ケンカでこっぴどくやられてママに泣きつく、普段はワンパクな男の子みたいなんだもん。そんな様子がヘンな轟さんが突撃してきたら、返り討ちにしていいものやら、胸に抱いてよちよちしてやっていいものやら、いや、そんなことはするつもりないけれど、対応を決めかねてしまう。
もう目の前だ。デスクの端につかみかかっている。
「ヒメ、なぜこうなる」
「は?」
出だしはこんなものだ。今はまた一段と凶暴な顔つきをしている。
「おれにはわからない」
「はあ」
「桜井は関係ねえだろ」
「桜井さんって、警備員の?」
「アパートで殺されてた」
「ええ!」
スイッチが切り替わった。
「ちょっと待って」
署長室をのぞく、不在だ。
「ヒトミちゃん、捜査本部行って署長、手が空いてたら呼んできて。空いてなかったら、署長室借りるって、終わったらすぐきてって、轟さんきたからって」
すこし距離があるから、口の横に手を当て、内緒話の声色で、でも大きめの声をだした。イスから立ち上がって聞いていたヒトミちゃんは、うなづいてそのまま階段に向かった。
あんなにどしどし歩いていたのに、腰砕けのようになってしまった轟さんの背中をぐいぐい押して署長室に押し込み、ソファにすわらせる。殺されていたと言ったとたんに魔法が解けてしまって、今はぬいぐるみにもどったようだ。
「首を切られて、クーラーボックスにいれられてた」
しぼんだ風船というやつだ。ぼそぼそとうわごとのようにしゃべりつづけている。表情は死んでしまっている。
「裸にされて、腹も切られてた。内臓が腹からあふれ出て」
聞きたくないと思ってしまうようなことを、ぶつぶつと。
「おれを被疑者のように取り調べやがって」
まあ、仕方ない。轟さんが現役だったら同じことをしただろう。
さて、どうしたものか。映画なんかでよくあるやり方で行くしかないだろう。ちょっとベタすぎる気もするけれど。
轟さんの頬に平手を、思いっきり上から振りおろすように、
叩き込む。
ド派手な音が響く。
手のひらがちりちりと痛い。
いっぱい息を吸って、口の奥に力を入れる。
「とどろきぃ、しっかりしろ!お前、刑事だろっ!」
いや、もう退官したことはわかっている。正確には元刑事だ。もっと正確を期すなら、元刑事課長になる。でも、いいのだ。頭の中がもやもやになってしまった人間には、ウソでもいいから決めつけてやることが大切なのだ。そうすれば、そうか刑事か、しっかりしないと、と気を取り直すことができるのだ。映画ではそういうことになっているし、現に、轟さんの目に光が戻ったではないか。
念のためもう一発イっとくか。
手を振りかぶって、
うりゃ。
轟さんに手首をつかまれ、とめられてしまった。もう十分らしい。
向かいのソファに腰をおろす。
「それで?はじめから話してもらえますか」
落ち着いた声を演出する。むしろカウンセラーのつもりだ。
「すまない」
「いいんですよ」
手を振る。ひっぱたいた手の方が重傷だ。ひりひりは簡単におさまらない。一発で済んで、わたしもよかった。
「今朝、桜井が出勤してないと、研究所に詰めてる社員から会社に連絡があった。そういう規則になってる。一分でも無断で遅刻したら会社に一報入れるようにな。桜井は無断で遅刻したことはない、しっかりした人間だ、心配だったが一時間様子を見ることにした」
うなづく。
「研究所で今朝も事件だっただろ。そのこともあった。それで手間取って、一時間たっても桜井から連絡ひとつないのをほったらかして、結局十時すぎだ。うちの若い女の子をつれてアパートを訪ねた。桜井が女だからな」
そんな気遣いのできる人間だったとは。
「チャイムを鳴らしても出てこない。中で動く気配もない。電話は電源がはいっていないというアナウンスだ。玄関の鍵が開いていた」
密室ではない。
「つれていった女の子を玄関の外に残してアパートの部屋にはいった。このときはもう、なにかあったんだと判断していたからな」
表情が、さっきみたいに悔し泣きしそうになっている。
「玄関あがってすぐのドアを開けてダイニングキッチンにはいった、すぐ右だ。体は、壁に背をもたせかけて床にすわってた。手は体の横、足は開き気味で投げ出した格好だ。血が飛び散っていたし、腹が切り裂かれて、肌色をしているところがほとんどない。とにかくその周囲が赤く濡れているという印象だ」
現場のたたき上げで刑事課長にまでなった人間が、痛みに耐えているような顔をしている。こっちはもう聞きたくない。けれど聞かないことには、轟さんは納得しないし、なにもはじまらない。
「性器が切り取られているのがわかった。内臓のほうまで切り取って、持ち去ったらしい」
暴虐のかぎりを尽くしているとしか、いいようがない。
「冷蔵庫の中にクーラーボックスがあった。中で頭が凍ってた。あれは扼殺だろうな。クーラーボックスの中にドライアイスがまだ少し残ってた。新聞紙も一緒にはいってた。首の切り口は汚かった。何度も斬りつけてやっと切り離したって感じだ」
クーラーボックスの中に桜井さん。顔に霜がついて白っぽい。
「もの音が聞こえて、我に返った。振り返ったら、一緒につれていった女の子が部屋のドアを入ったところで尻もちをついた。少し離れたところからでもわかるくらい震えてた。玄関の外で待ってろっていったのにな。連れて行くべきじゃなかったのかもしれないが。目に焼きついて、忘れられなくなっただろうな」
わたしだって、話を聞いているだけで悲鳴をあげたくなる。しかもあの桜井さんだ。かわいい感じで、愛想よく対応してくれて、普段着はオシャレな、毎朝お弁当をつくってもってくる。胸がチリチリ熱い。
署長が静かに自室にもどってきた。研究所の事件と関係があるかもしれない。捜査本部で聞かされてきたのだろう。デスクの席について、ゆっくりうなづく。話をつづけろということらしい。
「もう、話せることはこんなところだ。あとはしゃがみ込んでる女の子を立たせて、アパートの外廊下から通報した。すぐに制服がやってきた。知った顔が何人もやってきて取り調べだ。解放されて女の子を自宅に送って、ここにきた」
「轟さん、捜査に手出し口出しは無用です。外出は会社と自宅の往復だけにしてもらいたい。できれば自宅に閉じこもっていてもらいたいが、そうもいかないでしょう」
「署長。頼みがある」
「交換条件というわけにはいきませんよ?」
「捜査に手も口もださない。そのうえでお願いしたい」
「なんです?」
「月姫副署長に捜査にあたってもらいたい」
「はあ?」
なにいっちゃってるんだ、このスットコドッコイは。
「わかってる。本部と合同捜査になってんだろ。でもな、人海戦術でなんとかなる事件じゃねえ。ホシは研究所関係者かもしれねえ。普通の人間には手に負えねえんだ」
「現場のプライドはどうしたんですか」
「そんなものは、桜井の前で捨てた。カード認証に掌紋認証だと?デバイス?脳のスキャン?もうわけわからねえ。普通の事件じゃねえんだ、はじめから」
「でも、ちょっと待ってください。桜井さんの事件はちがいますよ?きっと模倣犯です」
「なぜそう言える。研究所に詰めてた警備員が殺されたんだ。首を切られて、頭をクーラーボックスにいれて冷やしてたんだぞ?」
「犯人も勘違いしてるんです。護堂さんの頭を冷やしていたのは脳のスキャンのためです。首を切ったのは、クーラーボックスに入れて冷やすため。でも、凍らせちゃダメなんですよ。凍ると氷の結晶が細胞を壊して脳のスキャンができなくなっちゃうんです。同一犯なら、ドライアイスは使いません。それに脳のスキャンには同意書を書いてないといけないんです。警備員の桜井さんには、脳のスキャンなんて話はいっていないはずです。同意書のない人間の首を切ったり、頭を冷やしたりする意味がないんですよ。捜査を混乱させるための演出にのってはダメです」
「そう、なのか」
「護堂さんの脳のスキャンのことは研究所でも一部の人間しか知りません。犯人はどこで聞きかじったか知りませんけど、クーラーボックスにいれて冷やすなら凍らせた方がいいだろうとでも思ったんでしょう。護堂さんの頭は、氷を新聞紙で包んで冷やしていました。同一犯じゃありません」
「そうか、わかった。やっぱりこの事件は月姫副署長にしか解決できないと確信を強めた」
「ちがいますって。桜井さんの事件は猟奇殺人で、刑事課が得意とする事件だってことです。前のふたつは、たしかにわたしたち向きの事件かもしれませんけど」
「わたしたちってなんだ?」
「わたしと、親友の美結ちゃん、それにサオリ先輩です」
「誰だそれ」
「美結ちゃんは研究所と共同研究で脳のスキャンを開発した、大学の研究者です。夫は研究所の研究者、お父さんは佐藤副所長。サオリ先輩は大学の研究者で、数学者。ふたりに協力してもらって密室のこと考えて、いいところまできてるんです」
「なるほど、おれたちとは別世界の人間だ」
肩をすくめる。
「じゃあなんだ。桜井の事件は、ちがうってんだな?普通に捜査すりゃホシあげられる。そういうことなんだな?」
「そう。カード認証も掌紋認証のことも、脳のスキャンのことも忘れちゃっていいんです。
ドライアイスが手軽に手に入る、スーパーでもタダでくれますけどね。氷より手に入りやすいということかもしれません。犯人は絶対研究所となんらかのつながりがある。あとは、桜井さんの交友関係、足取りを追って、近所を聞き込みして、不審車両、目撃者を捜して。全部刑事課が得意な捜査です。凶器はなかったんですね?特殊なナイフかもしれません。ナイフの特定とその入手先もですね。きっともう捜査を進めてます」
「ああ、いわれなくてもわかる。よし、わかった。副署長を信じる。おれはいつも通り、出勤して仕事して帰ることにする」
「元部下たちを、信じてやってください。轟さんにしかできない、遺族の方のケアに、全力をあげることです」
「そうだな」
涙をうかべ、口をわななかせている。目をごしごしこすり、邪魔した、いろいろ済まなかったな、よろしく頼むと頭をさげ、元気なくドアを出ていった。
「大丈夫ですかね」
「仲間はとことん大切にするから、つらいんだろう」
仲間に対する気持ちのほんの少しでも、周囲の人間に示してくれたら、いろいろなところで起こる軋轢を回避できるのだと思うけれど。
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