第32話

 車に、また乗っている。

 運転席にお目付け役くん。

 沈黙。

 エンジンもかかっていない。

 公用車の駐車場。

「桜井さんの事件について話して」

「こっちには首をつっこんでほしくないっす」

 ハンドルに両手を組み、アゴをのせている。

「どこの事件にも首なんて突っ込んでないでしょう。連絡係をしただけなんだから」

「密室の件はなんすか」

「あれは署長命令で仕方なしにやってることだよ。わたしは考えるのが苦手なんだから、すすんで密室の謎になんか挑むもんですか」

「納得っす」

 睨みつけてやった。

 ノンビリした動作でエンジンをかけ、車をスタートさせる。

「交友関係っす」

「うん」

「会社に女の人すくないっす。友達付き合いしてる人はいなかったっす。プライベートを知ってる人もいなかったっす」

「そうなの?かわいいから、みんなに言い寄られたりしてたんじゃないの?」

「研究所に詰めてるから、ほかの人と顔をあわせることがあまりなかったっす」

「じゃあ、研究所だ」

「そっす、研究所の人との方が親しかったっす。でも、ちょっと話をするとか、出張に行ったときに警備員室に土産を届けるくらいしかなかったみたいっす。研究所にも事務員には女性多いっすから、いつも制服着てる警備員にアプローチする人はいなかったみたいっすね」

 まったく見る目がない。的確に受付の対応ができる賢さ、外見がよくて、ファッションセンスがよくて、料理ができて、愛想がいい。ほかになにを望むというんだってくらいの女性なのに。

「研究所に女性の友達は?」

「顔見知り程度っすね。休憩で一緒にお茶するわけでなし、お昼は警備員室。なかなか親しくなりづらいんすよね」

「寂しいね」

 わが身を思ってしまった。わたしも寂しい人間の一人だ。副署長なんていうと、女性もみんなかしこまってしまうし、こっちだってかしこまられたくないし、距離をおいてしまうところがある。男性は、自分より階級が上の女には気安く接することができない。女性以上に無理だろう。席だって、わたしの孤独をあらわしているようではないか。

 美結ちゃんはこの町に住んでいるんだし、今夜は誘ってお酒でも飲みたい。桜井さんのお通夜みたいなものだ。うん、そうしよう。

「ここっす。桜井さんのアパート。二階の三号室」

 オシャレな女の子が住むには地味というか質素というか、安そうなアパートだ。立地も一方通行の路地をずっとはいってきた先だ。たぶん線路が近い。電車の騒音がするかもしれないくらいだ。道が狭くて車は横を抜けられないだろう、長くはとどまっていられない。

「アパートの住人どうしでは、顔を合わせれば挨拶するくらいの関わりしかないっす」

 まあ、他人同士、そんなものだろう。わたしだって、学生時代アパートに住んでいたときはそんな感じだった。

「いまごろは学生時代の交友関係を当たってもらってると思うっす」

「そりゃ大変そうだね。出身はこのへんなの?」

「おとなりの県す。誰か派遣するみたいっす」

「なんでこの町に出てきたんだろ」

「けっこうお手頃な町っすからね。電車で東京に出るにはまあまあ便利だし、アパートの家賃は高くないっす」

 そういえば、大学がないし、急行が止まらないしするから、家賃はやすい。となりの急行が止まる駅がある町は開発が進んでいてマンションがいっぱい建てられているけれど、家賃は高くなっているらしい。そういうことかな。

「中は、見るっすか?」

「いや、やめておく。わたしが見たって役に立たない。轟さんに捜査してくれって言われて断っちゃったしね」

「そうなんすか。勇気あるっすね」

「緒沢くんは怖がり過ぎ。いや、どんなに怖くても自分の考えた通りに行動しなくちゃダメなんだけど」

「そっすよね」

 車を出す。

 警察というのは一種の暴力装置だ。暴力で人を従わせる。そういうことをする人間は暴力で従わされやすいものらしい。暴力で従わされてしまう人間だから、他人も暴力で従うとわかっているともいえる。子供に暴力をふるって言うことを聞かせていると、大人になって暴力をふるう人間になってしまう。老後をそんな子供に面倒見てもらいたいか、よく考えて子育てをした方がいい。

「死因は?」

「扼殺っす」

 轟さんもそう言っていた。

「手のあとは?」

「そのあたりで首切られてるっす」

 ふん、わかりやすい。

「あとは?交友関係のほかに、凶器とか、目撃者とか、指紋とか、体液とか、当日の足取りとか調べてるんでしょ?」

「凶器というか、首を切った道具っすけど、切り口からすると包丁みたいなものっす。叩き切るようにしてから、引いてさらに切るってことを繰り返したっす。長さと重さがあったっすね。ナタみたいのもちがうっす。引いて切ったっすから。現場から血まみれの包丁が出てるっす。これで間違いないと思われるっす。キッチンに包丁なかったっすから、もともと部屋にあったものを使ったと思われるっす。

 何度も切りつけたから、切り口は汚いっす。首に手のあとはあまりのこってないっす。

 腹の方は、別の刃物みたいっす。包丁みたいのではとりまわしづらいっすから。もう少し小型のナイフだと思われるっす。こっちは未発見す。

 壁には首と腹を切ってから体をもたせかけたっす。体をひきずった血の跡が残ってたっす。

 死亡推定時刻は深夜一時から早朝五時のあいだ、目撃者いまのところなしっす。

 指紋は鑑定中、体液いまのところ出ずっす。性器を切り取って行ったっすから、男の犯行でも出てくるかわからないっす。女の犯行ならカモフラージュの可能性が高いっすね。

 当日の足取りは、いつも通りに仕事っすね。八時っから五時で、遅刻も残業もないっす。門のところの監視カメラで、門を通過したことはわかってるっす。そのあと、たぶん帰宅したっす。というのも、六時過ぎに駅前の通りをすこし行ったところのバーでホワイトレディっていうカクテルを飲んでるっす。

 この路地の先が駅前っすから、駅前をずっと聞きこんだんす。オシャレな女性が行きそうな店を中心に。

 バーの一階がお茶屋さんなんすけどね、店じまいしているときにバーの看板の前に立ちどまってる桜井さんらしき女性を目撃したというんす。お茶屋のおばちゃんに気づいて、お店の名前を確認して階段をあがっていったっす。顔も服もわりと目立つし、感じのいい子だったから印象に残ってたってことっす」

 たしかに、私服の桜井さんは目立つし、話したらいい印象をもつ。写真で確認されたなら、桜井さんでまず間違いない。刑事課、やっぱり得意分野ではいい仕事をする。

「バーでの聞き込みでホワイトレディが判明したっす。そんな名前のカクテルがあるんすね。気取り過ぎじゃないかって思うっすけど」

 わたしが注文したらそうかもしれないけれど。どんなカクテルだろう。

「バーでは待ち合わせだったみたいっすね」

 まあ、そうだろう。名前も知らないバーに女性ひとりでは行かないものだ。

「カクテルを飲みきらないうちに待ち合わせの男がきたっす。特徴は特にないっす。二十代後半、中肉中背。黒っぽいカジュアルな服。髪も普通。男は注文しないで、桜井さん会計してふたりで店を出たっす。なにか急いでたんすかね。七時にライブはじまっちゃうとか」

「さあ。でも、その人と待ち合わせをしたのははじめてなんだろうね」

「そっすね。待ち合わせしたことあれば、いつものところってなるっすね。電車に乗るならもっと駅近くで待ち合せるっす。

 店を出たあとの足取りは不明っす。車に乗ったか、歩いたか。自宅に帰って殺されたと思われるっす」

「体を売るのに自宅つかわないよね」

 外見がいいとなると、そんなことを疑ってしまう。よく知った仲というわけでもなさそうだし。性器を切り取られていたということもある。

「そっすね、付きまとわれたら困るっすからね。近所にいいふらされたりとか」

 待ち合わせ場所を駅の通りなんかにもしないだろう。

「なんだろうね、なんで待ち合せたんだろ」

「ケータイは見つかってないっす。いま通信会社に情報開示請求してるっす。もうもらえたかもしれないっすけど」

「メールか。いまどきメールでやりとりする人も少なそうだ」

 そうすると、アドレスからいろんなサービスに照会をかけないといけない。メンドウだ。結局交友関係をあたることが、本命の捜査になりそうだ。目印は研究所と何らかの関係があるということだ。待ち合わせの相手を見つけることができれば、その人物がそのまま犯人かもしれない。

 車は一方通行の道を抜け、駅前に出た。駅前のとおりをゆく。このまま行くと市役所前の通りとぶつかる。少し手前で路肩に止まった。お茶屋の目の前だ。地元の人間だから、よく知っている。

 この二階か。窓や壁に店の名前がわかるものがあったりはしない。おカネがかかってはいないようだ。まだ新しい店だろう。

「桜井さんはこの店でホワイトレディというカクテルを飲んで、男と出ていった。そのあと部屋で殺されるまでの足取りは不明か」

「わかってないっす」

「六時過ぎに合流したとなると、食事かな。近所の食べ物屋さんはあたったんでしょう?」

「桜井さんと男らしき客がきたという店は見つかってないっす」

「やっぱり車で遠くまで行ったのかな、おいしいお店があるとかいって。そうなると足取りの特定はむづかしいか」

「ちがったっす。内臓調べたんす。食事で誘い出されたとしても、実際に食事はしなかったっす」

「ああ、桜井さんは司法解剖したのか」

「そっす。首に手のあとはあるし、腹裂かれるし、首切られてるしっすから。それで死因が扼殺とわかったっす」

 死なない程度に首を絞める男もいる。それで手のあとが残ることもある。護堂さんの事件のあとだし、首を切って殺した、腹を切って殺したということも考えられた。それで司法解剖したというのだ。

「あの一方通行の道を車で通って、アパートの前に停めたら目立つよね。歩いて行きそうな気がするけど。でも、男は店で酒を飲んでないんだ。そうなると車に乗ったと思いたくなる。あんな壁の薄そうなアパートで女の子を襲ったらとなりの住人が気づきそうなものだけど、とくにそれらしき物音は聞いてないのね?」

「みたいっすね。近所にカラオケスナックがあるっすから、営業時間のうちは物音しても聞こえなかったってことはありそうっすけど」

「ということはあれだ。桜井さんが部屋に招き入れたのではない。もう殺されていたのかもしれない。どういうわけか、犯人は桜井さんの自宅を知っていて、死体を運び込んだ」

「なるほど、そっすね」

「アパートの住人は調べたんでしょ?」

「もちろんす。怪しい人物は見つかってないっす」

 アパートの住人なら、わざわざ待ち合わせしないか。男は注文しないでバーを出てるんだし。となると、はじめて待ち合せたのに自宅を知っているというのが不自然だ。どういうことだろう。

「車で桜井さんを連れ去り、殺したあと自宅前まで行った。できれば共犯者がほしいね。車を運転してどこかへ置いてくる係と、桜井さんを部屋に運び込む係」

「深夜でも、長く路駐はしたくないっすよね、死体と一緒にいるときは」

 お目付け役くんの顔がゆがんでいる。わたしも眉間に皺がよっているだろう。もういいと言って、警察署にもどることにした。


 美結ちゃんと待ち合わせの約束をした。

 お店の名前はわからないけれど、地元民が間違えないくらいの目印はあるから大丈夫。美結ちゃんは一時間くらい遅れそうという。なら時間を気にしなくてもよい。


 捜査会議がはじまっても、聞くべきことはない。イさんは命をとりとめたけれど、集中治療室でまだ意識不明だということくらいか。イさんが事情聴取を受けられるようになったら、事件は解決するかもしれない。本部はくるのが遅かったと言わざるを得ない。いや、捜査範囲がせまいのだ、もともと本部が出てくる必要がなかったといっていい。

 桜井さんの事件は、お目付け役くんから聞いた情報しかまだわかっていない。動きがあるとしたらこっちの事件だ。捜査範囲が広く、人手が必要だし。こっちは合同捜査の価値がある。結果オーライだ。

 今日も署長室にて密室会議。密室問題に関する会議だ。

 護堂さんの事件、認証のために死体の手のひらをパネルにかざす方法は、なんらかの装置を首なし死体に装着して利用したとしか考えられないと報告。研究所という場所にもなじむ考えだと付け加えた。どういった装置かはわからない。

 イさんの事件はまだ考え中、ナイフは事件と関係ない、密室の問題は存在しないというご都合主義的な解決が思いついただけだ。

 警備員が犯人であると想定しているから、ロボットアームの使用はない。

「ナイフは無関係説は血液検査の結果待ちですね。望み薄です。もっと別のことを考えないといけないんですよね」

「本部はどうすると思う?」

「優秀な人たちなんでしょうから、誰か密室の問題を解いてくれるといいですけど」

「犯人捕まえて聞けばいいというんじゃないかと思うがね、わたしは」

 渋い顔になってしまう。まさかイキナリ警備員を逮捕なんてことにはならないと思うけれど。捜査員は桜井さんの事件に投入すべきなんだった。密室問題に捜査員を割くわけにいかない。わたしと美結ちゃんでガンバるしかない。

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