第22話
サオリ先輩は役目を果たしたという満足顔で、スプリングコートをひるがえし去って行った。まだ全然事件解決していないけれど。久しぶりに地元の町へ帰ってきたから寄りたいところがいろいろあるらしい。
美結ちゃんは、イさんのところに行こうと言って、さっさと席を立ってしまった。わたしはすこし落ち着いて考えたかったのに。
イさんは事情聴取を終えて、また仕事に取りかかっていた。手近のイスを引き寄せてすわる。
「順調そうですか?」
「昨日あまり進められなかったので、今夜は泊まりの申請をしました」
「さらにお邪魔してしまって、すみません」
休憩スペースで仕入れてきたコーヒーのカップとお菓子を差し入れる。
「いまのお仕事って、頭と体を切り離すんでしょう?」
「そうです。これ、プロトタイプだからおっきいのです」
デスクにごつい機械が置いてある。バウムクーヘンがちかいかな。
「いま試せますか?」
「キャリブレーションに時間と手間がかかるから、プレゼンが済んでからにしてほしいのです」
それは残念。
「わたしが使っているところをモニタで見る?それならすぐにできます」
「じゃあ、それで」
イさんは首にデバイスを装着する。慣れたもので、すぐに装着完了して、モニタにイさんの頸髄の輪切り画像がふたつ表示される。頸髄というのは、首の骨の中通っている神経が束になったもののことだ。頸髄の輪切りがふたつというのは、頭側と体側の二箇所ということらしい。画像はシミュレートしたものだから、グロテスクではない。輪切りの中に蝶のような形が線で描かれている。蝶の形を取り囲むように神経が通っているということなのだそうだ。信号が通ると、その部分だけ色がつく。信号が通ってないときは黒。模様が刻々とかわる。オーロラのよう。
イさんはヘッドマウントディスプレイもかぶった。
「デバイスの操作はバーチャルな世界でするのです」
首のモニタのとなりのモニタ。イさんのヘッドマウントディスプレイに映っているのと同じ画面が表示されているらしい。イさんの頭が動くと画面内の景色も移動する。画面に手が表示されていて、バーチャルな世界でウィンドウを操作している。現実にも腕が動いている。
「バーチャルな世界で動いている手は、すでにデバイスの頭側の信号を使っているのです」
腕の動きが止まったと思ったら、今度はゆっくりさがった。
「はい、これで運動神経と感覚神経がデバイスに乗っ取られました。首が切れた状態です。右手を上げてみますね」
首のモニタの一方の輪っかで色が変化している。こっちが頭側だ。もう一方は変化しないままで、こっちが体側なのだろう。これで首のところで脳からの信号を遮断しているということになるらしい。バーチャルな世界では右手があがっている。
「つぎは、脳から右手を上げる命令をださずに、デバイスから右手に命令をだします」
バーチャル世界でなにか操作している。動かしているのは左手だけだ。イさんの本当の右手があがった。首のモニタでさっき変化のないままだった方に色が動いている。もう一方の輪っかはさっきとちがう模様になっているのかな。見てもよくわからない。とにかく、脳から右手を上げる命令が出ているわけではないらしい。
「これなら、実際の体が動いて壁に手をぶつけるなんてことなく、自分の体を動かす感覚でキャラクターを動かせますね」
美結ちゃんがいてくれてよかった。わたしは話について行けない。
「そうです。ゲーム機メーカーはその使用方法をメインに考えています。これを開発者が自由にプログラミングして使えるようにしたら、いろいろ面白い使い方を考える人が出てくるはずです」
「そんな予定なんですか?」
「はい。会社は特許のライセンス料でもうけます。できるだけたくさん売りたいのです」
「ゲームでしか使えないっていうと、買う人が限られちゃうんですね」
「もうそんな商売でやっていけるような時代ではないのです」
ゲーム業界もグローバルな競争にさらされている。いいものを作れば売れるという時代ではないのだ。
「いまは問題が解決したから、うまく動いたんですよね。うまくいかなかったときは、どんな感じだったんですか?」
「ノイズがいたずらをして神経細胞の発火をスキャンできなかったり、デバイスから発生させた命令に途中でノイズがのって動きがおかしかったりです」
「それが一晩というか、もううまくいくようになったんですね」
「そうです。ノイズキャンセル機能を作りました」
「うまくいかなかったのは、ノイズキャンセル機能をつくるのに時間がかかったってことですか?」
イさんが苦笑している。
「あ、企業秘密?なら、だいたいわかったから大丈夫です」
「すみません」
「あと、実験室はなにに使ってたんですか?」
肘から先の手をあげて、先生に質問。
「自分たちの体を使って開発してましたから、うまくいかないときは、体がどう動くかわからないのです。デバイスのテストは実験用の台に寝転がって、もう一人がサポートについてやってました」
「ふーん、それでふたりとも実験室にいて作業してたんですね。じゃあ、このプロジェクトのために実験室を?」
開発が成功して、商売もうまくいくという見込みがあったから、こんな実験室をつくったのだろうか。
「実験室はこの研究室を割り当てられたときにすでにありました。このプロジェクト用というわけではありません。でも、プロジェクトを進めるには便利でした。デバイスの実験に使うのはもちろんですけど、大切なものは実験室に放り込んでおけば、特別なセキュリティの仕組みを考える必要がないですから」
「企業秘密ですね」
ニッコリ微笑んでうなづいてくれた。
「わたしが共同研究してたときも、あんな実験室のついた研究室使ってたんだよ」
「そうなんだ」
「わたしの場合は、訓練された頭のいいチンパンジーを連れてきたときに使ってた。レイの研究パートナーだったんだけどね。もう寿命が近くてね、その子が亡くなったときに脳のスキャンをやったんだよ。実験室の中で脳スキャンのために頭を開いたりとかね。チンパンジーのアンドロイドがはじめて動き出すときも、念のために実験室で起動して、人間様は実験室の外から見守ってた」
「なるほど、有意義な使い方だったね」
「うん」
イさんに聞きたかったことは、たぶんみんな聞けた。
「ありがとうございました」
あまり邪魔しては申し訳ない。イスから立ち上がる。美結ちゃんがドアに手をかける。
「あ、そうだ。掌紋認証って、登録した人が亡くなってもすぐなら認証できるんでしょう?」
「そうなのですか?死体では認証できないから、認証のために殺される心配はないと聞きましたけれど」
「そうですか。お邪魔しました」
美結ちゃんが刑事コロンボみたい。そのうち、うちのダンナさんがとか言いだしたらほっぺつねってやろう。
お昼の時間だねといって、研究所を出た。駅の方に向かってしばらく歩くと路地に入り、目的地は喫茶店だった。こんな人気のない路地に喫茶店を出してもお客さんあまりきそうにない。店内に、思った通り客はいない。カウンターの席でマスターが新聞を広げているだけだ。スパゲティのランチセットを注文する。時間かかるよとおどしてくるけれど、急ぐわけでもない、大丈夫と答える。
「ねえ、護堂さんの研究、本当にすごくないの?あれって、首にある神経一本を区別して信号を操作できるってことでしょう?」
「そうだね。すごくないってことはないよ。あれは神経の走る方向が一定だからできるんだ。脳はほら、ごちゃごちゃっとからんだスパゲティを丸めて突っ込んだみたいな配線だから、とてもそうはいかないんだけどね」
「じゃあ、首に目をつけたのがポイントなんだ」
「うん、そう思うよ」
「ゲームの中でさ、ピアノの練習したら本当にピアノが上達したりするのかな」
「それはないよ。本当にピアノを弾くときは現実の筋肉をつかうでしょ?ゲームの中で筋肉を鍛えても現実の筋肉には影響ないから、手がついてこないって感じるんじゃないかな」
「そうなんだ」
残念。思考のスピードで竹刀が振れるかと期待したのだけれど。
「そうすると、頭の中だけで完結するようなことだね。勉強とか?」
「そうだね。触れるとか、歩きまわれるとか、そういう教材ならいいんじゃないかな。見るだけなら、ヘッドマウントディスプレイで十分だからね」
「そういわれると、けっこうむづかしいね。勉強は見たり聞いたりがほとんどだもん」
そんなに簡単にいい使い道が思いついたら、メーカーの人も苦労しないか。
スパゲティが届いて、タバスコを振りかけて食べた。お客さんのいない喫茶店だけど、普通においしかった。家でつくっても同じ味という気もするけれど。
「コロンボ美結ちゃん、さっきのイさんへの質問はなんだったの?」
「愛音ちゃん、そんな間抜けな質問はうけつけないんだよ?」
「間抜けじゃないもん、考えるのが苦手なだけだもん」
「じゃあ、考えるのが苦手な愛音ちゃんにわかるように、失礼なくらい懇切丁寧に説明してあげる」
「う、うん」
「サオリ先輩と検討してわかったことがあるでしょう?」
「死体でも死んですぐなら掌紋認証できるんじゃないのってやつね」
「そう。まだハッキリしたことはわからないけど、そういう前提を置くね?」
「うん。前提だ」
「そうなると、最後の掌紋認証が六時だっけ」
「そう。六時」
「そのときには護堂さん死んでたっていいわけだよね。死体が認証パネルに手をかざさなくちゃいけないけど」
「うー、うん。手をかざせば、最後の認証のすこしまえに死んでても大丈夫。前提があるからね」
「たとえば、死んで一時間くらいたってても認証できるとしたら?」
「一時間も?それも前提?」
「ドアを設置した会社に確認すればわかることだけど、いまはそういうことにする」
「一時間というと五時にイさんが帰るときに死んでたっていいたいわけ?」
うなづく。
イさんが帰るときに護堂さんが死んでいても、すぐだったらドアが開いて、一時間後でも認証できると仮定すると最後の認証もできるのか。誰がとか、どうやってとかは度外視するわけだ。そう考えると、イさんがいるときに護堂さんが死んだことになって、幽霊をもちだしたり、警備員をひとり生贄にしなくても三重の密室が全部破れてしまう。素晴らしい。死んでも認証できることを願うばかりだ。その場合、イさんが殺したか、イさんが自殺の道具を片付けたかってことになりそうだけれど。
美結ちゃんがわたしの頭の中をのぞいていたかのように、その通りとうなづく。
「イさんが知っていないと、そんなことはしないだろうってことか」
「とぼけたのか、本当に知らないのか。本当に知らなかったら、別のことを考えないといけないけど」
もう確信があるみたい。ほかに可能性がなさそうだ。
「でもさ、手のひらをパネルにかざさないといけないんだよ?」
「謎が謎を呼ぶだね」
「そこは解決してないんだ」
「世の中そんな甘くないよ、愛音ちゃん」
「そうだね」
「でも、」
「もしかして言っちゃう?」
「なにが?」
「名探偵が言いそうなセリフ」
「そうなの?」
それが論理的帰結だよ。
言っちゃった。
首なし死体がむくっと起き上がる。
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