第28話
もう歩き疲れたといって、手をつなぎ、荒地にむかって道路の端に腰をおろす。アスファルトの舗装がきれて、土の地面が一段さがっているから、足を投げ出すのにちょうどよい。
静かだ。
おしゃべりをしているうちに二人だけの世界に迷い込んだような。工事はどうなっているのだろう。今日はお休みかな。
空のどこかでひばりが鳴いている。
「副署長、探したっすよ。ケータイ鳴らすっていったのに、手ぶらで出たっすね。会議室でケータイ鳴ったっす。手ぶらのわりにはなかなか戻らないんすから」
のどかさを蹴破って、お目付け役くんが車で通りかかった。うるさいガチョウだ。よくこんなところにいるのが見つかる。
帰ろっかといって、車の後部座席に乗り込む。
「ドアの業者は?もうきた?」
助手席の背もたれに抱きつくようにして頭を前に突き出す。
「きたからケータイ鳴らしたし、探しに出たんす」
座席に深く腰掛け直す。
「もう開いたかな。といってもすぐにはいれないから、気にしても仕方ないか。まずはさ、イさんが倒れてた護堂さんの部屋を見てみよう」
「そうだね、護堂さんに聞いたら、刺されたときのことわかるかも」
「わからなかったら、ただの役立たずだね」
「護堂さんが役立たずでも、わたしの脳スキャンのせいじゃないからね」
ぐるーっと大規模開発の周囲をまわって、知っている道に出た。こんなところに出るのか、驚きだ。だって、ここから研究所まで歩いたらすっごく遠いから。お目付け役くんもたまには役に立つ。車の座席にすわって、疲れた足がジワジワする。
お目付け役くんは本当に研究所から探しにきたのかな。ずっとあとをつけていたってことはないだろうか。監視役なのだから。油断ならない。
研究所の玄関を入って、まっすぐ護堂さんのいる研究室に向かわず、二階の休憩スペースでペットボトルのジュースを買った。美結ちゃんはお水。美結ちゃんの体には水が一番いいらしい。さっそく開けて、ごくごく飲む。体が水分を欲していた。
「イさんが倒れてた場所、白いテープで輪郭に沿って囲われてるかと思ったけど、なにもないね」
研究室の床を靴の底でこすっている。そんなことをしてもなにもでてはこないけど。
「鑑識が調べおわって撤収したからだね。今頃は実験室で遺留物のところにいろいろしるしをつけてるはずだよ」
「そっかー。すぐになくなっちゃうんだね。二三日貼っておくのかと思った」
イスを転がしてきて、勧めてくれる。
「護堂さん」
ディスプレイのスリープが解除されて、例の三次元キャラが姿をあらわす。
「なんだ」
美少女のかわいい声。
「暇でしょう」
「いや、つぎのことを考えているからな、忙しいくらいだ」
「イさんと、なにがありました?」
「刺されたみたいだな」
「胸をぐさっとね」
「命はたすかるんだろう?研究はしばらくできないだろうが」
「護堂さんみたいに頭の中で忙しくしてればいいんじゃないですか」
「そうだな、つぎの研究では彼女の活躍に期待しなければならないだろう」
「なにやるんですか」
「頸髄を通る神経活動をコントロールできるようになったんだ、つぎは大脳皮質に進むのが順当だと考えるが」
「メチャクチャ大変ですよ」
「だが、完成すれば応用は広い」
「視覚野、聴覚野、言語野、運動野、体性感覚野がコントロールできたら、かなりゲームの世界に入り込めるでしょうね。ゲームでは加速度を感じられるようになったら全然違う世界に到達できそう」
「ヘッドマウントディスプレイやらいろんなセンサーやらいらなくなるな。マイクロロボットにセンサーをつけておけば、バーチャルに体内とロボットを再現して、患者の体内に入れたマイクロロボットを自分の体のように操作して手術をするなんていうことも、新デバイスだけでできるようになるだろう」
「なるほど。それで?そんな話をイさんとしてたんですか?」
「え?いや、昨夜はちがう。まず、デバイスの改良が終わったと報告を受けた。そのあとはノイズの原因について話し合った。ノイズキャンセルの方法も適切だった。彼女はよくやってくれたよ」
イさんが実験室を出て、刺されたあと発見されるまで三四十分くらいのものだ。それほど長く話していたわけではない。
「誰か研究室にはいってきたのに気づきましたか?」
わたしの出番だ。
「いや、気づかなかった」
「イさんがほかの人と話すようなことはなかったんですか」
「われわれは、ふたりきりで話していた」
「でも、警備員さんがきたはずですよ」
「ああ、警備員か。話したというほどじゃないから忘れていた。部屋の中までははいってこなかったんだよ。ドアのところで彼女に注意して去っていった」
「逆にイさんがこの部屋を出たってことは?警備員に注意されたんだし」
「いや、すぐにもどったほうがよかったんだろうが、話が終わらなかった」
イさんの研究室にもどって刺されたという可能性はなくなった。
「刺されたときは?イさんが刺されたと気づきましたか?」
「いや、話声がちいさくなってそのまま黙ってしまったから、疲れて眠ったのだとばかり思っていた。しばらくして警備員がどたどたとはいってきて、騒ぎになった。どうやら誰かに刺されたらしいとわかった。いや、ちがうな。警備員がはいってくるまえにイスから転げ落ちる音がしたのだった。大丈夫かと声をかけたが返事がなかったから、眠りつづけているものと思った」
「それだけ?犯人の足音を聞いてないし、イさんが犯人と会話するのも聞いてないし、刺されるときにうめき声も聞いてないんですか」
「聞いてないな」
「バカな。犯人はイさんを刺して凶器を実験室に」
「マイクに仕掛けがしてあるわけではないだろ?」
「ない」
美結ちゃんは上の空。事件のことを考えている。
「また警備員か。やっぱり」
やっぱり警備員があやしい。
この研究室も床下に空間がある。歩けばガタピシと床が鳴る。犯人が研究室に入ってくれば、性能のいいマイクで護堂さんに床の鳴る音が聞こえるはずだ。警備員が犯人だとすると、ドアのところからなにか道具を使ってイさんを刺すことができたのかもしれない。距離があったから心臓を外した。イさんが倒れたあと、しばらく様子を見てからあらためてドアを開け、駆けよったときにナイフを回収、イさんが救急車で運ばれるドサクサにまぎれて実験室と外をつなぐ引き出しを使って凶器を密室に放り込んだ。そうだ。これなら実行可能だ。
護堂さんの事件はどうだろう。
三重の密室になっていて、事件の起きた時間に建物内に警備員しかいなかったはずだ。掌紋認証が死亡後一時間程度であっても可能ならという条件付きでイさんに犯行が可能だと考えていたけれど、警備員が犯人なら一時間という条件はすこしの間という条件に弱まる。
いや、そううまくいかないか。六時に掌紋認証でドアが開いたとき実験室をでるためには、五時にイさんと入れ替わりで警備員が実験室にはいる必要がある。いまの仮説だと、イさんと警備員が共犯となって護堂さんを殺したことになってしまう。しかも、警備員は巡回の時間でもないときにやってきて一時間も密室に閉じこもらなければならなくなる。監視カメラに出入りが映るのだから、ごまかせない。
首なし死体に掌紋認証させる問題もなくならない。
警備員が密室から抜け出せるなら問題解決だけれど。抜け出せるくらいなら入ることもできるだろうし。そうするとイさんと共犯である必要はない。いつ実験室にはいったり出たりしてもよいことになる。ただ、密室に出入りする方法はなさそうだ。この説は可能性が低い。
待てよ?イさんと入れ替わりで警備員が実験室にはいった説を採用すべきかもしれない。で、昨日になって仲間割れ、イさんが刺された。話がスムーズにつながる。警備員なんだから、窓の鍵を開けておくなんてこともできそうだ。監視カメラに映らないで研究室に行く方法はあるだろう。護堂さんの事件で一時間実験室に籠らなければならず、六時の巡回に間に合わないという問題があらたに生じてしまうけれど。
護堂さんの話を聞いても、謎が増えるばかりで役に立たなかった。休憩スペースで本日一杯目のコーヒーを仕入れて、美結ちゃんと会議室にもどる。
またお目付け役くんは眠っていた。イスを並べた上に横になって本格的に眠っている。もう遠慮するつもりはないらしい。真ん中のイスを引いてやろうか。いや、大人げないか。わたしはもう中学生ではない。
コーヒーを飲みながら考える。
「ねえ美結ちゃん、護堂さんがウソをついてるってことはないかな」
「どうだろうねえ。誰だってウソつくもんだと思うけど。イさんが刺されたのに誰も犯人がいないなんていわないんじゃないかな。誰かをかばうとしたらイさんなんだし」
「そうするとさ、イさんは自殺未遂か、警備員が刺したってことかな」
「うん。わたしもそれしか思いつかない」
「護堂さんはコンピュータからでられないんだよね」
「そりゃそうだよ。データしかないんだから。体は製作中のはずだよ」
「幽霊ってことは?」
「またでた。都合よく幽霊を出したら、どんな難事件だって即解決しちゃうよ」
「だって、護堂さんが死んだばかりでしょう?護堂さんの幽霊が出てもおかしくないよ」
「おかしいよ、幽霊なんて物理的にはいないんだから、物理的に世界に影響を与えることなんてできないんだよ」
「それって、気のせいってこと?」
「平たく言えばそう」
「そっかー」
「だって、コンピュータに移せるんだよ?魂のはいりこむ余地なんてないんだよ」
「そっかー、魂はないのか」
「うおぉー」
お目付け役くんはイスに横になったまま、うるさいといって美結ちゃんにイスを足蹴にされてしまう。悲鳴をあげながらイスごと壁に激突して、床に投げ出される。
「あいたたた。魂の叫びのつもりだったっす」
「うん、それは心理的なもので、物理的ではない」
美結ちゃんが鋭い目つきでお目付け役くんを眺める。
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