第26話

 こんな朝早くから現場にいたからと言って、密室の問題が解決するわけではない。それに、能力の問題が一番大きい。いや、そんな泣き言をいっていても仕方ない。

「緒沢くんは?密室の問題になにか考えはないの?」

「密室っすか。できないもんはできないっす。できたってことはできたってことっす」

「自分がいってることわかってる?」

「わかってるっすよ。密室から出られないなら、出てないか、密室じゃなかったかってことっす」

「うん、わたしにもわかる。それで?」

「それだけっす」

 この役立たず。

 でも、密室じゃなかったか。実験室は基本的に密室だから、密室じゃない瞬間があったと考えるべきか。大切なのはそこから先だ。具体的にどうやったかがわからなくては意味がない。

 六時に警備員がイさんと話しているんだから、このあと誰かに刺されたってことだ。あるいは、自殺も考えた方がいいか。刺されたのは胸。警察のドラマなんかだと顔見知りの犯行ということになるけれど、そんなに簡単に決めていいものではない。知らない人間だと言うだけで殺人者に対するようには反応しないものだ。自宅でもないんだから。人が研究室にはいってきたとして、どうしました?なにか用ですか?と歩みよる、突然刺されるということだってある。特に、他人の研究室にいるのだし。でも、どうだろう。昨夜宿泊申請をしていたのはイさんだけだったのだろうか。その辺を確認していなかった。でもまあ、刺した方法や犯人は密室の解明に関係ないだろう。

 三十分して警備員がもう一度やってくるまえに犯人はイさんを刺して四階の研究室を出たのだ。で、イさんの研究室で実験室にナイフをいれる。ここが大事だ。

 いや、待てよ。刺されたのは本当に四階の研究室だろうか。警備員に注意されたのだ、自分の研究室にもどっていてもよさそうだ。自分の研究室で刺されたのなら実験室はすぐ目の前だ。たとえば、刺されたあと、どういう理由かわからないけれど、犯人が姿を消す。また犯人が襲ってくるかもしれない、凶器を実験室にいれてしまえと考えることはあり得る。自分以外に取りだせないのだから。うん。それでナイフを引き出しとロボットアームを使って実験室に落としたあと、四階の研究室に護堂さんをたずねる。なんかよさそうだけれど、全然ダメだ。ナイフを実験室にいれるくらいなら、自分が実験室に避難すればよい。逆に、もう一度四階にあがっているのはどういうわけだ。

 あー、もう。考えるのは苦手だっていってるのに。署長まで無理難題を押しつけてくれる。

 ナイフで刺されて気が動転していたのかもしれないな。うん。結果を見ればそう考えてもおかしくはない。それで、ナイフだけ実験室にいれて、自分は護堂さんのところにもどった。胸を刺されて四階までたどり着けるかな。内線で警備員を呼んだ方がいいんじゃないかな。ここでも冷静な判断はできなかったのかもしれない。あんまり都合よすぎかな。

 やっぱり四階で刺されたのかな。犯人がイさんを刺したあと研究室に行って、引き出しを引き抜いてナイフをシュッと投げ込めばいい。簡単便利。その場合、イさんの研究室を知っていないといけないから、被疑者が絞れるかもしれない。イさんを狙ったのなら研究室くらい知っていそうではある。でも、実験室にナイフを投げ込む理由はわからない。

 イさんの事件で考えられることは、今のところこんなものだろう。

 むづかしいのは護堂さんの事件。死体を使って掌紋認証する方法だ。

 サオリ先輩は死後硬直を利用できないかと言っていたけれど、硬直どころか掌紋認証のパネルのところで手を上げて降ろして、向きをかえ、歩き、台によじ登って、姿勢よくうつ伏せにならなければならない。首がない状態で。想像もしたくない。ともかく、それは死後硬直なんて甘っちょろいものではない。

 まるっきりゾンビだ。

 それに、そうだ。死後硬直は死後一時間から数時間の間にはじまる。掌紋認証がそのときまで可能かどうかという問題だってあるのだ。死後硬直のことは忘れよう。すくなくとも通常の死体現象などではないだろう。

 前提を疑うんだった。サオリ先輩が言っていた。つまり、首なし死体は手をあげないし、向きを変えないし、歩かないし、台に上がらないし、うつ伏せにならないということを全部疑うということだ。よーし、疑うぞー。

「緒沢くん」

「おわぁ」

「おわぁってなに」

「いやー、副所長が目を閉じて黙ってたから、眠っちゃったかと思ったっす。それが急に名前を呼んだからビックリしたんすよ」

「わたしは考えていたの。暗記が得意で考えるのが苦手なわたしが考えていたの。それを寝てるとか、まったく人をなんだと」

 あくびがでてしまった。

「目覚ましより早く起こされたから。眠いのは確かだけど、眠ってなかったから。その証拠に考えていたことを話してあげる」

「はあ」

「護堂さんの首なし死体が動いて掌紋認証したんだよ」

「はあ、やっぱり夢を」

「ちがうったら、覚醒状態で思考していたの」

「幽霊やめてゾンビ説っすか」

「愛音ちゃん、おいっすー」

「おいっすー」

 美結ちゃんが会議室に勢いよく入ってきた。おいっすーってなんすかという緒沢くんは無視する。

「どうしたの、美結ちゃん」

「うん、お父さんからね、また電話がきて。今日は早かったから家からまっすぐにこっちにきたんだ」

 大学の方は大丈夫なんだろうか。講義とか受け持っているはずだけれど。休講かな。でも、美結ちゃんならいつでもどこでも大歓迎だ。

「イさんが刺されたんでしょう?」

「うん」

「連続なのかな」

「まだわからないよ」

「まずはお茶だね」

「うん、お茶いれられる用意してあるね。昨日のままかも」

「じゃあ、わたしがマユミ先生直伝のお煎茶をいれますかね」

 マユミ先生か、懐かしい。中学時代は家庭科室で先生のいれてくれた煎茶をいただいたものだ。お煎茶の師範の免許をもっているくらいだから、煎茶といってもわたしがいれたのとは別物だった。

「マユミ先生直伝なんだ」

「そうだよー。家庭科室はいつも暇だからね。暇にまかせて教えてもらったんだ」

 そういいながらお茶の用意をしてくれる。まだ眠い朝に煎茶なんて最高じゃないか。飲んだらまた眠りたい。

 美結ちゃんがいれてくれたお煎茶を飲む。甘味がひきだされている。熱さ加減がたまらない。脳がしびれるようだ。マユミ先生がいれてくれた本格お煎茶を思い出した。

「はあ、おいしいよ美結ちゃん」

「でしょう。お母さんもよろこんで飲むよ」

 お目付け役くんは、もう飲み終わって涼しい顔をしている。味わうとかいうことを知らないらしい。お目付け役くんに飲ませるなんて、お茶がもったいないくらいだ。

「また密室がからんでるんだって」

「そうなの?」

「凶器と思われるナイフが実験室にあるのがわかってる」

「それって」

「ううん、ちがうみたい。特殊なナイフじゃないって」

「そう」

 美結ちゃんにおじさんから聞いた事件の話をした。

「ナイフだけならなんとでもなるかな」

「そうだね。大したことなさそう」

「そうだ、昨日お父さんに言ったんだよ、やったのお父さんでしょって」

「冗談じゃなかったんだ」

「半分冗談だけどね。でもアリバイあった。前の日は本社で会議があって、終わってから宴会、一泊して朝八時過ぎに駅についたって。荷物を置きに研究所に寄ったら、事件の第一報を知らされたんだって。お付きの人がいたから証言してくれるってさ」

「そっかー。じゃあ連続する事件でも、人件費削減のためじゃないってことだね」

「でもさ、そんなハッキリしたアリバイがあるなんて、逆に怪しいよね」

「もういいって、アリバイ崩しまで手に負えないよ」

「そうだね、ネタがつきたらね」

「いらないから、そんなの。それより、護堂さんの密室の問題だよ」

「難問だ」

「さっき考えはじめてたの。そしたら美結ちゃんがきちゃったんだ」

「あら、お邪魔だったかしら」

「ううん、一緒に考えて」

「どんなこと考えてたの?」

「えっとね、サオリ先輩方式。前提を疑おうとしてたんだよ。首なし死体が手をあげて掌紋認証しない、向きを変えない、台まで歩かない、台に上がらない、うつ伏せにならないってこと全部」

「それ、全部って言ってもひとつのことでしょ。ひとつの方法で全部を実現してたんだよ」

「うん?そう、そりゃそうだよ。手をあげるのはこの方法、つぎは別の方法で向きを変えてなんてことはないよね」

「なんかの仕掛けを体に取りつけてたってことかな」

「そうだ。それだよ」

 美結ちゃん賢い。美結ちゃんが一緒なら推理が進む。ゾンビっすかなんて言ってるどこかのアホとはちがう。

「でも、体には仕掛けなかったみたいっすけど」

 お目付け役くんはすぐに水を差す。すこし黙って聞いていられないのかね。

「ということは、取り外しが可能なんだ」

「ロボットスーツみたいな、取り外し可能なやつっすね」

「ロボットスーツって?」

 ロボットが着るためのスーツではないとは想像がつくけれど。モビルスーツとも関係ないだろう。

「介護現場なんかで使われてるっす。手足の力を補強してくれるんすよ」

「ああ、そういうのね。でも、あれって、人の動きがあって、それを助けてくれるんでしょ?首なし死体は動かないから。でも、この会社の人なら、リモコン操作できるように改造できそうか。それに、工夫すれば実験室のロボットアームと引き出しを使って外に取り出せるかもね」

「そ、そっすよ。きっとそれっす」

「なるほどね、そんなのが回収できるかどうか知らないけど」

 美結ちゃんは顎に人差し指をあてて考えている。かわいい。

「緒沢くんのアイデアだと思うと納得いかないけど、方向としてはあってるって気がする」

「そうだね」

 まだ上の空。

「ああ!」

「どうした、愛音ちゃん」

「護堂さんたちがつくってたデバイスだ。頭と体を切り離すんでしょ?あれをふたつ使えば、犯人が頭から命令をだして首なし死体に送れるよ!」

 すごい!ヒラメキ。パッときて、口がシャベった。自分で驚いてしまう。

「残念ながら、事件のときはまだデバイス完成してなかったんだよ。正体不明のノイズがのっちゃってまともに動かなかったの。忘れちゃった?」

「がくっ、忘れっぽい美結ちゃんに指摘されるなんて。不覚だ」

「失礼な。わたしだって、忘れやすいことと、忘れにくいことがあるの」

「すごくいいアイデアだと思うんだけどな。タイムマシンはまだできてない?」

「残念ながらデバイスが完成した未来からは事件のあった時間にもどれないと思うよ」

「だよね。イさんがウソついてたってのは?」

「本当はデバイスが完成していたってことだね?可能性はあるけど、そのイさんが刺されちゃったからね。なさそうかな」

「研究所にロボットスーツない?」

「それは知らないけど、ないんじゃないかな。この会社はアンドロイドを作ってるから、ロボットスーツなんて、敵だよ」

「じゃあ、ほかのなにかだね。うーん。もうダメ。これ以上思いつかないよ」

「ちょっと散歩でもしたらいいかも」

「緒沢くん、そういうわけで哲学の散歩に行ってくるから」

「なにかあったらケータイ鳴らすっす」

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