第25話

『はあ、刺されたっす』

 お目付け役くんの間抜けな声が電話を通って聞こえるてくる。なんと緊張感のない声だ。どこかでバカンスでも楽しんでいる最中なんじゃないだろうか。わたしを叩き起こしておいて自分はバカンスを継続する気なのかもしれない。

「いまどこにいるの」

『署からかけてるっす』

 ショなんていう、そんなリゾート地があったっけ。津なら知ってるけど。湘南のことかな。若者はショっていうのかもしれない。リゾートといっても大したことなかった。国内じゃないか。

『とにかく車をまわすっす』

「なに、バカンスはいいの?」

『バカンスってなんす?』

「冗談を言ってるんじゃないよ」

『誰がっすか。そんなこと言ってる場合じゃないっすよ』

 バカンスは切り上げて迎えの車をまわすらしい。なかなかいい心がけだ。わたしも起きなければなるまい。

「何分かかる?」

『五分す』

「歩いてもかわらないじゃない」

 まあ、湘南からくるなら早いけど。

『これから駐車場まで行って、』

 お目付け役くんの話なんて聞いている場合じゃない。イさんが刺されたのだ。

 ベッドから飛び出して乱暴に歯を磨いて着替えにとりかかる。ブラシとゴムはショルダーバッグにつっこんだ。ミネラルウォーターをコップに半分飲んで靴をはく。インターホンが鳴った。鍵を開けてドアを押す。

「おわっと。早いっすね、副署長。パジャマ姿を拝めるかと」

 背中で邪魔なお目付け役くんを押しながら、ヒールで足を踏んだ。鍵をかけて階段を降りる。玄関に車が横付けされている。わたしが助手席に乗り込んだあと、すぐにお目付け役くんが運転席におさまった。

「で、まずどっちいくっすか」

 警察手帳を差し出している。

 受け取って確認する。うん、例の警察手帳だ。

「そこ出て右でしょ、道わからないの?」

 ブラシで髪をとかす。

「そうじゃないっす。病院と研究所、どっち先に行くっすか」

「病院って?」

 ゴムで髪をくくる。

「イさんが運び込まれた病院っす」

「えっ、まだ生きてるの?」

「まだって、ヒドイっす。命は助かりそうな話っすよ」

 頬に右拳。

「ひたいっす」

「死んでないなら死んでないって、はじめからいいなさい」

「いわなかったっすかね」

「言ってたら、わたしは殺人だって誤解しないでしょうが。連続殺人事件かもっていったでしょう」

「いったっすね。まだ死んでないのに殺人事件っていったらまずいっすね。でも、なんていうんすか」

「殺人事件と殺人未遂事件の連続」

「いいづらいっすね。そんなこといおうとしたら、副署長言い終わらないうちに電話切ってたっすよ、きっと」

「わたしが悪いの?」

「めっそうもないっす。それで、どっち行くっすか」

「ここで降りて寝直す」

「それはダメっす」

「病院行ってもなにもないでしょう。研究所に向かって」

「はいっす」

 はあ。ため息を連続三回。目をつむって、頭をヘッドレストにもたせかける。今日のはじまりは最悪だ。布団にもぐりこんでやり直したい。

 イさん。昨日話をした。首につけるデバイスを実演してくれた。死ななくてよかった。

 三日間同じ道を通って研究所へくることになってしまった。受付で警備員さんに副所長への面会を申し込んだ。佐藤さんは研究所にきていると言って、アポを取ってくれた。会議室へ出向いてくれるというから、カードで認証して会議室へ向かう。

 イさんが刺された。護堂さんを殺した犯人がやったのだろうか。この研究所でなにか邪悪なことが進行しているのだろうか。警察にとめることはできないのだろうか。わたしのような官僚は、仕組み作りが得意なのだ。いまのように現実に起きている事件を解決する能力なんてない。美結ちゃんとサオリ先輩の力を借りて、やっと護堂さん事件の密室解決の足がかりが得られたと思ったところなのに。

 イさんは被疑者の筆頭だった。刺されたとなれば、イさんを被疑者からはずさなければならないだろう。それとも、護堂さんの事件とは別の事件なのだろうか。いや、ひとつの研究所で独立した事件が日を置かずに発生するなんて都合のいいことはないだろう。

 うん?でも、密室問題の解決がわたしのミッションなのだ。イさんが刺されたからと言って、わたしがなにかしなくちゃいけないわけではない。お目付け役くんが朝っぱらから電話してくるから調子がくるってしまったけれど、わたしが現場にくる必要はなかったんじゃないか。

 おじさんが会議室にやってきた。

「やあ。朝早くから済まないね」

「なんといったらいいか」

「イさんは命がたすかるというから、そんなに気を落とすことはない」

「事件のこと聞いていたら教えてください」

 聞きたいわけではないけれど、礼儀をわきまえているのだ。

「わかっている範囲で話そう。昨夜は宿泊申請をしていた。例のデバイスのためだね。問題解決の方法が見つかり、イさんがひとりで完成させた。そう、事件の直前に完成したらしい。試験品だけどね。

 警備員の話だけれども。十一時に退所を促すために巡回するのはすでに知っているね?イさんは宿泊申請しているといい、仕事に熱中していた様子だ。そのあと、イさんの研究室には巡回していない。

 午前六時、イさんが別の研究室にいるのを巡回の警備員が見ている。護堂くんの脳のスキャンをして、いまコンピュータで動いている部屋だ。申請したのと別の部屋にいては困ると警備員が話しかけると、デバイスが完成したから護堂さんに報告しているのだと返事が返ってきた。脳のスキャンのことを知らない警備員はイさんの言っていることを理解していなかったわけだけど、自分の研究室にもどってくれと言って巡回をつづけた。

 巡回が終わって警備員室にもどるときに、気になってもう一度さっきの研究室に寄った。三十分くらいたっていたそうだ。それで、イさんが胸から血を出して倒れているのを発見した」

「今度は胸を刺した。首ではなかった。凶器はどんなものです?」

「それが、イさんの研究室にある実験室の中に、それらしきナイフが見つかっている。イさんが救急車で運ばれていったあとだったものだから、実験室の外から見ただけだ。例によって、業者が営業を開始して、技術者にきてもらわないと実験室にはいれない」

「今度は凶器が密室ですか」

 おじさんの話なんて聞くんじゃなかったかもしれない。嫌な予感がビンビンきている。髪が立っているんじゃないかという気がして手でなでる。

「そのナイフって、特殊なものですか?おっそろしく切れ味の鋭い、刃渡り二三十センチもあるような」

「いや、小型の普通のナイフだと思う。果物ナイフに毛が生えた程度のナマクラといっていい」

「そうですか。まえの凶器は処分してしまったのかもしれない。今度は急いでいたとか。それでありあわせのナイフで凶行に及んだか」

 護堂さんの事件が起きたばかりだから、準備期間が足りなかったのかもしれない。

「実験室の認証の記録は、業者がきてからですよね」

 おじさんがうなづく。

「われわれには触れない」

「また捜査員がきていろいろしているはずですが、協力をお願いします」

「もちろんだよ」

「おじ、佐藤さん、犯人に心当たりってないんですか」

「研究所といっても、軍事研究ではないからね。人を殺してでも手にしたい技術はここにはないはずだよ。護堂くんの研究も含めてね。あとはプライベートな問題が考えられるけど、それで人がふたりも事件に巻き込まれるというのは考えづらい。そうなると、もうお手上げだな」

「ですよね」

 事件の背景がわからない。不気味だ。

 おじさんに聞けることは聞いたから、お引き取り願った。

 署長に報告しておく。やっぱり電話で叩き起こされたのだろう。すでに出勤していた。また密室だと聞いて、わたしに解明しろと仰せになった。やっぱりね。

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