第24話

 脳のスキャンの作業が完了して、美結ちゃんはおじさんに引き継ぎをして帰るという。やっぱり昨日は研究室に泊まりだったらしい。わたしたちも警察署にもどることにした。

 捜査会議では、科捜研が送ってきた血液検査の結果報告があった。やはりなにも出なかった。イさんの事情聴取をした捜査員は、イさんの経歴を報告した。

 韓国出身。アメリカの大学で医学を修め、医師免許をとった。

 大学で脳科学を研究していた。

 アール・アンド・ディー社へ入社と同時に子会社である研究所にやってきた。アール・アンド・ディー社は脳とアンドロイドを組み合わせた技術で世界トップレベルなのだそうだ。

 おいしいものもいっぱいあり、この国をえらんでよかったといっている。韓国の料理は辛いのばっかりとグチをこぼしたそうだ。みんなが辛いものが好きだから、辛いものばかりなんだと思うけれど、中には変わった人もいるということだろう。納豆好きの関西人みたいなものか。

 護堂さんが自殺する原因になるようなことは思い当たらない。殺される理由も。

 ほかにめぼしい成果はない。いまのところ遺書は発見されていない。事件と自殺の両面から捜査は継続。

 捜査会議のあと、署長室で報告。もう二日連続だ。

 突破口が見つかったかもしれない。死亡してから掌紋認証ができなくなるまで一時間くらいの猶予があれば密室の謎を解ける。ただ条件があって、認証のために死体の手のひらをパネルにかざす方法が見つかれば、なのだ。署長はよろこびのあまり眉毛をあげ、落胆のあまり眉毛をさげた。わたしも同じ気持ちだ。幽霊問題が解決するから、人か首を実験室から出す方法がわからないといっていたときより少しマシかなくらいなものだ。あらたにゾンビ問題に取り組まなければならない。


 明日も研究所へ行くべきか。もう美結ちゃんもいないだろうし、見るべきものは見た気がするから、書類に目を通しながら苦手な考えを進めるべきか。そんなことを考えながら、五分ほど歩いて官舎へ帰宅した。

 副署長はなにごとかあればすぐに署に駆けつけることになっている。そのかわり、官舎へは優先的に入居させてもらえる。署のちかくに住めなければ義務を果たせないのだから当然だ。わたしの部屋はダイニングキッチンに、寝室と書斎という間どりだ。本来は夫婦で住む用の官舎なのだけれど、署に最も近いのだから、副署長に住まわせないわけにいかない。本当に困ったものだ。贅沢な部屋をひとりで安い家賃で借りてしまって、申し訳ないというのは本心ではないけれど、有効に活用させてもらっている。

 ダイニングに五十インチのプラズマテレビ。これはプラズマテレビの生産が終了するというニュースを知って、お父さんが慌てて購入した貴重なテレビだ。お父さんは自分のテレビが壊れたときのために予備で購入した。でも、ちっとも壊れない。わたしは眠らせておくのはもったいないと言って、家を出たときから預かってあげている。電気製品は使わないと傷んでしまうものだから、テレビのためにもいいはずだ。

 テレビは映画を観るために置いている。部屋をうす暗くして観る。シーンによっては暗い画面を再現する必要がある。液晶とちがってバックライトがないから、プラズマテレビは暗いシーンを暗く再生するのに有利だ。液晶では画面が白っぽくなってしまい、興冷めしてしまう。本当にお父さんはいい買い物をした。

 映画は音も大切だ。サラウンドのオーディオシステムも完備している。ただ残念なのは、夜大音響で鳴らすことができないことだ。一戸建てならたいして迷惑にならないかもしれないけれど、官舎にはおとなりさんが、下の階の住人がひっそりと暮らしている。いくら住人たちが署の人間で、わたしが副署長で偉いと言っても、夜に映画を大音響で観たいなんてワガママは許されない。わたしは自分にそんなことを許していない。残念だ。夜はオーディオシステムを通さず、テレビのスピーカーから遠慮がちに音を出すことにしている。

 わたしの両親は映画とかドラマとかアニメとかが大好きだ。両親が古い時代のそういったものを好きで、わたしはその影響を受けて育った。両親にとって古いのだから、わたしにとっては歴史上の作品といっていい。源氏物語とか、徒然草と同列で、チャップリンとか、ヒッチコックとか、オードリー・ヘップバーンとか、ブルース・リーとかの作品があるし、夏目漱石とか、森鴎外と同列で、トップガン、バック・トゥ・ザ・フューチャー、インディー・ジョーンズがある。村上春樹くらいになると、ハリー・ポッターとかパイレーツ・オブ・カリビアンくらいだろう。おっと、ターミネーターはどのあたりだとか聞かないでもらいたい、適当に言っているだけなのだから。どれも歴史を感じさせるといいたいのだ。

 今日はセブンを観る。ブラッド・ピットの出世作だ。密室殺人の映画は観た記憶がない。あれば観なおしておきたいけれど。密室殺人は映画向きではないのだろう、小説では山盛りあると思うけれど。

 ラストシーン。愛する人を失うショックとはどれほど大きいものだろう。映画の中の話なのに大きなショックを受けてしまう。それに比べて現実は。知らない人とはいえ、実際に人が死んでいるというのに、淡々と捜査して、亡くなった人のことを鍵としか思っていない。護堂さんの家族が悲しむところを目撃していたら、またちがった感情をもったのかもしれない。感情移入の問題なのだろう。映画でブラッド・ピットに感情移入しているから、彼がショックを受ける状況に追い込まれ、そういう演技をすることで、わたしもショックを受ける。護堂さんのように、死んだ当人にまったく悲壮感が感じられないようでは感情移入できず、悲しくなくてもしかたないことかもしれない。

 たとえばもし、美結ちゃんが殺されてしまったら。

 考えただけで、ぞくりと背筋が寒くなる。心臓がざらざらする。頭の中が熱い。そんなこと絶対にあってはいけない。誰にもさせてはいけない。犯人を殺すくらいではまったく足りない。美結ちゃんが殺されたのに、世界が存在していいはずがない。どんなことでも贖えない。すべて消え去るべきだ。

 風呂に入って気分を落ち着け、布団にもぐりこむ。明日は密室の謎が解けて、明後日には休めるといいな。


 わたしのささやかな希望は、目覚ましが鳴る前に打ち砕かれた。現実は厳しい。電話の向こうから、悪魔が事件だと伝えてくる。しかも、またアール・アンド・ディー研究所で事件だという。もう勘弁してほしい。呪われているのではないだろうか。やっぱり犯人は幽霊なのだ。

『しっかりしてほしっす、副署長』

 誰かと思えばお目付け役くんであったか。

「事件なら緒沢くんに任せるから、よきにはからってよ」

『いいんすか、研究所でまた事件なんすよ?連続殺人事件かもしれないっす』

「そんなのは映画か小説でしか起こらないの。現実で聞いたことある?まあ、あるけど。そんなことは知ったこっちゃないの。わたしが生まれ育った町でそんなことはありえないっていいたいわけ」

『副署長のいいたいことはわかったっす。すぐにお迎えにあがっるっすよ』

「はあ?ばっかじゃないの。そんなこといってないでしょうが。わたしはね、まだ起きたくないの。目覚ましが鳴るまでは起きないことにしてるの」

『じゃあ、設定時間をくるっと変更して鳴らしてほしっす』

「そういうことをいってるんじゃないの。まったく、ああいえばこういう。屁理屈ばっかりこねくりまわして、最近の若いもんは」

『副署長とあまりかわらないはずっす』

「ほらね?それが屁理屈だっていうの。わたしが急いで現場に行ったってなんの役にも立たないどころか、ただの邪魔ものにしかならないってことがわからないかな」

『わかるっす』

「失敬な」

『どうすればいいんすか』

「だから、果報は寝て待て」

『もういいっす。とにかくそっち行って、叩き起こすっす』

「ヘンなことしたら警察呼ぶよ」

『おれ、警察っす』

「わたしの署から犯罪者をだすとは、無念だ。でも、容赦しないよ。身内に甘いなんて批判されちゃうんだから」

『助手のイさんが刺されたっていうのに、戯言はあとにしろっす』

「イさんが?刺された?」

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