第23話

 美結ちゃんとはカード認証をしてドアをはいったところで別れ、とりあえず会議室にもどってきた。会議室にはお目付け役くんがいて、机に突っ伏して眠っている。いい気なものだ。

「帰ろうか」

「ふぁ?」

 お目付け役くんが蝶になっているあいだにいれたお茶をずずっとすする。まあまあの味だ。

「あ、いただきます」

 脇においたお茶椀をつかんでお目付け役くんは飲み干した。喉が渇いていたらしい。

「会議はどうなったっすか?」

 うまいとかなんとか感想の一言もあっていいと思うのだけれど。わたしがいれてあげたお茶のありがたみがわかっていないらしい。

「うん、一歩前進。でも道のりは思ったより遠いことがわかった」

「そっすか、でも大丈夫っすよ。ガンバるしかないっす」

 なにひとつ理解していないはずなのに、そんなことは無視でこんなセリフを吐ける神経の図太さがすごい。厚かましいことに、わたしを励ましているのだから、恐れ入ってしまう。

 もう起きた、大丈夫というから、お目付け役くんの運転で署にもどることにした。捜査会議までに未処理の書類を片付けたい。わたしのところにまわってくる書類はたいてい署長決済案件だから、署長もわたしが書類を処理するのを待っている。署長にやさしいわたし。

「あら副署長、お早いお帰りでしたね」

「能力の限界を超えて考えたからね、今日はもう無理」

「どこでなにをしてきたんです?」

「研究所の現場とか、休憩スペースとか、喫茶店とか」

「休んでるじゃないですか」

「休んでないんだよ、これが。お菓子にサイダーで、休んでるようにしか見えないのに、数学者とアンドロイド研究者を相手に推理合戦なんだから」

「うへえ」

 ヒトミちゃんも割と表情豊かだ。

「それで、まだ続くんですか」

「そうだね、一歩前進二歩後退って感じ」

「うしろさがってますよね」

「まちがった、三歩前進だった。でも、そんな実感はないんだけどね」

「お茶いれましょうか?」

「いや、脳みそがコーヒーを欲してるみたいだから、自分でやります」

「お大事に」

 憐みの目で見られてしまった。


 コーヒーを抱きかかえるようにして書類をチェックし、あらかた片付いたと一息ついたところで、美結ちゃんから呼び出し。お昼まで一緒だったのに、なにか話を忘れていたとかあるのかな。美結ちゃんと少しでも一緒にいられるのはうれしいから、もちろんオッケーだ。捜査会議は夜だし、時間に余裕がある。お目付け役くんを呼びつけて運転手を申し付けた。

 研究所にもどって玄関で待ちかまえていた美結ちゃんのあとをついて歩いたら、脳のスキャンをしている研究室についた。もう白い機械は運転をやめ、コンピューターがデータの処理をするのみだ。昨日の説明でわかったのはそんなところ。

「わたしの研究成果を見てもらおうかと思ってね」

 美結ちゃんはデスクのパソコンを操作している。

「脳スキャンの処理が終わったんだ。護堂さんと話ができるの?」

「いぐざくとりぃ」

「すごい。美結ちゃんが研究するまでは何年もかかってたことなんでしょう?二日かからないでできるようになっちゃったんだ」

「まあね。わたしだけの手柄じゃないけど。装置に使っている機械を開発した人たちがいて、やっと完成するんだから。ハードやソフトだって進歩してるし」

 美結ちゃんが見つめているディスプレイに文字がさーっと流れてゆく。見つめる意味あるのかな。いくらなんでもなにが表示されているかわからないだろう。ときどき流れがぎこちなくなる。あ、とまった。

「はい、こっち」

 指さしたのは、窓の前のパソコンラックにのった別のディスプレイ。窓を開け閉めするには邪魔だけれど、頻繁に開け閉めするわけではないから問題ないのだろう。ディスプレイには緑色のツインテールをした女の子の三次元キャラクターが表示されている。微妙に首がゆれて、あわせてツインテールもゆれる。まばたきまでする。背景はお花畑。

「ミクちゃんす」

 お目付け役くんはあのキャラクターを知っているらしい。美結ちゃんとまぎらわしいから名前を呼ばないでもらいたい。

「護堂さん、もと佐藤です」

「副所長の」

 声も女の子らしい声をしている。美結ちゃんはディスプレイに向かって手を振っている。画面から反応はない。

「なんだこの声は」

「あ、趣味です。体は一箇月くらいかかるんですよ。それまではミクちゃんの声でお願いします」

「最悪だ」

「まあまあ。ご自分の状況わかってるんでしょう?」

「脳のスキャンだな」

「いぇす、うぃきゃん」

「冗談はいらない」

「すみません」

「ぼくの研究はどうなったかな」

「助手ちゃんが今夜泊りがけで仕上げるっていってましたよ」

「そうか、よかった」

「あとで呼んであげます」

「うん、頼む」

「警察の副署長さまが一緒にいるんですけど」

「警察?副署長なんて偉い人が、事情聴取か?」

「美結ちゃん、ちょっと説明して」

「えっとね、脳はコンピューターに移植してるの。まだ本番じゃないから、複数のコンピュータで受け持ちの部分だけ処理させてるんだけどね。

 ディスプレイの上に黒い四角いのが置いてあるでしょ?フックで引っかけてあるだけなんだけど。あそこにマイクとスピーカーがくっついていて、音声を変換して脳のコンピューターに送ってるの。

 あと、手足とか体への命令は無視するんだけど、体からの感覚の信号がこないと頭おかしくなっちゃうのね?だから、適当な間隔で適当な刺激信号を発生させてシミュレーターに送ってる。護堂さんには心があらわれるようなキレイな風景が見えてるんだよ。ときどき爽やかな風がそよと吹くし、快適なはず。顔の部分の筋肉への命令は三次元キャラの動きに反映されてるんだ」

 カメラはついていないらしい。ということは、さっき手を振ったのはあのキャラに見えていなかったのだ。おちゃめな美結ちゃん。

「マイクで話声が聞こえてるってこと?」

「うん、そゆこと」

「護堂さんは死んじゃったけど、生きてたときの護堂さんと話ができるんだね?」

「それも、そゆこと」

 声と姿は中年男性とはかけ離れているけれど。でも、被害者から話が聞ければ、手っ取り早い。心霊現象を利用しなくてもそんなことができるなんて、便利だ。

「護堂さん、ご自分が亡くなったときのこと覚えてますか?」

「まったく覚えていない」

「ダメじゃん」

 美結ちゃんに視線を投げる。にこっと返された。

「残念ながら、短期記憶はスキャンしても取得できないんだ」

「ダメなの?」

「犯人のことは覚えてないっていったでしょ?あれが短期記憶が取得できないってこと」

「ああ、このことだったのか」

「記憶には種類があってね?たとえば、昨日なにしたかっていう記憶はエピソード記憶っていう種類の記憶なんだけど、これは長期記憶っていうものでもある。長期記憶の中のエピソード記憶っていったほうがわかりやすいね。長期記憶になるまえには一度短期記憶っていう種類の記憶として保存されるんだけど、これは脳震盪で記憶が飛んだりするように、不安定な記憶なんだ。つまり、神経細胞の接続とか、接続の強さとか、そういった安定したもので実現されてはいない。それで、脳のスキャンでは短期記憶を取得できないってこと」

「ということは、亡くなる少し前から記憶がないってことなんだ」

「うん、一時間か二時間か、そのくらい」

 ちぇっ。だったら特に用はないか。

「殺されるような心当たりはないんですか」

「ぼくは普通の研究者だからね。すごく優秀ってこともないし、すごいものを開発しちゃったわけでもない。ぼくを殺して喜ぶ人なんていないんじゃないかな」

「やっぱり人件費が浮くくらいか」

「え?」

「いえ、こっちの話です」

 マイクの性能がいいみたい。

「なにか悩みはないんですか?」

「悩み?肩こりに悩んでいたけど、いまは痛くない」

 肩ないから。死んだというのに、全く悲壮感がない。調子がくるってしまう。こんなトボケた人が死んだのを捜査するのに思い悩んでいたのがバカらしい。やっぱり殺人かな。イさんにダマされて殺されちゃったのかな。イさん、そんな人じゃない気がするけれど。

「美結ちゃん、肩こりの痛み発生させられないの?」

「愛音ちゃんもワルだね。でも残念、データがないよ」

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