第11話
白いボディの大きな機械が動作している。
正面にのぞき窓がついていて、動作しているところが見られる。機械の中は真空にしているらしい。カンナみたいなものでキューブ状の物体を上から薄く削る。電子顕微鏡カメラが、削るのと同時進行でキューブの表面をスキャン撮影する。
脳のスキャンをする機械だ。
脳はやわらかい、それに下が平らではない。直接台に置くことができない。それで、キューブ型の樹脂に埋め込んである。
シュッシュッと、キューブがどんどん削られてゆく。数ミリ角で同じことをしていたころとくらべたら、すごい進歩だろう。十年くらいかかっていたものが、明日のうちに終わる見込みだというのだ、未来はすごい。
必要なデータは神経細胞同士がどうつながっているか、接続するシナプスの数と接続の強さ、神経細胞の種類といったものだ。神経細胞は種類によってはたらきがちがう。使われる神経伝達物質、受容体の種類が神経細胞の種類に依存する。
電子顕微鏡で撮影した画像データをためながら、神経細胞の境界、シナプスを検出し、不要なデータは削ってゆく。
画像データ取得が終わると、三次元的にデータを解析する処理がはじまる。これは大変らしい。ひとつの神経細胞が伸ばす樹状突起と軸索を何枚もの画像をしらべて追わなければならない。しかも、複数の細胞を並行して調べるということができない。脳というのは、神経細胞がからみあったスパゲティを丸めて詰め込んだようなものだからだ。つまり、細胞ごとに追いかけるべき画像がバラバラということ。脳の部位ごとに分散して処理を進めることはできるのだけれど、神経細胞が一千億もあるというのだから、気が太陽系を突破するくらい遠くなってしまう。シナプスの数は神経細胞の総数の七千倍にもなる。
こんな説明を受けても、大変なんだねという感想が浮かぶだけで、あまり理解できたとはいえない。美結ちゃんはどれだけ遠くまで旅をしているんだ。
お目付け役くんは、本当にご飯食べたのって信じられないくらいすぐに会議室にもどってきた。たしかに食べたらしかった。だって、さっきまで半分死んでいたのに、元気いっぱい、肌のツヤもよくなっていたのだから。
美結ちゃんはお目付け役くんがもどってくるのを待っていたみたい。お目付け役くんの顔を見てすぐわたしに言った言葉は、脳のスキャン見る?だった。それで、脳のスキャンをしている研究室へやってきたのだ。お目付け役くんはもちろん会議室でお留守番中。
「どう?愛音ちゃん。すごい機械でしょ。未来感じちゃう?」
「なんというか、工場に置いてありそう」
「がくっ。しどいよ。こんなハイテク機械を捕まえて。振動だってしないし、音だってしないし、工場なんてガッタンコーン、バッタンコーン、ガガガガッガアだよ?」
「工場知らないけど」
でも、機械の大きさは家電ではありえないくらい巨大だ。のぞき窓から中をのぞく。
「あんな四角く樹脂で固められてると、脳っていわれてもあまり気持ち悪くなくていいよね」
「でっしょう。あれはね、工夫したところ。昔は同じことするのにすっごい時間かかってたんだよ。しかも脳丸ごとやらなくちゃいけなかったし」
「削ったあとのがとなりに積み重なってるのもいいよ」
「うん、終わったら箱に詰めて棺に入れるんだ」
「体と一緒に火葬するんだね」
「そう。頭蓋骨の中はからっぽのまま」
「切ったところはふさいであるんでしょ?」
「もちろん、切った頭蓋骨はもとどおり接着して、頭皮は縫い合わせて髪の毛で縫い目を隠してあるよ?」
「なら安心だ」
「お葬式にきた人がひっくり返っちゃうからね、頭蓋骨切ったままだったら」
「うん」
あまり聞きたくない話だ。脳を取り出す話はしてほしくない。
「あのカンナみたいのは、切れ味よくないといけないんでしょう?途中で交換したりするの?」
「よくぞ聞いてくれました。あの刃はねダイヤモンドナイフっていって、最高の切れ味をほこる逸品なのだよ。さっき言った、脳を固める技術を改良したおかげで、脳丸ごとを削ることになったでしょ?ダイヤモンドナイフも合わせてながーくしたんだ。あとは機械がやってくれるから楽チン楽チンだよ。はっはっはっは」
美結ちゃんは、目に見えない大型扇子でばっさばっさとあおいでいる。
「なんだか料理にも使えそうだね」
「食品を超薄切りにするの?」
「チョコなんて薄切りにしたらすっごいなめらかな口解けになりそうだよ」
「なるほど、こんど試してみようか」
「わたしはいらないからね?」
「なんでー」
「嫌だよ、脳みそ切った機械で切ったチョコなんて」
「そりゃそうか」
イカそうめんつくったらどうだろう。髪の毛食べてるみたいでおいしくないかな。
「それで、データはどうなるの?」
「この機械はネットワークにつながってるんだ。スキャンしたデータをネットワーク越しにこっちのコンピュータにいれる。同じネットワーク内に脳の部分の分担を割り振った処理用コンピュータがあるから、その子たちがデータ格納用コンピュータにアクセスして自分の受け持ちのところの神経細胞のつながりぐあいを調べてくれるんだよ。各処理用コンピュータはちょっとまえのスーパーコンピュータ並みの性能があるんだ。神経細胞の三次元的な位置とか、軸索の長さとか、そういう属性は、ここの処理でなくなっちゃう。データ量はぐぐぐっと少なくなるよ?そのあとさらにアンドロイドにいれられるデータ形式に変換する。
ちなみに、脳スキャンのネットワークはほかのネットワークとは接続してない。セキュリティの問題があるからね」
「何段階にも処理するんだね」
「ホントにね、メンドクサイこと限りなしだよ」
「ところで、この作業って美結ちゃんひとりでやるの?」
「そうだよ?といっても機械が動き出せばあとは自動化されてるから、ヘンな動きしないかぼけっと見てるくらいしかやることないんだけどね」
「ふーん」
「わたしは今日、これをやるためにお父さんに呼ばれたわけだよ」
「ノッポとチビの人は?」
「あの人たちはいまなんの研究やってるのか知らない。脳スキャンのプロジェクトで共同研究チームにいたんだけどね。たしかソフトウェア屋さんだよ。画像解析部分を担当してたんだと思う」
「データを減らすってところね?」
「たぶんね」
「助手の人と交代とかないの?見てるだけって言っても、ひとりでずっとじゃ大変でしょ」
「助手を雇うカネはないんだよ。司法解剖するカネがないのと同じようにね。学生は本来の研究で手が離せないし」
ふたり腕組みをして機械のまえに立ってシャベっていた。機械の説明は十分聞いたから、目の届くところにあるイスにふたりして移動する。
「最後はアンドロイドになるの?」
「うん。体も作りはじめるはず。体のデータとったからね」
「じゃあ、身長なんかは生きてるころと同じになるの?」
「そうだよ。のどとか鼻とか口とかも。だから声だって同じになるはずだよ」
「あらためてすごいね。銀河鉄道を旅しなくてもいいんだ」
「現実には、太陽系からでるほうがよっぽどむづかしかったね。体を作るのはこの会社の本業だから、目をつぶっててもできちゃんだ」
いや、目をつぶったりはしないだろうけど。
「もう何人も脳スキャンしてアンドロイドになってるの?」
「ううん。人間ははじめて。チンパンジーが一頭だけだよ、今のところ」
「そうなの?じゃあうまくいくかわからないんだ」
「厳密にはね」
「どういうこと?」
「だって、お母さんの研究があるから。なにが必要かはわかっていて、脳スキャンでそのデータが得られることがわかってるんだから、うまくいくんだよ。チンパンジーでだってうまくいったし」
「そういうものなの?」
「チンパンジーの赤ちゃんアンドロイドを作ったんだ。お母さんの研究のチンパンジー版だね。で、チンパンジーの脳スキャンをした。今度はその人間版をやればいいわけ」
「なるほどといっていいかわからないけど、美結ちゃんには自信があるってわけだ」
「もちろん」
「遺体はどこ行ったの?家族がひきとった?」
「うん。葬儀屋さん頼んで運ばれていったよ。首はお医者の先生に縫ってもらって、あとは葬儀屋さんが化粧でごまかすか、特殊メイクするかじゃないかな」
「通夜に葬式に、突然死なれるとドカンとやっかいごとが降ってきて、人が死んだというより、通夜と葬式しなくちゃいけなくなったっていうほうが大きい気がする」
「そうだね。死体がとっておければ落ち着くまで通夜と葬式を先送りできるだろうけどね」
「脳の樹脂加工みたいにしたらどう?」
「プラスティネーションというのがあるよ。でも、プラスティネーションしたら半永久的にとっておけるんだよ?なのに、すこししたら燃やしちゃうの?もったいないし、プラスティック燃やすのは、できるだけ少ないほうがいいよ」
「そうだね」
こんな話題だけれど、美結ちゃんと話して癒された。
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