第4話
研究室の電話が鳴って、実験室のドアを開けに業者がやってきたとの知らせが、おじさんにはいった。警備員さんのいる受付からだろう。
「例の指紋認証のドアが開くんすね」
「わたしたちも行ってみましょう」
「はいっす」
エレベーターで移動する。現場は一階らしい。
「愛音ちゃんの部下?」
「ちがうよ。ちがくないか。刑事課の人。連絡係の助手だって。本当は勝手なことしないようにって監視役なんだけどね」
「愛音ちゃん勝手に捜査して犯人見つけちゃうんだ」
「そんなことしたことないって。連絡係ってのも、おじさんが指名してきたからやってるだけで、いつもは書類を見たり、来客に対応したり、会議に出たりだよ」
「そうなんだ。じゃあ、いまは現場で燃えてるんだ」
いや、全然燃えていなかった。そうか、昔のわたしならこういうとき燃えていたのかもしれない。年かな。気力が衰えているのかな。嫌だな、まだ若いのに。
現場の実験室がある部屋の広さは、全体でさっきいた部屋の三個分くらいありそう。さっきの部屋とちがって建物の維持管理施設みたいなものはないから、ドアのところから広々と全体が見渡せる。ドアを入った正面が奥の壁まで研究スペースと実験のオペレーションスペースといったところらしい。左に通路が伸びていて、残りは実験室が占めている。実験室と研究スペースを隔てる壁は腰の下あたりから上がガラス張りになっている。照明に照らされた実験室の内部が丸見えだ。
研究スペースに面した実験室の壁に一辺を接するようにベッドのような金属製の台が設置されていて、その上に被害者が横たわっている。いや、被害者が横たわっているからベッドのようなと思ったに過ぎない。実験台と言われて思い浮かべるものだ。
被害者は、首の切り口を斜め四十五度でこちらに向けるように寝ている。
ごくり。
つばを飲み込む。被害者ではなく、今のは、わたしのゴクリだ。
見たくないといいつつ、見てしまった。
大量の血が首の切り口から実験台に流れ出て、いくらかは台の下まで滴り落ち、床に小さな血だまりをつくっている。首を切ったときには頭があったおかげだろう、ガラス壁に血が飛び散っているということがないだけ救われる。
寝ていると聞いて自然に仰向けを想像していたけれど、被害者はうつぶせの状態で横たわっている。見ていると仰向けにしてあげたくなるのは、どういう本能だろうか。手も足も自然に伸びている。特に苦しそうという印象があるわけではない。息の心配もしなくていいはずだけれど、息苦しさをつい感じてしまう。
首なし死体というけれど、首の途中で切ることになるから、首切り死体くらいのほうが妥当な表現のような気がする。しかも、ガラスの向こうで死んでいる首なし死体の首はけっこう長い。いや、首と言って頭部を表現しているんだなんてことは、指摘されなくてもわかっている。ただ、意外に長く残っている首を見て、ついというやつだ。
被害者はそんなに首が長かったのだろうか。
開けることができないというドアは通路側に設置されていて、便利のために研究スペース側によせてある。ドアの右の壁がそこだけ天井までコンクリートになっていて、パネルが埋め込まれている。指紋を読み取らせる装置だろう。実験室の中からも認証しないと開かない仕組みなのだという。ちょっと不便じゃないかと思ってしまうけれど、意図せずに開いてしまうことがないから、そのほうがいいということらしい。
パネルのついた装置のふたが開いていて、中にプラグの指し口やらなんやらがあるようだ。よく見えないし、どうせわからないから見たいとも思わない。
いま業者の人がパネルのついた装置から伸びたコードをノートパソコンに接続してパソコンを操作している。業者の人は作業着ではなく普通のスーツ姿だ。作業しづらくないのかなと心配になる。客が作業着の人間にきてほしくないとかクレームをつけるのかもしれない。メンドクサイ社会だ。
女性が手のひらをパネルにかざす。亡くなった研究者の助手をやっていたらしい。研究を引き継ぐことになったのだとか。
作業員がパソコンの操作をつづける。捜査員も美結ちゃんのお父さんも見守っている。
「ドアが開いたら誰がはいるとか決めてるんでしょうね」
「そりゃそうっすよ、現場保存す。鑑識がはいって、あの白衣の医者の先生がはいって、うちらはそのあとっす」
「それなら混乱がなくていいね」
「一応、捜査のプロっすから」
事件現場に姿を見せる医者というのは、ドラマのイメージからいくと変わり者のおじいさんなのだけれど、目の前の医者はせいぜい四十、たぶん三十代と思われる、高身長、引き締まった感じの体、なんというか医療ドラマの主人公的な人物だ。こんなところで死体を相手にして、大学病院とかで活躍しなくていいのだろうか。やっぱり変わり者なのかもしれない。
「さっきの上の部屋のやつはなんだったんすか」
「あれはコント。わたしが映画好きだから、美結ちゃんと話をしてると途中で突然劇っぽくコントをはじめちゃうの。昔からの癖みたいなものだね」
おじさんの横に移動して、実験室にはいる人間と順番を説明した。捜査が終わるまでは立ち入り禁止にする。
準備が整った。女性がもう一度パネルに手のひらをかざす。なめらかにドアがスライドする。
密室が、壊れた。
たいして感動的でもない。むしろ、大勢でドアが開くのに注目している図というのは間抜けだ。
ガラス張りで中が丸見えなのがよくない。ガラス張りでも、スモークが充満して実験室の中が見えない、ドアが開いて床をスモークがさあーっと流れる、中からなにが出てくるか、みたいなら映画のシーンっぽくてよかったのだけれど。
ドアは開けっぱなしにする。エレベーターのドアみたいなものだ。延長のボタンがついている。普段は自動で閉まる。
鑑識官が実験室にはいってゆく。犯人が隠れているということはなさそうだ。捜査員は業者の男の人を捕まえて取り調べをはじめるようだ。
生首を早く遺族に引き渡すために必要なことを最優先にして進めてほしいと捜査主任に依頼して、あとは現場の捜査員に任せる。おじさんが用意してくれた会議室に控えることにしよう。署長に研究所からの依頼内容を知らせておこうか。
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