第3話
こんなの不意打ちだ。全身に鳥肌がたった。
クーラーボックスのなかで冷やされているせいだろうか、上に向けてある顔の皮膚表面はふやけたように白っぽい。肌の下は青黒いようだ。死んだように血色が悪いというのは、こんな感じのことをいうのだろう。文学的表現から想像するものとはちがって、ずいぶんグロテスクだ。
偽物ではない。人間の死んだ生首だ。生首に生きてるとか、死んでるとかないかもしれないけれど。
目を閉じているから目が合うということはない。スーパーの魚売り場のようなことにならなくてよかった。
車の中で聞いた話では首が見つかっただとか、まだだとかは言っていなかった。順当にいけば、鍵のかかったガラスの小部屋で死んでいる体についていた首が、この首だろう。二人以上首を切られていなければの話だけれど。
この首のこと、捜査員たちは知っているのだろうか。知らなければ首を探しているにちがいない。
「発見したとき、この容器にこの状態だったんだ」
「え?」
美結ちゃんのお父さんがクーラーボックスを開けてからずっと話をしていたみたいだ。ほどんど聞いていなかった。
「すみません、もう一度お願いします」
「ふたりが発見したとき、この容器にこの状態だった」
いま、クーラーボックスのふたは閉じている。あたたまってしまうからだろうけど、ありがたい。
「ああ、なるほど。この首は、ガラス張りの小部屋で亡くなっているという人」
「そうだろうね。なんというのか、ややこしいんだけど。首の主は護堂くんと言う。ふたりが出勤してきてクーラーボックスを発見した。護堂くんには助手がいて、一緒に研究していたんだが、事情があって今日は出勤時間が遅くなる予定だったらしいんだ。でも、こんなことがあったからね、連絡をとって出勤してもらった。それで、護堂くんの研究室の実験室に首なしの体があることも判明したんだ。体もおそらく護堂くんだろうね」
研究は助手と二人で進めていたということか。護堂さんが休みのときは助手が進めるというのではなく、一緒に休みにする。それで、ひとりしか指紋を登録していない、ということかな。
「なんでこんな風に?心当たりは?」
「脳のスキャンのためだろう」
「脳のスキャン?」
「そう。美結が開発した」
「美結ちゃんが」
ということは、共同研究したというのが脳のスキャンなのだろう。
「亡くなった人の脳を取り出してスキャンにかける。コンピュータに脳を丸ごと取り込むんだ。脳と同じように動くよ」
おじさんが見つめてくる。了解した。
現実にそんなことができるようになっていたとは驚きだ。映画の世界みたいじゃないか。美結ちゃん、どれだけ遠くまで行っちゃったんだろう。
「それで、犯人は脳のスキャンを求めているってことですか?」
「いや、被害者が脳のスキャンを望んでいたんだ」
「ということはこの犯人、そのことを知っていて、親切にも殺しておいて脳のスキャンをしやすいようにしてくれたってことですか」
「首を切断しているってことなら、どういう理由かはわからない。だが、脳のスキャンに協力してやろうという意思はあったようだ。脳の神経細胞が死なないように低温で細胞の代謝を落としてくれている」
打ち合わせスペースのイスに席を占める。ノッポとチビは自分の席にもどっていった。
「それで、わたしにどうしろと」
「できるだけ早く脳のスキャンをはじめたい」
「というと?」
「脳のスキャンをするためには、脳を取り出して侵襲的に解析しなければならないんだ」
「シンシュー的?」
「超薄切りにする」
「ああ、元通りにならない、壊しちゃうってことですか。そうすると、まず検視官に見てもらうことが第一です。捜査員に話しました?」
「いや、まずは愛音ちゃんに知っていてもらいたかったから」
「クーラーボックスはどこにあったんですか?ここの床?」
背中を反らしてパーテーションの端からデコボココンビに顔を向ける。うなづいている。
「これから捜査員にきてもらいます。発見時のこととか捜査に必要なことを聞かれます。いいですね。それから、この部屋に鑑識官もきます。指紋を取ったり、遺留物をしらべます。ドラマなんかで見たことありますかね。床に掃除機かけたり鑑識官が這いつくばって調べたりします。終わるまでは部屋への立ち入りは禁止です。ここでの仕事はその間できませんけど、ご了承ください。それから、指紋の提出など協力してください」
おじさんがうなづいている。
「じゃあ、緒沢くん。首を発見したと知らせてきて」
元気の良い返事をのこして部屋をでていった。大丈夫かな。どっかでつまづいたりしないだろうか。迷子になって戻ってこられないなんてこともないだろうか。
「この頭部の持ち主の体はどうなってますか?」
「まだ実験室が開かないんだ。業者がきてくれることになってるんだけどね」
「あまり聞きたくないんですけど、それっていわゆる密室」
さっき車の中で聞いた限りではそんなことになりそうだった。
「愛音ちゃんは好きかと思ったけど」
「観客として鑑賞するなら、むしろ好きですけど。登場人物として謎の解明に挑むというのは、きっと嫌いだと思います。そんな状況に直面したことありませんけど」
「なに、副署長様なんだから、嫌いなことは現場の人間にまかせればいい」
「そうですね。いちど署に連絡します。署長がヤキモキしているといけないから」
「会議室を用意したから使ってほしい。電話もある」
「協力ありがとうございます」
やっと生首の箱から離れられると思うと、ほっとする。
イスを立つと、研究室のドアが開く音がした。小部屋の壁に隠れて姿は見えないけれど、お目付け役くんと捜査員だろう。早い。狭い通路を足音が近づいてくる。すれ違えないから、おじさんも一緒に通路手前で横によけて待つ。
「副所長、なんの用なの?気軽に呼び出されても、わたしの職場ここじゃないんだけど。一回電車に乗っちゃって引き返してきたんだから」
なんか急に文句いわれてる?はいってきたのは、もうわかっている。
「え?愛音ちゃん?」
美結ちゃんだ。
わかっていても心臓が反応した。
「美結ちゃん。告白したいことがあるなら、いますぐして。わたしを苦しめないで」
「愛音ちゃん、ごめんなさい。お気に入りのスカート、ファスナーを壊しちゃったのわたしなの。だってね、わたしがはいても似合うって思ったから。それでちょっと借りるつもりではいてみたら、ちょっとウエストがきつくて、ちょっと力いれてギュッとやったら、なんかバチッていっちゃったんだもん。あれはファスナーがすこしショボかったんじゃないかな」
「そんなことは聞いてないし、いつの話か知らないけど、あとでゆっくり聞かせてもらう。この頭部に覚えはないかってこと」
「頭部?」
おじさんがクーラーボックスを開けて美結ちゃんに中身を見せる。
「お父さん、まさかこれ愛音ちゃんに見せたの?」
うなづく。
美結ちゃんが抱きついてきた。
「ビックリしたでしょう。ごめんなさい。お父さん、研究者でもない人が生首なんて見慣れてないって気づかない人だから。許してあげて」
うん、本当は腰が抜けるほどの衝撃だった。でも、警察組織に所属するものとして衝撃を表に出すわけにはいかなかったのだ。美結ちゃんに抱きつきかえす。
「で、美結ちゃんがやったの?」
体を離す。
「愛音ちゃん。まさか、わたしがやったとでも疑っているのっ?」
「残念ながら」
「そんなっ!わたしが人を傷つけられないことは、愛音ちゃんだってよく知っているはずっ」
はっと、口を押える。
「そうだった。美結ちゃんにはとてもできないことだった。ごめんなさい。疑ったりして」
「ううん、いいの。だって、疑うことが愛音ちゃんのお仕事なんだもの。たとえ生まれたときからの大親友だからって、私情をはさんではいけないんだわっ」
「美結ちゃん」
「愛音ちゃん」
ふたり抱き合うの図。
ぞろぞろと鑑識官が部屋にはいってきて、狭い通路でつまっている。
「とても久しぶりだね」
「どうしよう。みんなのまえでこんなバカやって。これじゃ、わたしの威厳が地に落ちてしまう」
「大丈夫。愛音ちゃんには威厳なんてなくても、実力でやっていけるよ」
「うん、ガンバる」
「どうせ、いつかは地に落ちる運命だったんだし」
「ひどい」
「だって、わたしの親友だもの」
「美結ちゃんが必ずわたしの威厳を地に落とす運命だったってこと?」
「てへ?」
ほっぺをつねってやった。
久しぶりのコント。
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