第7話
「副署長、遺体引き渡していいそうっす。検視終わったんす。首を切られたのが死因らしっすよ」
お目付け役くんが休憩スペースの通路に顔を出した。
首を切られたのが死因って、殺されてから切られたんじゃないのか。うへー、マリー・アントワネットだ。たしかに実験室で流れ出ていた血は大量だった。心臓が止まってから切ったのでは、ああはならないだろう。
「もう引き渡しちゃうの?大丈夫?早すぎない?だって、司法解剖は?明らかに事件性あるでしょ?」
「ちょっと、愛音ちゃん」
美結ちゃんがテーブル越しに腕を引っ張る。離した手を口にもってゆく。ひそひそ話のときの声。なに?わたしなにかヘンなこといった?
「司法解剖はしてもらっては困るよ」
「なんで?」
わたしも声を落とす。
「司法解剖でどんなことするか知ってる?脳みそ取り出して切り刻んじゃうんだよ?そんなことしたらスキャンできなくなっちゃう」
「ウソ。じゃあ、研究所が圧力かけたってこと?」
「ちがうちがう。そうじゃないんだよ。圧力をかけるとしたら、愛音ちゃんを通してかけるでしょ?そうじゃなくて、これは日本の行政の闇の部分でもあるんだけどね。役に立たない解剖なんて行政はやりたくないんだよ。とにかく、おカネをだしたくない。だから、年間で決まった数しか解剖はしないの。つまり、しぶしぶ出す予算の範囲内ってことだけど」
「ドラマなんかだと、死体が発見されると司法解剖っていうけど」
「ある種洗脳だよね、あれは。死体が発見されたらちゃんと司法解剖しますよっていう。現実はちがうってこと。もともと事件性があっても検視で死因が特定できないときしか司法解剖しないし」
「検視って体の表面見るだけだよ?死因間違うかもしれないんじゃない?」
「そうだね。検視が絶対ってわけじゃないからね」
めずらしく真顔だ。
「殺人なのに事故とか自殺で片付けられちゃうかもしれないってこと?」
「いっぱいあるよね、きっと。ほら、自殺のわけないって家族が訴えても、警察がとりあってくれないなんて話聞かない?あ、ごめん」
「ううん。よく聞くよね。事件性ありでも司法解剖しないなんてことになると、死因が間違ってるかもしれないじゃない。死因が間違ってたら捜査なんてできないよ。なんでそんなことになってるの?」
「ヘタなテッポも数打ちゃ当たるって思ってるのかな」
「ひどい」
「冤罪のモトだよ。捜査する人だってたまったもんじゃないよね。国はね、国民の命のことなんて気にしないの。昔からずっとそうなんだよ。戦争のときの話よく聞くでしょ?国は国民のためにあるんじゃないみたい。国民が国のためにいるって考えてるんだよ。なにかあると国のために死ねっていわれる。いまでもすこしも変わらない。行政機構の内側にいる愛音ちゃんは洗脳されちゃって気づかないかもしれないけどね」
そんな。わたしが今まで知らなかったってことは、誰も騒がないのだろうか。こんな大問題なのに。
「大丈夫?ごめんね、愛音ちゃん。愛音ちゃんのお株を奪っちゃった。でも、今回の事件は首チョンパだから。死因がこれ以上ないくらいハッキリしてるから、解剖しなくても大丈夫なんだよ。わたしたちも助かるし」
美結ちゃんは平然としている。首チョンパなんて死因はないけど。基本分類では頸部の外傷性切断というんだったかな。
「それにほら、解剖しないと死因がわからないなんて言ったら、検視官の人怒っちゃうよ」
「いや、死因がわかるわからないじゃなくて、事件性があるかどうかで解剖を決めなくちゃダメってことなんでしょ?わかったっていう死因があやしいんだから」
「見ただけで事件性があるかどうかわかると思ってるの?甘いよ、愛音ちゃん。死んだ人は基本解剖にしないといけないの。本当は、見ただけで死因なんてわかるわけないんだから、医学的にはね。でも、行政的にはそうじゃない、検視官は間違わないってこと。アメリカのマネしたらいいと思うんだけど、アメリカより何十年も遅れてるし、もう景気悪くてマネする力もないんだろうね」
「そう、なんだ」
「検視官見てもないっすけどね」
ひそひそ話にはいってくるとは、無神経なお目付け役だ。
「見て、ないの?」
余計なことを言うなという目で美結ちゃんがお目付け役くんをジロリと見る。
「見てないっていうか、現場きてないっすよ。こんな遠くまで本部からやってきませんて」
「そういう問題なの?」
「検視システムで話して、そういうことでって感じっす。検視官足りないらしっすよ。変死体多いっすから、最近」
「それじゃ、死体検案書はどうなるの?」
「ああ、いつもの先生にお願いしてちゃちゃっと書いてもらったんすよね、きっと」
「いつもの先生にちゃちゃっとぉ?」
眉間に皺がよっているのはわかっている。いつもの先生というのは、掌紋認証のドアを開けたときにいた白衣の医者のことだろう。警察医というやつだ。警察が開業医に委託している。検視官と話したのもあの医者にちがいない。
「じゃ、そういうことで。あとは遺族の人と研究所の人で大丈夫だから。さあ、仕事だ」
美結ちゃんはわたしがなにかメンドウなことを言いださないうちにと思っているのだろう。肩をまわしながら階段へ向かっている。
「美結ちゃん、場所わかるの?」
「護堂さんの研究室でしょ?」
「そっす」
頭がくらくらしている。あまりショックが大きすぎたのだ。わたしは何も知らないんだ。美結ちゃんはあんなに詳しく知っていて、いろんなことを考えて自分の立ち位置を決めているというのに。わたしはなにやってるんだろ。
美結ちゃんがすわってた席に勝手にお目付け役くんがすわる。
「それで、殺人事件として捜査するってことになったんでしょ?」
「いや、自殺もっす」
「自殺?検視官が言ったの?あり得ないでしょ、自殺で首切り落とすなんて、しかも首だけクーラーボックスに入れて移動するなんて。首なし死体が自分の首いれたクーラーボックス肩にかついでエレベーター乗ったとでもいうわけ?」
「副署長、しっかりしてほしっす。道具を使って首を切り落として、協力者がそういうことをやったかもしれないじゃないっすか」
「あ、そういうこと。そういうことか。なるほどね」
いかんいかん。頭が働いていない。お目付け役くんにとがめられるなんて。さっき車の中で事故や自殺じゃないって言っていたのは覚えているけれど。
「抵抗したあとがないんすよ。念のため血液とって科捜研で調べるっすけど」
「血液は睡眠薬とか飲ませてないかってことね」
「そうっす、寝てる時なら抵抗しないのもうなづけるっす」
「でも、なにもでなければ自殺ってことになって、あとは現場を偽装した人がいるってことになる。軽犯罪法違反事件になるのか」
うんうんとお目付け役くんが首を縦に振っている。
「自殺だったら密室が解決したりするのかな」
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