第8話

 会議室からおじさんに内線電話をかけて、遺体引き渡しの件、美結ちゃんにも伝わって、脳のスキャンに取りかかると言っていた旨も伝えた。研究所からの要望は特にないとのこと。脳のスキャンができれば満足なのだろう。研究所にとってのわたしの役目は終わった。

 電話を終えて、パソコンのデータを更新した。お目付け役くんはひと回り御用聞きに旅立って、今はいない。ここには目を通さなければならない書類もなく、ひとりでゆったり過ごせる。

 美結ちゃんに会ったのは結婚式以来だ。ウェディングドレス姿きれいだったな。夫の顔なんて見たくなかったけれど。

 美結ちゃんはパーティーの途中で挨拶にきて、秘密を打ち明けてくれた。秘密があるのは素敵でしょなんて言っていたけれど、わたしは美結ちゃんの秘密なんて小学生のころから知っていた。そのことを知ったときの美結ちゃんの顔ったら、ああいうのをハトが豆鉄砲を食らったような顔というのだろう。秘密を教えたんだから、わたしの秘密も教えろなんて言って追いかけてきて、ウェディングドレス姿の美結ちゃんと追いかけっこになってしまった。わたしたちらしいといえば、らしいかもしれない。

 もっと素敵なこともあった。

 ファーストキス。

 思い出して顔がにやけてしまう。

 今はこんなノンビリしているけれど、その分警察署にもどってからいっぱい仕事をしなければならない。外からも警察のシステムにアクセスできれば便利なのだけれど、外部からのアクセスは遮断されている。なんとかいう仕組みで、外部からの接続を警察署のネットワーク内からの接続のようにできるんじゃなかったかと思うのだけれど。年寄りはテクノロジーに頭がついていかないから、誰かが提案しても却下されてしまうのだろう。不便だ。

 わたしは普段警察署の自分のデスクにへばりついているか、外に出るといったら、なにかの会合に署長の代理で出席するくらいのものだ。外部から警察のシステムにアクセスできるようになっても、恩恵を受けることはめったにないのだった。

 やることがないからといって、副署長が現場をうろちょろしたら捜査員はやりづらいだろうし、この会議室に閉じこもっていることしかできない。

 美結ちゃんに会いに行ってもジャマだろうし、なんといっても護堂さんの頭と一緒にいるのだろう、そんなところに行きたくはない。会いに行くのはやめておこう。


 そのうちにお目付け役くんが帰ってきて、捜査の進み具合を報告した。なにも問題なくスムーズにいっているようだ。研究所の中で発生した事件、研究者たちはお互い干渉しないで研究をしているようだし、捜査すべきことなどタカが知れている。問題は、初動捜査が終わったとき事件の目鼻がついているかだ。結局何もわかりませんでは、事件が暗礁にのりあげ、上陸し、しまいにはトンネルを抜けて雪国へ行ってしまう。

 いくら連絡役としてやってきたといっても、事件が解決しないのは副署長としても困ってしまう。なにが必要だろう。うん、わかりきっている。頭脳だ。捜査しても事件が解決しないということは頭脳が欠けているということなのだ。捜査してわかったことから真実を発見する。節穴ではなにも発見できるはずないのだから。優秀なビジネスマン風の捜査主任の手に余るとわかったとき、副署長でなくても誰でもいい、つぎの手を示さなければならない。どうしたらいいのだろう。本部?思い浮かぶ顔は頼りにできない。

 やっぱり。

 優秀な頭脳といえば、美結ちゃんだ。脳のスキャンが終わって大学にもどってしまう前に、美結ちゃんを事件に引っ張り込む。うん、わたしにできる最善策。

 ノックをして、まんまと美結ちゃんが会議室へやってきた。やることがなくて暇だとか言っていたのに、考え事をしていたら思いのほか時間が過ぎていた。まずは。

「もうお昼の時間終わってる。緒沢くん、大丈夫?お昼あとからでも」

「先どうぞっす」

 腹ごしらえだ。ふたりで会議室を出る。

「コンビニでお弁当買ってこようか」

「近くにコンビニあるの?」

「あるけど、スーパーもあるよ。どっちがいい?距離はかわらない」

「スーパーにするかな」

 カード認証して研究所の玄関にもどり、玄関とは反対側にあるドアから中庭に出る。中庭にはテニスコートとフットサルコートがある。いまも一組テニスをしている。事件があっても普段の生活を維持しているのだ。

 敷地境界のフェンスに金属ドアがついていて、外に出られる。出たところは細い道路で、渡ったら大型スーパーの出入り口正面だ。なかなか便利だ。と思ったら、そうでもなかった。いま出てきたフェンスのドアは中からしか開かないのだという。帰りはぐるっと遠回りをして、市役所前の通りから門を入って玄関にまわりこまないといけない。便利は半分だけだった。

 ヘルシー五穀米弁当というのを買って研究所の休憩スペースにもどった。休憩スペースには先客がいる。ポツンとひとりだけ。時間が遅いせいだ。こちらを向いてテーブルの席にすわってお弁当を食べている。美結ちゃんがテーブルをまわり込んで、先客の人のとなりの席に腰かける。

 えーと。誰?

 わたしたちと同じくらいの世代っぽい小柄な女性だけれど。美結ちゃんの知り合いかな?共同研究してた頃の。

「愛音ちゃん、会ってるはずだけど、警備員さんだよ?」

 テーブルの手前側、美結ちゃんの向かいの席にお弁当の袋を置く。こちらに笑顔を向けて会釈してきた。

「警備員さん?制服じゃないと雰囲気変わって全然わからないですね。私服になるとかわいらしいというか」

 オシャレだ。制服制帽姿に着替えるのがもったいない。

「いつもは警備員室でお弁当食べるんですけど、今日は警察の方が監視カメラの映像をチェックしていていっぱいだったので、リフレッシュコーナーにきたんです。そういうとき制服で食べちゃダメっていう規則なので、着替えてきました」

「そうなんですね。ご迷惑おかけします。それにしても、メンドーな規則ですね。警備員さんだってお弁当食べるの当たり前なのに」

 掌紋認証のドアの業者がスーツだったのと同じことだろう。くだらないことにクレームをつける人がいて、それを真に受けてしまうから住みにくい世の中になっている。

「そうだ。監視カメラの映像は、両方の自動ドアの映像をチェックする必要があるんですけど、両方チェックしてました?」

「はい。監視カメラの映像をチェックしたいということだったので、両方チェックしないとですねって言ったんです。警察の方たち、うんざりって顔してましたよ」

 事件捜査というのは地味な作業の連続だからうんざりしてしまうこともあるのだ。

 お弁当は細かくスペースが区切ってあって、それぞれにすこしづつおかずが盛り付けてある。そのうちの二つが五穀米と炊き込みご飯のスペースになっている。コメが足りない気がする。おやつにパンをひとつ買ってきたけれど足りないかもしれない。

 うん、食べ終わってみても腹八分目、ヘルシーな弁当だった。もしかしたら六分目くらいかもしれないけれど。

 食事中、首なし死体の話をするのは遠慮していたけれど、食べ終わってしまえば大丈夫。桜井さんは事件のことをあまり聞いていないというから、おおよそのところを話してしまった。自分の職場で首切りのうえに密室殺人が起こるとは思っていなかっただろう。口を手で覆って、驚きもあらわだった。

 話をして口の中が渇いてしまった。飲み物がほしい。カップのコーヒーはさっき飲んだから、食後はなにを飲もうか。休憩スペースにある自販機をひと巡りするために遠征する。炭酸で酸っぱいのかな。ん?アイス。休憩スペースの通路の中間、カップの自販機の向かいにアイスの自販機なんてものが置いてある。食事をしたテーブルからするとすぐ近くの柱の裏にあたる。研究者はアイスが好きなのかな。甘やかされているだけかな。警察も職員を甘やかしてもらいたいものだ。

 うん、アイスがいい。

 いまは業者の人がきていて、アイスを補充しているところだ。少し待っていればいいや。

「あ、すみません。アイスですよね」

「はい。待ってるんで、急がなくて大丈夫です」

「もうすぐ終わりますから」

 業者の人は作業にもどって、どんどんアイスを補充してゆく。開けられた扉のディスプレイをのぞきこんでどれにしようか考える。お、シャーベットか。ライムって、すっぱくてサッパリなやつだ。ライム・シャーベットにしてみようかな。

 自販機の扉をしめて、帽子を直し、どうぞと手で示して段ボールをもって去ってゆく。歩き出すとき、美結ちゃんのほうに会釈した。美結ちゃんと知り合いなのかな?共同研究のときとか?いや、桜井さんにちがいない。建物にはいるたびに受付で警備員の桜井さんが対応してくれるから、顔見知りなのだろう。

 桜井さんはお弁当を食べ終わったと言って警備員室にもどっていった。また制服に着替えないといけないと思うと同情する。

 わたしも署にもどったら制服に着替えるのか。

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