第9話
アイスの包みをはがして、カチカチのアイスに舌をつける。スッパつめたい!
「脳のスキャンはもういいの?」
「うん、大丈夫。機械がはたらいてくれてるから」
遺体引き渡しから三時間も経ってないと思うのに、想像もしたくない作業が終わってしまったのか、早い。そういえば、美結ちゃんはなんでも作業になると速いのだった。
「護堂さんの研究内容、聞いてきたよ」
「ありがとう。で、どんな研究だって?」
「頭と体を切り離す研究」
「うそっ、事件のまんまじゃない」
被害者の研究が事件と関係あるのかもしれない。
「といっても、本当に切り離すわけじゃないんだけどね」
「うん。つづけて」
わたしもアイスを舐めつづける。
「頭から命令が神経を流れて、体を動かす。逆に、体から感覚の情報が神経を流れて脳で感じる。これはいい?」
「うん。大丈夫だよ」
「体と脳をつなぐ神経は、全部首をとおってるでしょ?だから、首につけるデバイスなんだけど、神経を流れる信号を計測するの。リアルタイムで処理して、その信号を変化させちゃうわけ。すると、どうなると思う?」
「手を動かせって命令を足を動かせに変えちゃうってこと?で、足に感じた感触を手に感じたように思わせちゃうの?」
「うん、そうだね。もっと言っちゃうと、手を動かせっていう命令を奪っちゃって、体に命令を送らないってことをする。で、離れたところにあるロボットに送って、ロボットの手を動かす。ロボットがボールをつかんだら、その感触をデバイスを通して脳に送る。すると、自分がロボットになったみたいにできるでしょ?」
「すごい!そんなことできるの?それが頭と体を切り離すってことだ」
「うん。なんで神経を流れる信号をカットできちゃうのか、わたしにもわからないけど。つまり、神経細胞の内側と外側の電位差をコントロールできちゃうってことなんだね」
「そしたら、危険な作業はロボットでもうやってるかもしれないけど、本当に自分で作業するような感覚でロボットに作業させられるんだ」
「ロボットじゃなくてもできるよ。ふたりの人間でいれかえとか」
「げっ、それはどうなの」
「頭より上の感覚器官はヘッドマウントディスプレイとかヘッドホンとか、カメラとかマイクとか使うことにすれば、本当に他人の体にのりうつったみたいになるはずだよ」
「それをやる意味が分からない」
「ちょっと面白いかなくらいのことだね。メインは、ゲームへの応用みたい。ゲーム機メーカーと共同開発なんだって」
「それつけて、心臓はどうなるの?」
「忘れてた。心臓はね、自律神経っていう種類の神経つかって鼓動を速くとか遅くとか命令を出してるんだ。そういうのは変更しない。デバイスで変更するのは、筋肉と感覚器官につながる神経だけだよ。だから心臓は脳の命令通りに速くなったり遅くなったりする。首の中でどの辺を自律神経が通ってるとか決まってるからね、安全だよ」
「ふーん。神経を区別できるってことだ」
「はじめにデバイスをつけて指定された動きをするんだけどね。それで、小指を動かす命令の信号だとか、お尻がかゆいときの信号だとか、その神経の位置、信号の強さなんかを記録しておくんだ」
「かゆいのはどうするの?お尻を自分でくすぐるの?」
「いまのは冗談だから流してよかったのに」
「もう、わからない人に説明するのに冗談を折りこまないでよ」
「ごめんごめん。愛音ちゃんの顔を見ると、ついいたずら心が刺激されちゃって」
「でも、すごいね、デバイスってやつ。アンドロイドだけ研究してるんじゃないんだね」
「企業だから、カネになりそうな周辺技術も研究するんだね」
企業のことはわからない。科学のこともわからないけれど。
「美結ちゃんは?いまなに研究してるの?」
「本物の人工生命」
「なにそれ。マッドサイエンティストだ」
「そう、研究室の外はいつも真っ暗で雷がピカッて光ってるの。コウモリが飛んでて」
「倫理的にどうなの?」
「純粋に工学的に生物を設計して作るから、倫理的には問題ないと思う。宗教的には問題かもしれないけど。人間の細胞を材料にしたりはしないんだ」
「ふーん」
「使うのは人工細胞だよ」
「どのくらい研究進んでるの?」
「まだまだだよ。とりあえず、はじめの生物でゲノムの設計が終わろうとしてるところ」
「よく生命の設計図っていうよね」
「そう。メチャクチャ大変なんだよ。お手本にしようとする生き物のゲノムをまず調べて、どこをどういじったらどうなるか把握しなくちゃいけないんだから。そういうのは、お母さんが脳でやったようなことだから、いくらかノウハウはもってるんだけどね。
ゲノムの設計が終われば、ほとんど仕事は終わったようなものなんだ。人工細胞はすでにつくられてるからね。人工細胞を買ってきて、ゲノムを詰めた核と人工細胞の核を取り換えればいいはずだよ。
といっても、設計通りにゲノムを合成するのはむづかしいし、合成したあともゲノムは壊れやすいし、けっこういくつもハードルはあるよ」
「それをつくってどうするの?」
「うん、人工細胞でできたアンドロイドをつくるんだ。でも、段階を踏んでいかないとね」
「段階って?」
「簡単な生物から、それから、パーツだね」
「つくりやすいパーツからってこと?」
「アンドロイドに組み込みやすいパーツかな。皮膚とか、骨とか。そうなると栄養とか酸素とかを供給する仕組みも必要になるけどね。あまり簡単じゃない。一個の人工生物を作る方が簡単だね」
「アンドロイドに皮膚って言ったら、ターミネーターだ。それで、最後には、人間とかわらなくなるの?」
「全部を人工細胞でつくったら、ほとんどね。わたしには、アンドロイドとかわらなくなるイメージだけど」
「それって、スリーナインの逆だね。アニメもビックリだ」
「ベムみたいかな」
「そしたらさ、人間みたいに死んじゃうんじゃない?」
「死ぬだけじゃない、年をとるんだよ。娘さんが死んじゃってね、娘さんそっくりに作ったアンドロイドと暮らしてる人がいるんだ。娘さんはずっと年とらない、十年でも二十年でも中一のままなんだよ。お母さんの方はどんどん年とって、そのうち娘じゃなくておばあさんと孫みたいになっちゃうよね。人と暮らすなら人と同じように年をとったり、死んだりしたほうがいいんだよ。そのほうがアンドロイドだって幸せだよ、きっと。自分は死なないでまわりの人がどんどん死んでいっちゃうのは不幸じゃない?」
そうか。自分より先に死んじゃうんだなーなんて思うと、人と出会っても楽しくないのかもしれない。赤ちゃんを抱っこしても複雑な気分になっちゃうかも。
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