副署長は治療お断り

九乃カナ

第1話

 防具をつけた大男が目の前で竹刀を構えている。それだけで、かなりの圧迫感がある。こちらは息が切れるほど消耗しているというのに、余裕の構えだ。

 こめかみを汗がつたう。

 悔しいけど認めるしかない。

 パワー、スピード、スタミナ、すべてにおいて負けている。

 イラッとくる。

 ダメだ、冷静になれ。

 勝負に勝つには頭を使うんだ。

 男になんか負けるか。


 間合いを詰めてきた、速い。

 こちらから懐に飛び込む。

 竹刀を避けるようにスライディング。

 足をかけて体勢をくずしてやる。

 足がサッとよけた。

 立ち上がりざま振り返り、

 上段蹴

 あ。

 一足一刀の間合いをとって上段に振りかぶっていた。

 蹴りが止まる。

 読まれていた。

 竹刀は、

 間に合わない。

 思考の速さで体が動けばいいのに。



 冷たいシャワーを頭からかぶる。

 頭が痛い。首が痛い。肩が痛い。

 腹が立つ。

 自分が悪いのだということはわかっている。

 男に戦いを挑むこと自体が無謀なのに、

 なかでも署内最強の猛者に挑んだのだ、

 叩きのめされて当然。

 女は不利。

 しかも、垂をつけ、袴をはいていたら

 上段蹴りなんかできるわけなかった。

 愚かな。

 完敗だ。

 現実に凶悪犯はたいてい男だ。女だからといって手加減してはくれない。女であっても、男の凶悪犯を制圧しなければならない。できなければ殺される。それが剣道の試合とは違う現実だ。

 運がよいと言っていいのか、いままで凶悪犯と対峙したことはない。今後はなおのことないだろう。未来予測を受け入れてしまえば、無理に男相手に竹刀をふるう必要も、卑怯にも反則技を使う必要もない。

 でも、それではいけない。

 必要がなければ弱くていいなんてことは、わたしにはない。必要なんて関係ない。自分がどうありたいか、なのだ。弱くていいなんて思ってしまったら、わたしはわたしでいられなくなってしまう。中学時代、いや、中学時代から加速したというだけで、物心ついたときから、強迫観念のように強さをもとめてきた。いまさらやめることなど、

 できるわけがない。


 体が震えて、歯がかたかた音をたてている。

 シャワーを温水に切り替える。

 ああ、痺れるほどあたたかい。

 体の力が抜ける。

 ボディソープを使って体を洗いたいところだけれど、洗いすぎは肌に良くない。手でなでるようにして洗いガマンする。頭から温かいシャワーをかぶって、冷水でバサバサになった髪もなめらかになり、満足。

 美結ちゃんに相談してみようか。パワーとスピードを補うような装置が作れないだろうか。あるいはもう販売されていないだろうか。思考のスピードで体が動いたらすごい。きっといままでにない体験ができるだろう。わたしが求めているのはそういうことではないけれど。

 下着姿で髪にドライヤーをかける。

 いつも思うのだけれど、道場でシャワーを浴びて服を着ても、つぎに更衣室に直行して制服に着替えるのだから無駄が多い。下着姿で警察署の玄関を入っていくわけにもいかないから、道場に制服を置いておけば無駄が省けるはず。でも、そうすると帰りに道場に寄って制服を置かなければならない。制服なんてものがあるからいけないとも考えられる。

 今日のところはあきらめて更衣室で制服に着替えた。デスクへつき、コンピュータの電源をいれてパスワードを入力。ログイン処理中となる。画面をロックしたら席を立つ。

 給湯室ではヒトミちゃんが署長にお茶を用意しているところだ。事務職員は道場に用がないから、出勤して制服に着替えるだけでよい。不満を分かち合える仲ではない。

「おはようございます。業務がはじまってからにすればいいのに」

「あ、副署長。おはようございます。自分の分もいれるから大丈夫です」

「そう。女だからお茶いれて当然なんて思ってたら勘違いだからね。仕事は仕事。業務時間外で仕事することないんだよ。不当なこといわれたらすぐに言ってね、文句いってやるから」

 コーヒーをいれる準備を進める。

「大丈夫ですよ。あ、これ食べてください」

 お菓子の箱を差し出している。おみやげだ。萩の月、仙台だったかな。各地にバリエーションがあるからわからなくなる。

 わたしは食いしん坊ではない。食いしん坊ではないけれど、勧められた菓子を断るような礼儀知らずでもないのだ。ひとつつまんで確保する。

「だれか仙台に行ったの?」

「白バイの川田さんが北海道にツーリングに行って、帰りに寄ったんですって」

「仕事でバイクに乗って、休みでバイクに乗って。さぞかし充実した人生なんだろうね」

「本当、うらやましいかぎりです」

 お湯が沸いてコーヒーの粉を蒸らす。

「ヒトミちゃんは?」

「わたしは、フランスに行きたいかな」

「すごい。なにしに?」

「ワインの飲み歩きです」

「ただののん兵衛だった」

「のん兵衛じゃないですよ。たしなむ程度です」

「酒飲みの常套句がでてきたね」

「やだー。ワインは別ですよ。オシャレじゃないですか」

「たしかにね」

 蒸らしを終えてコーヒーを抽出する。

「ワインの味わかるんだね。えっと、ソムリエみたいに」

「ブドウの品種がすこしわかるくらいですよ」

「これはマスカットだとか、巨峰だとか?」

「カベルネ・ソーヴィニオンだとかです」

「おお、それっぽい」

「それっぽいってなんですか。わたしは真面目なんです。じゃあ、副署長はどうなんですか。なにして暮らしたいんですか」

「わたしは、映画かな」

「ああー」

 思いっきり残念な人を見る目をしている。いいさ、そんな目で見られることには慣れている。女が映画館やうす暗い部屋にこもってひとり映画を観るというのは、あまり良い印象をもたれないのだ。好みの脚本家なんて話題をよろんでくれる人はいない。

「今朝はなにかあったの?せわしない感じだけど、十二月でもないのに」

「十二月ってなんですか。事件です。殺人事件かもしれないみたいですよ」

「本当に?嫌だな」

「そりゃみんな嫌ですよ」

「だといいけど」

 コーヒーがはいって、萩の月を土産にヒトミちゃんと一緒に給湯室を出る。

 副署長のデスクはポツンと南洋の小島のように存在する。課長なら係ごとの席の島を見渡すように配置されている。署長は署長室で悠々だし。わたしのデスクはみんなから距離をとって、署長室寄りにポツンだ。どうせデスクワークが忙しくて近所の人とオシャベリというわけにいかないけれど、人が活動している雰囲気のなかにいるのと、それを遠くに感じて自分の世界で完結しているのでは孤独感がちがう。

 萩の月をちょっとづつかじりながらメールをチェックして、目を通さなければいけない書類の量を把握する。いまある分だけでも午前中で見終わるかどうか。副署長決済の案件はほとんどないから、目を通したら自動的に署長にあがることになる。萩の月の残りを口に放りこむ。

 よし、とりかかろう。

 課長や係長がしっかりチェックしてくれればいいのだけれど。わたしのところにきて手もどりということがあると、どういうことなんだと叫びだしたくなる。係長くらいなら現場があって大変だから中身を見ないで通してしまうのも無理はない気もするけれど、課長はそうじゃないだろう。いや、まあ仕方ないとあきらめている。わたしは警察庁からきているから、現場からの叩きあげの人と書類に対する姿勢がちがう。かれらには現場が第一で書類はおまけなのだ。書類がすべての官僚機構メンバーとはちがう。

 ほらひとつ、担当者にもどさなければならない。

 以前とちがって書類を閉じたバインダーをもって担当者のデスクに突き返しに行かなくて済むからまだいい。電子決済システムだから、クリックひとつ、コメントを残しておけば完了だ。

 わたしが入庁して三年目だったろうか、文書管理システムの更新に合わせて電子決済に変わったのだ。電子決済になった当初は、かさかさする紙にハンコを押す作業がなくなってすごく清々した気分だった。バリバリ書類を作成し、まわってきた書類をスパパパパッと処理したものだ。

 それなのに、いまの担当者ときたら。

「副署長、眉間に皺」

 おっと、いけない。カリカリしてはダメだ。眉間を中指と薬指の先でほぐす。ヒトミちゃんに向けて、にこやかなつもりの顔をあげる。

「署長がお呼びです」

「署長が?お茶のお誘い?」

 ヒトミちゃんの眉間に皺。

「じゃないみたいね。なんだろね」

 まだ手をつけはじめたところだというのに。グズグズ署長の相手をしている場合ではない。

 署長室はドラマや映画に出てくる偉い人のオフィスという感じで物々しい。壁は板張りだし、絨毯は敷いてあるし、国旗が立っているし、応接セットもデスクも重厚で立派だ。警視庁の総監室ではない。地方の警察署の署長室がこんなに豪華である必要があるのか。少なくともわたしはこんなところで仕事したいとは思わない。つかれたら床の絨毯に寝っ転がってゴロゴロしていいというのなら別だけれど。

 挨拶をして応接セットに体を沈める。

 デスクからおっかない顔でこちらを見つめている。署長はうちのお父さんくらいの年齢だ。退官がちかいはず。お父さんは格闘技を教えていて、一方署長は長いこと現場で靴底をすり減らしていた。どちらも体を酷使してきたからだろう、年のわりに老けて見える。いや、署長の場合は病気をしたせいかもしれない。病気のせいで現場を離れることになり、それからは管理職としてやってきて、しまいには署長にまでなったのだから、立派な人物なのだ。顔は一年中こげ茶色で深いしわが刻まれている。髪はすこし薄くなって白髪が勝っている。声は枯れて、これは酒やけかもしれない。

「副署長、ご指名だ。アール・アンド・ディー研究所に行ってくれ」

 デスクから手帳をこちらに突き出している。立って行って受けとる。中をちらっと確認。わたしの警察手帳だ。見るたびに写真写りが気になる。見たくない。もう最近は視界に入れることもなかったけれど。帰りにはヒトミちゃんにでも預けて保管する場所に戻してもらわないといけないのだ。メンドクサイ。

「なにしにですか?」

「まだ聞いてないか。事件が起きた。研究所で」

「今朝あった殺人かもしれないっていう事件ですか?あれ研究所の話だったんですか」

「そうだ。連絡係として現場に行ってくれ。副署長が知り合いだから寄こしてほしいとのことだ」

「ああ、研究所からの要請ですか」

 わたしのお母さんが研究所に勤めていたし、美結ちゃんのお父さんは研究所の、たしか役職のついた偉い人なのだ。きっと美結ちゃんのお父さんからのご指名なのだろう。

「ひとり若いのをつけるから、使うといい」

 署長の念力で動いているんじゃないかと疑いたくなるほどちょうどよいタイミングでノックがあった。署長室へやってきたのは、若いのだ。ビシッと敬礼する。

「緒沢巡査部長です。よろしくお願いします」

 どうやら話が済んでいるらしい。まだ私服捜査官になって日が浅いのだろう、スーツを着慣れていないみたいだし。

「では、さっそく現場へ向かってくれ」

 署長室を辞去し、緒沢くんは先に駐車場に行かせた。わたしは着替えないといけない。本当にメンドクサイ。わたしも私服勤務になりたい。

 ヒトミちゃんに無言でコーヒーのマグカップを押しつけた。いつもどってこられるかわからない。

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