第37話
さっきまで怖ろしい夢を見ていたような気がする。
怖ろしいという感情の余韻だけがあって、
どんなことに恐怖を感じていたのか、
なにが起こったのか、
何ひとつわからない。
音楽がずっと聞こえている。
音楽に詳しくはない。
でも、聴きおぼえがあるような。
どこから聞こえてくるのだろう。
迷惑だ。
段々腹立たしくなってきた。
起きて文句をいったほうがいいだろうか。
まあ、落ち着こう。
呼吸を意識する。
すこし強めに息を吐き、吸ってみる。
なんだろう。
空気が死んでいる。
失敗だ。
ちっとも落ち着けない。
目を開けると、中心から周辺へと視界が広がる。擬態語でいうと、ぽわんとだろうか。
見えるのは白い、天井か。明るいのは、天井の照明がついている。
クリアではない視界は、すぐに暗くなる。人がのぞきこんでいる?
どこのだれだろう、わたしの寝起きの顔をのぞき込むなんて失礼なことをするのは。
美結ちゃん?美結ちゃんしか考えられない。美結ちゃんならいいか。
いや!ちがう!
肘に手ごたえがあった。固いものに当たった。それに重さも。ガシャンという派手な音が頭上でした。
「痛たいっす。いや、そんなことより、意識がもどったんすね!」
目の焦点があうと、お目付け役くんに見られていた。アゴと額を手で押さえて、両手がふさがっている。額の方の腕はギプスで固められている。わたしの振り払った肘がお目付け役くんのアゴにはいり、ベッドの金属の枠に額を打ちつけたということらしい。
よろこびの表情でごまかそうとしているけれど、わたしをごまかそうなんて、考えが甘い。アメリカから輸入したチョコレートのように甘い。
「いま、何しようとしてた?」
「え?えーと。目覚めのキスを少々」
「殺す」
「ひえー」
どこかに助けを求める視線を送っている。視界に人影が増えた。肘を使って上体を起こし、さらにベッドのフレームに枕を立てかけて寄りかかる。
「おしかったね、あともう少しだったのに。ぐずぐずしてるからだよ」
美結ちゃんがお目付け役くんの肩に手をおいている。
「でも、ほら。やっぱり音楽をかけたから目を覚ましたんだよ。この曲が一番のお気に入りだって思ったんだ。映画好きの愛音ちゃんなら」
なに言ってるかわからない。香澄ちゃんのいっていることがわかることのほうが少ないのだけれど。ということは、この迷惑な音楽は香澄ちゃんのせいか。
「起きたから、とりあえず音楽はとめて」
「えー。病院にはあわないかなー」
「そうだよ、死体安置所の人たちまで起き出しちゃうよ。病院で香澄ちゃんバンドの曲なんてかけたら」
そこまで言ってない。美結ちゃんだから。いまの発言、美結ちゃんだから。
「さっき愛音ちゃん、目覚ましそうだったんだよ?でもまた目を閉じちゃったから、みんなでどうしたらいいかっていって、いろいろ試したの」
わたしは実験動物ではない。美結ちゃんがわたしに何をしたのかは気になるけれど。
あ、お母さんもいた。
ずっと泣いていたみたいな顔している。
お母さんのビンタが飛んできた。
いい音だ。
いや、痛い。ほっぺがおっきくなった。熱い。
「軽はずみなことするんじゃないの!」
「ごめんなさい」
「生きててよかった」
抱きしめられて、目をつむる。
生きてるんだ。
生きて、お母さんに会えた。
美結ちゃんにも会えた。
ああ、怖かった。
安心したら、恐怖がやってきた。
お母さんのぬくもりが恐怖を打ち消してくれる。
お母さんは学生時代、拳法のサークルにはいっていた。お父さんとは、そのサークルで出会った。
お母さんは怒りが先にくるし、手が先に出る。
わたしのお母さんらしい。
お父さんは足の方の正面に立っている。
にこにこしている。
お父さんはいつもにこにこしているのだ。
拳法のとき以外は。
医師が呼ばれて、すこし問診を受けた。やっぱりカクテルに睡眠薬をしこまれていたらしい。アルコールと一緒に摂取するのは危険だけれど、睡眠薬が抜ければなんてことはないはずだ。手首と肩の痛みはのこっている。脱臼まではいかないけれど、関節が炎症を起こしているらしい。手首にはアザもできているそうだ。手首も肩まわりも包帯がグルグルだ。
今日はもう帰ってほしいと言って、美結ちゃんとお目付け役くんをのこして帰ってもらった。香澄ちゃんは、ラジカセとディスクを置いていった。はやくよくなるからといって。逆に回復が遅れるんじゃないか。
「美結ちゃん、緒沢くん、ありがとう、たすけてくれて」
「よかったよー。愛音ちゃん、殺されちゃうところだったんだから」
緒沢くんは腕を三角巾で吊っている。上腕骨にはヒビがはいり、膝は靭帯を痛めたらしい。腕も膝もギプスで固定されているのだという。
「なにがあったの?」
「これはね、護堂さんの事件とつながりがある事件だった」
「護堂さんの事件と?」
あのバーの常連客っぽい男は護堂さんとつながりがあったのか。
「美結ちゃん、護堂さんの事件解決したの?」
「うん、たぶん」
「すごいよ、美結ちゃん」
「ふたりで話しながらほとんど結論に達してたんだけどね」
「そうなの?はじめから話して?護堂さんは自殺か、イさんが殺したんでしょ?」
「護堂さんは自殺だった。まだ本人に確認してないけど」
自殺かどうかを死んだ本人に確認できるというのが、わけわからなくてすごい。
「なんでわかるの?」
「準備が必要だったからね。はじめから話すよ?護堂さんは研究で行き詰ってた」
「うん、ノイズが邪魔してね」
「そう。護堂さんはこのまま研究していても時間ばかりかかってノイズの原因をつきとめられないんじゃないかと焦ってた。締切が近かったからね」
「うん。え?じゃあ、研究のために自殺したってこと?」
「察しがいいね、愛音ちゃん。その通りだよ。護堂さんの事件は、人体実験なんだよ。自分の体を使ったね」
そんなこと、あるのか?自分の体を使ったと言っても、首を切ったんだから確実に死ぬ実験をしたということだ。
「同時に、脳のスキャンをしてもらうための工作でもあったんだけどね」
そうか、脳スキャンをしてもらえれば命は惜しくないということか。一般人はそうは考えないけれど。だって、自分自身は死んでしまうのだ。脳のデータが残ったからって、本人が生きているとはいえないだろう。家族や周囲の人間にとっては、アンドロイドでも同じことかもしれないけれど。
「生きた人間でノイズがのってうまくいかないなら、死んだ人間ではどうだろうということなんだけどね。死んだ人間でうまくいくなら、生きていることによりノイズが発生するのだとわかる。そうでないなら、まだ理解されていない人体の仕組みがあるのかもしれない。人体実験で問題を切り分けられるってこと。うん、問題の切り分けは重要な考え方なんだ」
「命と同じくらい?」
「そんなわけないけど、どうだろう。価値観の問題かな。つまり、アンドロイドに置き換わった自分と、肉体をもって生きている自分がどのくらいちがうかってことだよね。護堂さんにとっては、たいしてちがわないってことなんだと思う」
やっぱりそういうことなのか。研究者だから、なのかもしれない。
「人体実験なんて、本人の体をもちいるとしても倫理的に許されないよね。そんなのバレたら、プロジェクトが吹っ飛ぶどころか、しばらく同じようなデバイスの研究が禁止されるなんてことにもなりかねないよ。関わった人は研究をつづけられないだろうし」
「そうだよね、人体実験てそういう怖ろしいことだよね」
「人体実験という目的を隠蔽する必要があった。それには、別の目的を見せればいいわけだ。脳のスキャンだね。ただ、脳スキャンだって、自殺しておいて脳のスキャンというのもおかしな話だよ。脳スキャンは自殺を推奨するわけにいかない。脳スキャンという技術を守るためにもね。自殺した人の脳スキャンはしないルールになってる。これは共同研究プロジェクトを進めるのと並行して研究所と大学で話し合って決めた規則なんだけどね。というわけで、護堂さんの事件は殺人に偽装する必要ができた」
「なるほど、そういう事情か。部外者にはなかなかわからないね」
うん、それならイさんの事件も同じことだ。イさんの事件の謎が解けたみたい。
「じゃあ、護堂さんのやったことをできるだけ再現してみるよ?護堂さんは台の上にうつ伏せになる。イさんに首を切らせちゃったら同意殺人という犯罪になっちゃうよね」
うなづく。本人が殺してくれと言っても、本当に殺してあげちゃうと、罪に問われるのだ。安楽死方面で話題になったはず。
「だからね、簡単に操作できる仕掛けを作ってあったと思うんだよね。もうバラして処分しちゃって、どういう仕掛けだったかわかないと思うけど。護堂さんを締め上げればわかるかな。あと、実際に首を切り落とした刃物、おっそろしく切れ味の鋭い刃物ってやつね、あれたぶんダイヤモンドナイフだと思う」
「美結ちゃんの機械についてた?脳を薄切りにするやつだ」
「うん。あれはね、カンナみたいに削るようにつくられてるから、ものをぶった切るようにはできてないんだ。三角の金属製の土台に取り付けられてる。土台から外すと刃自体は細いんだよ。だから、糸のこみたいにしたか、なにか工夫をしたはず。これも本当のところは護堂さんに聞かないとわからない」
「なんか、そんなにいろいろするくらいなら研究しろよって感じだね」
「そうだね、いろいろ考えているうちにやることが増えちゃったってことかもしれないけど。で、よけいに追い詰められてやるしかないってなったとか」
「護堂さんは脳スキャンの説明をうけてたから、ダイヤモンドナイフのことも知ってたってこと?」
「そうだね、死んだ後の話とはいえ、脳みそ取り出して薄切りにしちゃうんだから、念入りに説明しないといけなかったんだ」
「ダイヤモンドナイフって簡単に買えるの?」
「業者に注文して買わないといけないと思う」
「じゃあ、護堂さんが買ったか調べられそうだね」
「うん。買ってればね。脳スキャンの機械は研究所に置いてるから、ちょっと拝借したってことも考えられるけどね」
「そんな管理ずさんなの?」
「だって、もの切るのにわざわざダイヤモンドナイフ使う人なんていないもん。しかもガワをつくってまで。護堂さんがアホなだけだもん」
「まあ、そうかもね」
「そうだよ」
お気に入りのダイヤモンドナイフを勝手に使われたかもしれなくて腹が立っているみたい。
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